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「 "よ" って呼んで 」

「 "よっちゃん" じゃない!」
「 "よ" って呼んで!!! 」

顔がまっかっかになるくらいの怒りをのどが焼けるくらいの大声に乗せて、幼き頃のよしみちゃんはお母さんに怒鳴った。うーんよく覚えている。


たしか幼稚園の年少さんでいちご組だった気がする。
もうすぐ年中さんになる、みたいな時期の休み時間。あおちゃんのひとことで4歳の乙女たちはどきどきとしていた。

あおちゃん「わたしね〜 今度ね〜お母さんとね〜」

ざわざわざわ。他の3~4人で顔を見合せた。
"わたし" …?!
「今あおちゃん "わたし" って言った!?」
「自分のこと "わたし" って呼んでるの!?!」
結構な衝撃だった。
一人称が " わたし "だなんて、そんなそんな、かっこよすぎるじゃないか。
当時自分のことを "よっちゃん" と呼んでいた身からすると、あおちゃんがすごくすごくお姉さんのように感じられた。

わ、た、し

ちっちゃなちっちゃな声でつぶやいてみては、うーむ、よっちゃんにはまだ早いなあと思った。


また別の日。いちご組にて。
大好きなお友達のわかちゃんとおえかき。
わかちゃんの名前は「わかな」で、よっちゃんもみんなも "わかちゃん"と呼んでいた。
わかちゃんはすごく可愛くて、絵が上手でよっちゃんの憧れだった。

「これよっちゃんにあげるー」ってわかちゃんが女の子の絵をくれたのが嬉しくて、自分も描けるようになりたくて、おうちで何度も何度も模写をした。たぶんこれまでの人生でいちばん誰かに焦がれ努力をしたのはこの時期。

そんな当時のマイミューズわかちゃんがスケッチブックの上でクレヨンを走らせながら口を開いた。
「よっちゃんは何色がすき?わかはね〜」
「わかちゃんちょっとまって」
ざわざわざわ。これはよっちゃんの胸の中の音。
ちょっとまって。"わか"、だと?

なんておしゃれなんだ!!!

そのあとの帰りの会もバスの待ち時間の手遊びタイムもバスに乗ってからもずっと "わか" という響きがよっちゃんの頭から離れなかった。なぜ今までこんな素晴らしい呼び方に気づかなかったのだ。くう、素敵だ。

「よっちゃんの名前は "よしみ"だから…」
よっちゃんなりにめちゃくちゃ考えて、この法則でいくと、一人称は、

「 …"よし" ?」

バスに乗っている他の誰にも聞こえないようにふつりと呟いた。心がふわあっとした。湯気がたちこめる感じ。
おお。ちょっとちょっと、いい感じじゃないか。

いや待てよ、これってもしかして、もっと文字少なくしたらもっとかっこよくなる????

「よ」
「 "よ" はね、」
「 "よ" が好きな色はね、」

どきどきどきどき。これやばい。相当かっこいいぞ。
その瞬間からよっちゃんは「よっちゃん」を卒業し、「よ」になった。


バスがおうちに着いた。
何も知らないお母さんは「よ」の被害者となった。

お母さん「よっちゃん、あのさ〜」
よ「 "よっちゃん" じゃない!」
お母さん「え?」
よ「 "よ" って呼んで!!! 」

よ は、ばちくそにキレていた。なんて理不尽な。ごめんねお母さん。

お母さん「え?なんて?余?」
よ「 "よ" なの!!! 」
お母さん「殿様か」

目に涙をためながら よ はキレ散らかしていた。

それからというもの、家族といるときはその一人称でしばらく頑張った。
早く幼稚園のみんなにもこのかっこよさを見せつけたかったけれど、身体に馴染むまでには練習が必要なのだ。
幼稚園では「よっちゃん」として、家では「よ」として1週間くらい(あるいは3日くらいか。あの年齢にとっては3ヶ月くらいには感じたものです。)過ごした。
二面性がある感じというか、本当はプリキュアだけど正体を隠しているみたいなのを感じていて、その気持ちもまた「よ」あるいは「よっちゃん」をにやにやさせた。


ついに時は来た。
「よ」としての通園デビュー。
なるべくたくさん人がいるところで披露したいものだ。だってさだってさ、「よ」だぜ?超かっこいいじゃんね。
たぶんいつもより背高く見えるんじゃないかってくらい胸を張って過ごしていたと思う。

そんなわくわくどきどきな日、あおちゃんの "わたし" 呼び事件の際のメンバーが揃う時間があった。ここだ。ここしかない。

「え〜!よっちゃんって自分のこと"よ"って呼んでるの〜!!?」
「よっちゃんかっこいい〜!!!!」

いやあ、そんなそんな。みんなも真似していいよ。
何度も脳内でシミュレーションしたあの光景を現実で見る時が来たのだ。最高のデビューの幕開けだ。


あおちゃん「それでね、わたしお母さんとね、おうちでゼリー作ったの!」
みどりちゃん「え!おうちで?!すごいね!みどりはねー」

ふむふむ、そろそろいい頃合いかな。
あおちゃん「えーいいね!よっちゃんは?」
きたきたきた。ここだ!
みどりちゃん「よっちゃんはなにしたの?」
いけ!

よ「よ はね〜、おうちでおえかきしてたよ!」
キャー!!!言っちゃった!言っちゃった!

ざわざわざわ。ざわざわざわざわ。
そらそうだろ。なんてったって「よ」だからな。

あおちゃん「今、よっちゃん、自分のこと…」
みどりちゃん「よ って言った…?」
さあ、盛大にたたえてくれ。

みんな「変なのー!!!!!!!!」

え?
は?え?
いやいやいやいや。えーーーーまじで?
えーーーーだめ?まじか。えーーーー?

よ「ううん、いまのは違うよー間違えた」
よっちゃん「よっちゃんはね〜」

頭の回転が良いこどもだった。うろたえたことを悟らせないように切り替えてこう発言するまで1秒もかからなかった。

「よ」は大変短い寿命で「よ」としての時間を終えた。そうして「よ」は帰りのバスで少しひとり反省会なるものを開催し、おうちに着くまでの間には完全に「よっちゃん」に戻った。


おうち、何も知らないお母さん。

お母さん「よ、夜ごはんなににしようか」
今朝まで"よ"だったひと「……よっちゃん」

お母さん「え?」
さっきまで"よ"として生きていたひと「だぁかぁらぁ!!!!!!!!」
お母さん「え?????」
まあまあ"よ"を気に入っていたひと「 "よ" じゃない!」
お母さん「いやいやだって」
よっちゃん「 "よっちゃん" なの!!!!!!!!!!! 」

泣いて泣いて怒鳴って泣いた。
はあ、これまた盛大にキレ散らかして、お母さんは笑いが止まらなかったという。こわかったあって今でも言う。可哀想に。

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