自己矯正記⑥「体験(経験)から得る『知る』の質は段違い」
とある介護事業所の責任者をしているryuです。
無事祖母の火葬も終わり家族集まっての団欒も落ち着きました。
私は認知症ケアのキャリアが15年。
それでも看取りケアの経験は7名程です。
そのうち半分ほどはその最後の瞬間に立ち会っており、7名中1名を除いては本人にとってもご家族様にとっても満足のいく看取りケアを提供できたと思います。
15年という歳月と7名の看取りの経験を持つ私が、16年目で看取り8人目となる祖母で初めて理解したことがあります。
それは「良い看取りをしてもらった家族はこんなにも嬉しい」ということでした。
今まで関わってきたご家族様は「本当に感謝してます。ありがとうございました。」と言ってくれて、私は看取りをしてもらった家族の感謝を7回受け取ってきました。
そして私は「看取りをしてもらった家族の感謝」を7度受け取る側で経験し、その喜びがどれほどのものなのかを知っています。
中には20万円分の商品券を感謝の品として持ってきてくれた家族もいたくらいです。
看取りに限らず言えば10名以上の方の死を目の当たりにしたことで、私は「家族をケアしてもらい幸せに終わりを迎える」ということに対する家族の思いを十二分に知っています。
しかし私は8人目の看取りで、実の祖母の看取りでその「知っている」がまだまだ理解として浅かったことを痛感しました。
前回の番外編でもお伝えしましたが、私が祖母の死に際して湧き上がった感情は、皆さんの想像を遥かに超える「感謝」でした。
私はその溢れ出る感謝をスタッフに伝えずにはいられず、スタッフ全18名に個別の手紙を書いて3000円分のクオカードを添えて送らせていただきました。
手紙を書く作業は通夜前日の夜中4時までかかりながらも、「伝えたい。今、書かなきゃ後悔する」という想いに駆られていました。
スタッフたちは忙しい中、それぞれが空いた穴を埋めるように時間を調整して手を合わせに来てくれました。
そして遺灰になり家までの帰路の中で頭を整理し、先ほど初めてはっきりとした言葉になったのがこの記事です。
まだまだ私の「知っている」は自信を持って言える域になく、体験していないうちはまだ「つもり」であると「知りました」。
『百聞は一見にしかず』の真意が身に染みた三日間です。
この経験は今後の私の介護人生に大きく影響する出来事でした。
自分たちの頑張りがそのまま本人と家族の喜びであることを再認識できたので、自信を持ってスタッフに看取りケアの大切さを伝えていきたいと思います。
ご拝読ありがとうございました😊
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