映画「ドライブ・マイ・カー」への一考察(『情況』2022年夏号掲載)
村上春樹の短編小説を原作に制作された映画『ドライブ・マイ・カー』(監督/濱口竜介、脚本/濱口竜介・大江崇允)は、舞台俳優・演出家である家福悠介(かふく・ゆうすけ)の「巡礼」を描いている。プライベートにおいても創作においてもパートナーであった妻の音(おと)の急死は、家福を宙づり状態に引き込んだ。家福悠介と音との関係はたいへん良好なものだったのだが、なぜか音はほかの男と定期的にセックスを行っており、家福はそのことを知りながら黙っていた。音が亡くなったのは、家福が家をでかける際に音から「話がある」と伝えられていた日だった。家福は、音の話を聞く事がかなわず、妻の秘密への道は永遠に閉ざされてしまった。家福は喪失感と妻の秘密の謎を抱えて生きていく事になる。この映画のなかでは「生きていく」ということは、移動(ドライブ)しながら、そして演劇をおこないながら、妻の秘密について受け入れる方法を、つまり、自分とは異なる他者の存在を受け入れる方法を探し出すことである。
劇中で「けっこう古いしクセもある」と語られる家福の愛車「サーブ900ターボ」は、家福のもうひとつの肉体であり、その車内は家福の精神空間に比せられている。舞台演出家であり、自らもその作品に出演をする家福はいつもその車の中で台詞を覚える習慣があった。そしてその方法というのは、音がカセットテープに吹き込んだ相手役の台詞にあわせて車内で台詞を発語するというものだ。音が最後に吹き込んだ戯曲はアントン・チェーホフ『ワーニャおじさん』だった。チェーホフの台詞が音の声によって車内に満ちていく。まさに妻は「音」となっていまも家福に語りかけてくる。それはチェーホフの戯曲の言葉を借りながら、家福や音自身の声のようにも聞こえてくるのだ。
家福は妻が急死した喪失感と妻が残した秘密、ぽっかりと開いた妻の絶対的他者性の痕跡をめぐって、妻の死後、ドライブをし続け、演劇をし続けている。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を家福自らが演じている場面がある。このことは示唆的である。『ゴドーを待ちながら』の登場人物であるウラジーミルとエストラゴンが「どうにもならん」と言いながらゴドーを待ち続け、明日ゴドーが来なかったら首を吊ろう、明日ゴドーが来たら救われる、そう言いながら似たような明日という毎日を過ごしているように、家福は他者性を受け入れる方法を「待ち続けている」のだ。それは実のところ音の死より前からの家福の倫理とも言えるものに思える。そして「待ち続ける」ための方策として、家福にはドライブ(移動)と演劇があり、そのときに重要な媒体となるのが「車」と「戯曲」である。この映画においては、他者性へと向き合う「器」として、車と戯曲があり、車を器として行われる巡礼がドライブであり、戯曲を器として行われる巡礼が演劇なのだ。そしてそれらは相同的かつ複相的に関わりながら、家福の精神的な旅を導いていく。
映画のラストシーンを含めて検討してみよう。映画『ドライブ・マイ・カー』では、家福が妻の突然の死による宙づり状態からどのように着地するか、あるいはどこに着地するかが、つまりそのプロセスと結果が描かれている。とあるドライブの果てに、彼は最終的に「僕は正しく傷つくべきだった」と口にし、いままで押し殺していた妻への矛盾した気持ちを吐露する。音のすべてを本当としてとらえると、そこにはほんとうはなんの謎もないのではないか。そして生き残ったものは、死んだもののことを考え続ける、そうやって生きていかなくてはいけないという気付きにたどり着く。その気付きは『ワーニャおじさん』の台詞と重なるものでもある。ドライブと演劇の旅が重なり合い、さらにみずからの「待ち続ける」という倫理観ともつながる。待ち続けてもゴドーは来ないかもしれない、だが待ち続けるのだ、それだけが自身に可能なことなのだから。では、その一旦の着地点にむけて、「車」と「戯曲」がどのように関わっているか。
家福は妻とのプライベート空間であった「車」の運転を、とある突発的な事情から他人に預けることになり、つまり自らの精神空間への侵入を許すことによって、妻の秘密との向き合いかたに変化がもたらされることになる。家福のもうひとつの肉体である「けっこう古いしクセもある」愛車を、見事に運転をするドライバーである渡利(わたり)みさきのドライブによって、車という「器」の頑なさはほぐれていき、そしてその「器」の変化と同時に、家福の精神空間もほぐれていくことになる。「戯曲」もまた、さまざまな出自をもつ俳優たちによる声によってときほぐされていき、演劇の稽古の中で、最終的には一度は、演じる事を断念したワーニャ役を家福は引き受ける事になる。みごとに巡礼の旅のモチーフである「車」と「戯曲」が相互的に機能し、家福の宙づりからの着地を導いている。
だがここで気になることがある。ドライブと戯曲によって家福の宙づり状態は変容していっているのだが、ひとつ変容が描かれていない、取り残されているものがあるのだ。舞台演出家である家福の演出方法である。後述するように家福の演出方法は「ただ読む」という独特な方法なのだが、その方法は最後まで頑なである。では、その方法が有効に機能し、さまざまな俳優たちがお互いの出自を含めて十全にコミュニケーションを行い、戯曲の言葉と俳優たちの人生とが触発しあった舞台が完成したとして、その演劇共同体はどういった質の共同体なのだろうか、ということを問うてみたい。ここで注意して欲しいのは、演劇作品としての評価の問題ではない。たとえば私は『ドライブ・マイ・カー』の中に出てくる演劇の演技が、まったくもって舞台のそれではないと感じたが、そうした話ではない。そもそも映画の中に題材として出てくる演劇が演劇のそれである必要もないだろう。戯曲を「ただ読む」ことによって達成される共同体の状態が気になるのだ。
家福の演出方法の「無変化」に触れるために、家福の「変化」をもたらした車と戯曲について具体的に見てみよう。車と戯曲は相同的かつ複相的に家福の精神の旅を導いていると書いた。ではまず、「車」のほうから何が起きていたのか、再度確認してみよう。
家福にとって自らの愛車でのドライブはひとつの完結した行為であった。演劇の戯曲について考え、そして同時にその声の主である亡き妻について弔う空間だ。妻の死後、家福は自らの車を運転して広島で開催される国際演劇祭へとやってくる。もちろん地方での移動手段として考えていたわけだが、演劇祭の実行委員から、数年前に関係者が自動車事故を起こしてしまったことにより、関係者本人による車の運転は禁止になっているとの報告がある。「ちゃんとお話しておけばよかったですね」という立て前的謝罪をした実行委員からドライバーの紹介があり、フェスティバルのときに毎回ドライバーをしているという渡利みさきを仕方なくテストドライブという形で家福は受け入れるが、渡利は「結構古いし癖もある」車を見事に運転し、家福は見事さに感嘆し受け入れることになる。家福自身の言葉を借りれば「加速も減速もとてもなめらかでほとんど重力を感じません。車に乗ってるのを忘れる事もある。こんなに心地いいのは初めてです。」渡利の運転は家福が望む、あるいは想像もしないほど理想的な運転だった。移動のための媒体である車はまるで存在しないかのように感じられる。そしてそのようにして家福はもうひとつの肉体である車に渡利の侵入を許してしまい、渡利の存在が家福のかたくなな「待ち続ける」という態度に変化を及ぼし始める。家福が妻の喪失をうまく受け入れられず、宙づり状態になっているのは、車が「結構古いし癖もある」ように、家福自身の頑なさ(男性性といってもよいだろう)にあった。車が見事に運転されるのに合わせるように、家福の自我が融解していく。
本来はドライブ(移動)の際の媒介物である車はそれ独自のフォルムをもっているものだが、まるで家福と車が一体であるかのように「媒介性」を消失している。おそらく家福は自ら運転しているときには、車というフォルムに阻まれて、ドライブの風景(土地の霊)を十全に感受することができていなかったのだろうが、車と一体化したいまでは、ドライブの風景と溶け合うことができる。映画『ドライブ・マイ・カー』がロードムービーとして優れている点だ。
では、「戯曲」の方はどうだろう。ドライブの要素は、ドライブ(移動)、車、運転手(家福)だったが、それに倣えば、演劇の要素は、演劇(稽古・本番)、戯曲、俳優たちということになろう。それらの関係はどのようになっているだろうか。
家福のつくる演劇は独特なものであるように描かれている。多国籍の俳優により行われる舞台は、俳優達によって多言語で演じられる。そしてその稽古風景もまた、独特なものとして描かれている。いわゆるテーブル稽古と呼ばれるシーンでは、家福は「ただ読む」ということを求める。「もっとゆっくりお願いします」「みんなに聞こえるようにハッキリ」基本的にはそれをただ繰り返すという稽古に見える。戯曲の背景や登場人物の行動の目的や内面について語ったりディスカッションしたりする様子は映画の中には描かれない。参加した俳優の多くはそのやり方に困惑している様子である。俳優のひとりは「私たちはロボットじゃありません」という。「もちろん指示には全て従います」「意図を説明していただけたらもっともっと上手くやれます」という俳優に返す家福の演出家としての言葉は、笑みを浮かべながら「上手くやる必要はない。ただ読めばいいんだ」というものだ。
いったいこれは何をやっているのだろうか。この戯曲に対する態度を、家福の車に対する態度と比べてみるとよくわかる。家福の理想とする運転は「加速も減速もとてもなめらかでほとんど重力を感じない」ものだった。つまりそれは移動を媒介している「車」というボディと自分とがそのまま一体化している状態、すっぽりそのまま収まっている状態である。戯曲は演劇を成立させる媒体である。家福はその媒体を俳優自身と一体化させようと試みている。このときに、「一体化」というのは俳優が「役を演じる」ということではないことが重要だ。「上手くやる必要はない」というのは「演じる必要がない」という意味でもある。いや、もっと言えば、「演じる必要があるかないか、そんなことは関係ない」という意味なのだ。車という「器」のなかにすっぽりと収まっている家福のように、俳優たちは戯曲という「器」のなかにすっぽりと収まっていることが需要である。そして家福がドライブをして無媒介に土地の風景(ゲーニウス)と交流するように、演劇のなかで無媒介に目の前の俳優や観客との空間と交流することができる。そうした他者との触れ合いを可能にするのが、車や戯曲という「器」との一体化である。
「相手の台詞まで覚えて初めて相手の感情にももっと注意を向けることができて反応もできるようになります」。別のいいかただとこういう言い方もある。戯曲に書かれていることをすべて受け入れるという態度が導く世界がある。演出家の方法に対するとまどいをあらわす台詞に「お経をきいているみたいだ」というリアクションが描かれている。もちろんこの「お経」というのはひとつのユーモアとして機能しているのだが、実際見逃せない反応なのだ。それは戯曲を歴史的・構造的に分析するという態度を放棄することで、戯曲の「神託化」をもたらしている。「相手の感情にもっと注意を向ける」という他者への気付きの空間が、戯曲の「神託化」によってお膳立てされているという状況だ。
そうなると家福の演出技法によってつくられる共同体は、信仰共同体と質として差がないように思われる。クセのある車が、ドライバーの渡利によって「車に乗ってるのを忘れる」ような透明な「器」になったように、チェーホフという時代背景や言語もちがう戯曲が、そういった「個別具体性(一般性・普遍性とは別にあるクセ)を消失させされ、俳優達が自らの人生の現在性をもちこむ、あるいは人生の現在性を触発するという機能のための純粋な「器」になっている。そのとき戯曲は無批判的に前提とされ、まるで聖書を読むように、俳優自身の人生と重ね合わせるべきものとなる。つまり信仰共同体のそれである。家福の演出空間は、『ワーニャおじさん』という戯曲を聖書として読むことを望んでいるのだ。
こうした「ただ読む」という行為は、(少なくとも)日本語の発話問題として考えた場合に、以下のような認識と不即不離の関係であるように思える。
「現代詩について、声が全くないというんじゃなくて、声はあるけれども、その声が独語的であり陶酔状態の声であって、伝達の要素をほとんど持っていないということですね。だからそれを信ずるにはやはり、お経を有難がるように、ある詩人なら詩人、文学者なら文学者のなかへ、読者がいわば帰依する必要がある。帰依すればすばらしい麻薬的効果があるわけですけど、帰依しないと、何がなんだか非常にわかりにくい」外山滋比古「はたして七五調はリズムか」(『ユリイカ』1973年3月号、谷川俊太郎との対談)
日本語ひいては言葉が意味をもつ際に、ひとつの「帰依」が必要であるという指摘は、家福の方法論を背後から補完する言説である。だから家福はみずからの考えを説明しない。「ただ読む」というかたちで戯曲への「帰依」を求めて、そこに「帰依」したものたちのなかでは、戯曲の言葉が自らの人生や、あるいはいま目の前の人間との関係に直接反映され、まるで神託のような響きをもつ言葉へと変換される。
だから広島平和記念公園で行われていたリハーサルで家福は「いまなにかが起きていた。しかしそれは俳優のあいだで起きていただけだ」という言い方をする。「なにかが起きていた」というのは、つまり何が起きたか具体的には名指しはしない、できないけれども、一方で、「奇跡」は起きた、という意味だ。実際に映画に描かれたリハーサルシーンにおいて「何かが起きていた」のであれば、わざわざそれを台詞化する意味はないのであって、演出家である家福が「何かが起きていた」と名指すことが重要なのだ。それは「奇跡」が見えるひとの態度である。そして家福は「俳優と俳優の間におきていることを観客席に広げる」という。それは、布教である。そうした方法が悪い、といっているわけではない。だがたいへん危ういかたちでの共同体の形成が描かれていること、そのシーンの場所が広島平和記念公園であることが及ぼすトポス的効果がよい関係にあるのかどうか、考察が必要だろう。
「神託化」「奇跡」「布教」という言葉遣いに鼻白む向きもあるだろう。だが、妻が急死した喪失感と妻が残した秘密を受け入れる方法を、絶対的他者性の痕跡を受け入れる方法を探し続けようとしていた家福が、ドライブと演劇という旅のなかで変容しているなか、家福の演出方法だけが頑なに取り残されていることにたいへん違和感を覚えたのだ。その違和感を言語化すると、戯曲の「神託化」という現象へと至った。家福は家福の演出方法である「ただ読む」によって戯曲を「器」とし、戯曲のなかで他者と触れ合う空間を維持しているのだ。だがそれは同時に、家福の演出方法である「ただ読む」ことができない、受け入れない人物とは触れることができない方法でもある。そして映画『ドライブ・マイ・カー』で描かれている家福の倫理である「待ち続ける」という態度と演出方法の頑なさは実は乖離している。またべつの存在のありかたへ、またべつの演出のありかたへと、開かれていないからだ。
家福は以前にもワーニャおじさんを演出しており、その際には自らタイトルロールであるワーニャを演じていた。今回なぜ演じないのかと問われた家福は「チェーホフはおそろしい」と言う。彼のテキストを口にすると、自分自身がひきずりだされる、そのことにもう耐えられなくなってしまったのだ、と。実のところ、戯曲を「器」として自らを差し出すことの恐怖や戦慄に、俳優である家福自身が気付いていた。では、そこから演出家として「また別のあり方」を待ち続けることはできなかったのだろうか。俳優として感じる恐怖や戦慄は、戯曲の「神託化」と不可分な関係にあるのだから。映画『ドライブ・マイ・カー』は、家福がワーニャおじさんを演じることを引き受けるというかたちで家福の「巡礼」の旅の着地を描き出す。その旅の同行者である渡利みさきはその劇をみて映画のラストにおいて涙を流す。それは「芸術」の力の証なのだろうか。それとも「信仰」の力の証なのだろうか。わたしには後者に見えた。
(『情況』2022年夏号に掲載された論考です)