このままどこまで いつまで揺蕩えばいい ありふれたように見てた景色が ふと気づけば砂嵐 残像が問いかける 僕はいつも誰とあの空を見ていたんだっけ 感情が本能を抑え込んで 何を何を見つければいい僕は 見てたんだっけ 何を 見つけるんだっけ どこに 夕焼け 赤く広がる ここが僕の居場所だとわかった 知ったわけではない わかったんだ いつかいた君はもういない それを僕は本能で抑え込んだ
腐っちまったこの世の中で 何を期待して生きればいい 腐っちまったこの世の中で 何処を拠りどころに生きればいい 善悪の判断がつかない子供たち 自分だけが良ければいい子供たち 金儲けしか考えてない子供たち 子供たちばかりの国 日本 腐っちまったこの世の中で 何処に向かって生きればいい 腐っちまったこの世の中で 何を目指して生きればいい 自分と違うものを毛嫌う子供たち 自分と違うものを否定する子供たち 自分と違うものを破壊する子供たち 子供たちばかりの国 日本 腐っちまった
風に響く鈴の音 遠くに聞く昼下がり まどろみに映る君の顔 まばたきとともにいなくなる 特別な何かになりたくて 心はさざ波のように 僕は探す探す 草の根かき分けて 見つかったかい 見つけたかい 見つかったかい 見つけたかい 幸せだとか不幸せだとか 意味があるとかないとか 成功だとか失敗だとか 雨粒とともに降り注げばいい 見つかったかい 見つけたかい 見つかったかい 見つけたかい 純一無雑のぬくもり そう ぬくもり この世界にあふれる そう ぬくもり そこに君はい
現実を生きるのに必死で 他人と争うことに慣れて その先に何が待っているのかもわからず 嬉々として破滅へ向かう ありふれた幸せを陳腐と嘲り あるいは手が届かない高嶺の花 分断されたこの世界では 普通の定義さえ難しい いつかこの世の中に夢がなくなったら 心の拠り所は現実だけ 過酷な現実だけ 悲しき世代に祝福を
自分を神だと勘違いしている人間に、ろくなやつはいない。 そこのあんただよ、あんた。
小池百合子に「投票しない」ことが大事。 別に他の誰に投票しようがそこは好きにすればいい。 現体制が腐っているのにそれを打破しようと考えないのは終わった思考。
子供のころは、目に映るものすべてが輝いて見えた。 懐古厨。そうなのかもしれない。ただ、昔を振り返る余裕があるかといわれたら、そうでもない。生きるために身も心も削って働く大人にはなりたくなかった。けど、今の時代、ただ生きるためだけに身も心も削る必要がある。 通勤電車では、加齢臭臭いおっさんや香水まみれのおばさんに囲まれて、会社に行けば、口うるさい上司に(自分は何も出来ないのに)書類の細かい箇所まで粗さがしされ修正、ゴマすりばかりのコバンザメが出世していく様子をただただ
身体は借り物の器。 器に感情は必要ない。
情報化社会は地獄だ。
電車の中で 席を取ることに全力なサラリーマン それだけにはなりたくない
夕暮れ時、それは解放の時間。 学校、会社、バイト先。各々違いこそあれど、窮屈で定型的な「社会」から解放され、僕らは「ひとり」になる。 好きなだけゲームをしてもいい、本を読んだって、テレビを見たって、ずっと携帯で動画を見てたっていい。買い物に行ったっていいし、好きなものを食べてもいい。自由な世界がそこには広がっている。
人間の肉体は、さながらコップのようであり、注がれている液体は、ヴァイタリティ。少ないのも良くないし、並々と注がれているのも良くはない。 何事も「ほどほど」が一番動きやすい。 空間は余白へと変わり、余白は人間を豊かにする。 だが、「ほどほど」の知識・教養・コミュニケーションの種を蒔いておかないと、余白は空虚へと変わり、空虚は人間を堕落させる。この点だけは留意しておかねばならないだろう。 少ないなら、自覚して増やせばいい。増やすことより自覚する方が大事だと気付くのに四
陽の光が満遍なく地上を照らし、空には雲一つない青空が広がっているというのに、この胸のざわめきはなんなのだろう。 そう。 「世界」はこの上なく平等で美しい。しかし、「社会」はこの上なく不平等で不条理で、かつ醜い。 そして、悲しいかな私達が生きているのは「世界」ではなく「社会」なのである。
今日という日に問う 現実と幻想を結ぶ線は 同一性であるか否か
エリオット・スミス 『FIGURE 8』 明確なバンドサウンドにオーケストラの様相が自然に溶け混ざり、そこにエリオット・スミス特有の憂いを帯びた声が絶妙にマッチしている。 2000年以降のアルバムでは五指に入る傑作。
世の中から幸せが少なくなったとは思わないけど、幸福感は少なくなったと思う。悲しい錯覚。