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グレーゾーンの生き辛さ。

twitter(X)にあまり暗いことを書くと色々な人の目に触れてしまい、暗い気分にさせてしまうのでnoteでも書こうと思う。初記事なので使い方が良く分っていない。

自分はいわゆるグレーゾーンと呼ばれる人間だと思う。
明確に医者に診断書をもらった訳ではないが、学生時代クラスに馴染めず友達ができない学年が何年もあった。
大人になった今では一時的に健常者の振りはできるようになったが、恐らく軽度の自閉症なのだと思う。学校で一言も喋らない日は珍しくなかった。

二時限目の後と昼休みの長い休み時間が地獄だった。
友達がおらず外でドッヂボールをするわけでもなく、かと言って教室に残って1人で過ごすことも視線に耐えられない。
だからわざわざクラスとは反対側の人があまり来ない校舎のトイレで時間を潰すことが多かった。辛くて泣いた日もあった。
修学旅行や遠足がもっと地獄だった。
遠足の昼ごはん、ビニールシートを敷いてご飯を食べる時間。
友達がいない自分はどうすれば良いか分からなくて涙を流した記憶がある。
惨めで仕方なかった。

中学生になり、何かが変わることを期待したが状況は同じだった。
中1の秋、ついに不登校になった。
ジワジワと蓄積してきたダメージに耐えられなくなったのだと思う。
とある朝、目が覚めて起きようと思っても身体がまるで接着剤で固定されたように起き上がれない。その日は仮病で休んだ。
次の日、また同じ現象が起きた。起きれない。
そして次の日もまた同じことが起こる。
不登校の始まりは今でも覚えている。

次に始まるのは親からの叱責。
思い出すと辛くなるのであまり詳しくは書かないでおこう。
毎朝電気コードを首にかけ、椅子の上に立つ。
ここで死ねれば楽になれる、心では分かっていても恐怖がそれを阻止する。
朝起きて自殺を試みようとする。でも、怖くてできない。
それがずっと続く。
起きて親に怒鳴られ、電気コードに首をかけて、結局死ねない。
そして一人で泣く、これが中学時代のルーティーンだった。
今思い返してみれば心が壊れたのはこの時期だったのかもしれない。

今回はここで終わり。
文字にして書き出せば楽になれる思って何となく書いてみた。
でも書いてるうちに辛い記憶が蘇って意味があったのかは分からない。

もし誰か読んでいたら、つたない記事を読んでくれてありがとう。


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