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#つんドル に思う、20代を生きてきた私の人生観

公開されたばかりの映画『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』がおもしろかったので、湧いてきたインスピレーションを元に書いてみます。
※注:トップ画像は私ではありません

主人公・安希子あきこと歳が近いこと、そしておっさんと住んではいないけど私自身そこそこイレギュラーな人生を送っているので、色々と思うところがありました。



コミュニティはセーフティーネットになる

作品中にも多くはないけれど、安希子の周りにはコミュニティがありました。間貸しをしてくれた ‘おっさん’ ササポン。そして、何人かの友人。
ササポンとは1対1なのでコミュニティとは呼べないかもしれませんが、最終的に彼女はササポンに大きな影響を受けて一歩前に踏み出すことになります。

私も一人暮らし歴が長くなってきたので経験的に分かりますが、一人暮らし + 大幅な不調 の組み合わせは、なかなかにリスクをはらんでいます。たとえ緩やかな繋がりだとしても、コミュニティや人との関わりは居場所となり逃げ場となりセーフティーネットとなり豊かな人生への足がかりとなるので、コミュニティを意識した生き方をしていきたいものです。


レールから外れてもみんな生きている

生き方の多様性が増してきたと言われる現代でも、やはり社会のスタンダードと呼ばれるものから逸脱するとき、依然として人は戸惑いや恐怖を感じるのではないでしょうか。
ただ、私自身がレールから外れまくった生き方をしているのが何よりの証拠で、なんだかんだ生きてますし不幸のどん底というわけではないです。
(ただしこれは生存者バイアスという見方もできます。そういう意味ではどん底にいる人も少なからずいるでしょう。)

逆にレールから外れた経験がない人ほど、レールから外れる=社会的な死だと思って自ら過度な抑圧に絡めとられている可能性もあります。
そして一度外れた後、主人公の安希子のように “レールに戻る” ことばかりを考えている人は、そのレールが唯一解だと思い込みすぎて、本当の自分の姿や本当に自分が欲しているものに気づけていない可能性があります。


色々知ってそこから自分に合うものを選ぶ

誰かが造ったレールに囚われない、あるいは自分自身で自分のためのレールを創っていくためには、異なる世界を知り、視野を広げ、選択肢を増やすことが重要です。

最終的には自分に一番合いそうな環境を選びそこで生きていくことにはなりますが、その前にまずはたくさんの環境に触れてみればいい。
高度に情報化された社会で私たちはつい世界のすべてを知ったような錯覚に陥りますが、私は一生を掛けてもきっと人は全世界の10%も知らずに死んでいくんだろうなあとなんとなく思っています。
だって、同じ日本に生まれ同じ年齢で似たような学校に通っていても、この世界の見え方が180度違うなんてことがザラにあるんですから。自分が見聞きしてきたものがこの世界のすべてだなんて、口が裂けても言えません。

だからこそ、ササポンとの出会いのように、多様な人や場所、すなわち複数のコミュニティと関わることは重要だと思うんです。


幸せは ‘幸’ と ‘不幸’ の点描画

安希子がそうだったように、バリバリ働いている人や結婚した人は幸せそうで充実しているように見えます。特にこの年代の若者にとっては。
私も先日後輩の結婚式に参加しましたが、周りの友人たちもいつの間にかしれっと結婚していたりパートナーがいたりします。でも、強烈な羨望というのはそこまで自分の中にはないかなあ。もちろんめでたいことだし祝いたいのは当然ですが、どちらかというと「みんなちゃんと自分の人生を生きているなあ」という感覚で捉えています。

バリバリ働いている人や結婚している人って、仕事や結婚と ‘幸せ’ が直結しているわけではなく、その『状態』や『場』や『関係性』を通して自己実現したり自己表現したり自分の人生を生きているから、充実しているように見えるということなんだと思います。

私は幸せを点描画的イメージで捉えています。
幸せを青色/不幸せを赤色として、何か出来事や感情が生まれるたびにキャンバス上にプロットして(点を打って)いきます。幸せや不幸せの度合いが大きいほど大きな点を、ささやかなものなら小さな点を。
そうやってプロットしていったら、最後に数メートル下がってキャンバスを眺めてみてください。そのとき、キャンバスが青に見えるか、赤に見えるか。それが『幸せ』の度合いだと私は考えます。

だから、幸せはとても流動的で相対的です。昔に打った点はだんだん薄くなり目立たなくなっていきます。仕事で嫌なことが続けば小さな赤い点が増えていって、全体も赤みを帯びることになります。
赤い点を小さく少なく、青い点を大きく多くしていくチューニングは毎日続きます。結婚をしていてもしていなくても、正社員でもそうでなくても、そのチューニングは一生続いていくのです。


自分の特徴を記録し分析する

幸せのチューニングについて書きましたが、効果的なチューニングをしていくには当然自分という人間を知らなければうまくいきません。私は何に心動かされ、何をしていると幸せで、どんな人と過ごしたくて、どんな状態にあるとリラックスできて、、そんな風にたくさんたくさん自分自身のことを知っていく作業が必要です。
それができて初めて、赤い点(不幸せ)を小さく少なく、青い点(幸せ)を大きく多くしていくチューニングが可能となります。

だから、あなたが幸せを感じ瞬間/不幸せだと思った瞬間/心躍った瞬間/心が死にそうになった瞬間/身体がリラックスして穏やかな瞬間/身体が重く疲れ果てた瞬間、それに気づいたときは自分なりに記録に残してください。花を見て癒された、のようなささいなものでも構いません。
紙の日記でも、スマホのメモアプリでも、ボイスメモでも、写真に撮るでも、都度家族に話すでも、方法はなんでもいいのです。
とにかく自分に関するヒントを集め続けてください。

時には安希子のように自分を見失うこともあります。人間は非効率で非合理的で面倒臭い生き物なので、心が浮上するまで何年も時間が掛かることもあります。
でも、見失うことがあれば気づいたり見つけたりすることもあるはず。コツコツと集め続けたあなた自身の心の機微や特徴は、必ずこの先どこかであなたを助けてくれます。幸と不幸のチューニングをするときに必ず役に立ってくれます。


都会にいると人間のポンコツさを忘れる

#つんドル の舞台は都会(たぶん東京)です。私は和歌山の田舎から上京してきた身として、都会で暮らす副作用というのを経験的に知っています。
都会、特に東京は(世界的に見ても)非常に便利でかつ様々なものが過剰に供給され得る環境なので、あたかも私たち人間そのものが高度に進化していて何でもコントロールできるという ‘全能感’ に侵されやすいんですよね。
生身の人間はたいして変わっていないのに、非合理的で非効率で良くも悪くもポンコツな生き物のままなのに、その原点をつい忘れてしまうんです。

※非合理的で非効率なことを私はネガティブには捉えておらず、むしろそこにこそ人間性の本質があり、そのポンコツさを受け入れた上でどう人生を楽しむかが大切だと考えています。


私の好きな曲、吉澤嘉代子さんの『東京絶景』にはこんな歌詞があります。

東京はうつくしい 泡沫のプラネタリウム
星なんて一つも見えないけど 夢を見ているのよ
 (中略)
東京はうつくしい 終わりのない欲望

澄んだ歌声で「うつくしい」と歌っているのに、よくよく聴いてみると痛烈な東京への皮肉を突きつけられ、同時に東京に暮らす自分に今日・明日を一歩ずつ歩む勇気をくれる、そんな不思議な曲です。

作中の安希子もきっと、東京の魔力に当てられて一時的に自分の等身大の姿を見失っていたのではないでしょうか。
話は変わりますが、そういう意味において、土いじりや野菜に触れるあのシーンは納得感がありました。私も田舎出身なので畑を耕したり野菜を育てた経験がありますが、植物特に野菜を育てるのって全能感から離れるのに良いんですよね。
野菜は基本的に1年に1サイクルで生きています。失敗したら「また来年」です。でも1日1日必ず成長を見せてくれる。環境の変化にも正直です。成長には時間が掛かることを思い出させてくれます。
そして、土や野菜に触れた人間の五感を通して働きかけ、麻痺した心と偽りの全能感を優しく突き崩すきっかけをくれるのです。


みんな同じ川に戻ってくる

誕生日を祝ってもらった安希子が友人にぼやくシーンがあります。「来年はこうやってみんなで集まれるかどうか分からないね」と。

これを観てふと思い出したのが、スーさん(ジェーン・スー)が提唱している鮭理論?です。彼女曰く、
「20〜30代の女は結婚しているか・仕事を続けるか・子育てをするかの大きく8パターンに分岐する。そのときはそれぞれ選んだ環境によって関係性が薄くなったり途切れたりするけど、結局子育てが一段落したり歳を重ねていくと、みんな鮭みたいに同じ川に戻ってくるから大丈夫。」
ということだそうで。
おもしろい捉え方ですよね。

長い人生の中で自分自身が変化していくのだから、それを取り巻く人間関係も変容していくのは当たり前なのですが、人間としてはやはり寂しさを感じてしまいます。
でも、人間関係って案外賞味期限が長かったりもしますよね。パッと意気投合したり、スッと立ち消えたりするけれど、10年以上疎遠だった友人と再会してまた親交が始まったりもする。結局大切だったり相性の良い人とは、いつかまた巡り合うということなのかもしれません。

なんかそう考えると、人生がちょっと楽しみになりますね。



こんな感じで色々考えさせられました。原作は読んだことがないのですが、映画はどの役もとても良いキャスティングだと思いました。
あと私、けっこう深川麻衣好きなんですよね。昔のアイドル時代は分からないけど、演技のうまい役者として。どこかパグみたいな可愛らしさもありますし。

これまでも『パンとバスと2度目のハツコイ』『おもいで写眞』『今はちょっと、ついてないだけ』『愛がなんだ』などを観ています。
(別に追っかけをしているということではなく、元々常人より映画館に行く頻度がかなり多い人間なので、そのたくさんの分母の中で上記のような何作品かを観たことがある感じです)
特に『愛がなんだ』はとても良かったです。深川麻衣さんは主演ではないですが出てくるどのキャラも粒立っていて、とても素晴らしい作品だったと記憶しています。


人生は #つんドル ように見えて意外と詰んでない。
それでは。


'23/11/05 最終更新

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