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優しさは善か悪か 生きたくない理由 

優しさは悪であることについて

優しいことって良いことなの?何なら悪であるんじゃないかとすら疑問に思うことがある。
なぜならこの世界は優しい人が幸せに暮らせる仕組みにはなっていないし、資本主義である以上そうなるのは必然だから。
「優しい性格」が生きづらを助長させ、足枷となってしまうのであれば、優しい性格は100%良いことであると思えなかった。
大前提として自分は優しい人が好きだし、思いやりのもてる人が幸せになれる世界であったら良いなと思ってる。
それと同時にそれがただの理想論で、優しさだけで世界が成り立たないことも何となく察してる。

残念ながら世の中は常に競争で、はじき出された者は弱者として遠からず強者の養分として生きている。そして弱者にならないためには、他者を傷つける利用・搾取することに罪悪感・痛みを感じない性格である必要がある。
中学・大学時代自分のことを小馬鹿にしてきた いわゆる「イケてる」連中が家庭を持ち幸せそうにしているのを見て「そりゃそうだよな」と思った。
幸い別に酷い虐めを受けたわけじゃないし恨みが大きい訳ではない。
自分のような自己犠牲型の人間は当然弱者側(自分を優しい人間だと自惚れるつもりはない)
弱者となれば強者の踏み台となり、人を蹴落とさなければ強者になれない。どちらを選んでも辛い、そういう世界がしんどかった。適合できない。産まれたくなかったと思う。

長くは生きたくない理由


人を傷つけることに無駄に抵抗があり、そしてコミュニケーションもうまく取れないような自分がこれから先人並み以上の生活は難しい。
月20万そこらの金を稼ぎ「ただ生きていく」、ということなら可能だろう。だがその人生に何の意味がある?高い税金を払い政治家や利権者のような強者に搾取され、1人で寿命を待つ人生に意味はない。

結婚し子供を産むことが人生最大の生き甲斐だと思う。自分のためだけに生きて楽しめる期間なんてそう長くはない。趣味に没頭すれば寂しくないという理論は多分30代、40代以降は通用しない。人は人との繋がりでしか最終的に幸せを感じられないからだ。
仮に恋人ができたとする。
自分の人生すらままならない人間が誰を幸せにできる?(実際それが原因で相手からの好意に気づかない振りをして遠ざけたこがある。その後明るくてアウトドアな自分の大学時代の数少ない友人と付き合ったことを知り、そっちの方が絶対に幸せだと安堵した)
自分のような弱者の遺伝子を残すことは子供を苦しめることになるので当然子供は産めない。第二を自分が産まれてしまうだけだ。
孤独を選ばざるを得ないと思った。

自分まだ20代で世間一般的に見れば「若い」人間に分類される。
別の言い方をすれば自分のような人間がギリギリ生きてられるのは「若い」というアドバンテージがあるおかげなのだ。
他の国はどうか知らないが日本は年齢に敏感だ。「いい歳して〇〇」という言葉を常に聞く。年を取れば取るほど求められるハードルが上がり生き辛さは加速する。35歳くらいを超え若さが無くなったとき、まだ自殺していなければそこが自分の人生の終着点となるだろう。


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