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遺書

 彼は、何不自由ない家に生まれ、何不自由ない少年時代を過ごし、何不自由ない学生生活を終えた。さてこれからどうする。
 彼は、正直なりたいものが見つからなかった。大企業に勤めるサラリーマン、時代の波を紡いでいくエンジニア、世界を飛び回る商社マン、人々の平和を守る警察官、メディア媒体で活躍する芸能人、何一つ興味がわかなかった。
 彼は、若年のうちにこの世の中がまやかしであるということを敏感に感じ取っていた。そして、その隙間に生まれる空虚感に支配されながら残りの生命が尽きるまでまやかしの中で生きることに、軽い絶望を感じた。
 彼は、それでもなんとか生きてみようとした。だが、目の前に広がる景色はフィルターがかかったように仄暗く、生きるという行為の先に美しさという希望を得ることが、遂に彼にはできなかった。
 彼は、どうやってこの生命を終着に向かわせるかというただその1点に執着した。そして、彼は自分の生命の終着に対してのみ、独自の美しさを追求するようになっていた。
 彼は、自身の身体と精神の高尚さを求め、身体と精神を極限まで無に近づけることで、その先に希望を得ようとした。所詮死ぬとき、人は1人なのだ。なまじノイズが入ると全てがかき乱される。自分は、1人で、美しく、死にたい。それが何不自由なく育った彼の人生の中で唯一の願いであり、希望だった。
 彼は、僕であり、あなたでもある。人の心の中の闇と光は表裏一体であり、一心同体でもあるのだ。


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