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心と身体が離れたときのこと

自分の心と身体、すなわち精神面と肉体面はいつでもニコイチ。たくさん身体を動かせば「疲れたな」と心も動く。そしてお腹がすいて「美味しいご飯を食べたいな」と感じる。至って当たり前のこと。
でもこの「当たり前」がちょっと前まで私の中でぶっ壊れてしまっていた。


遡ること約3ヶ月前。
20歳の私は専門学校を卒業して4月から社会人になった。
学校があった東京から就職先の宮城へ引越しをした。
とはいえ、会社の都合で引越し自体は5月中旬で、その日まで約1ヶ月ずっと会社負担でホテルで生活をしながら出勤していた。

厳しいと聞いていたはじめの2週間の新入社員研修は凄まじいもので社会人と学生の違いをたっぷり浴びせられた。

会社が用意してくれて泊まっていたホテルは素泊まりで食費を少しでも浮かすためにレンチンで食べられるパックご飯と毎日スーパーの夕方のタイムセールを狙って買ったお惣菜を食べた。毎朝50円の菓子パンをホテルの無料のコーヒーと一緒にちびちび食べた。1日145円でしのいだ日もあった。

土日には新幹線で東京の家に戻って引越しの準備をした。身内は離れて住んでいて誰にも手伝いを頼めなくて1人でダンボールにひたすら荷物を詰め込んだ。そしたらまたすぐ宮城に帰ってホテルから会社へ。

気づけば約1ヶ月の間で東京~宮城間を3往復半もしていた。

私がおかしくなり始めたのがいつからなのか、正直定かではないがこの多忙極まる期間で確実に私は自分自身の異変に気づくことになった。

忙しすぎると人は「心」と「身体」どちらに先にガタがくると思いますか。
私は後者だと思っていた。
でも実際は前者だということを身をもって知った。
もっと正確に言うと前か後かでもなくて、「心」と「身体」が離れてしまうんです。バラバラに。


疲れを感じなくなった。
研修中の貴重な休みの日、私は散歩へ出かけた。
元々散歩が大好きで気晴らしになると思ったからだ。でも今思えばあれは異常だった。
どれだけ歩いても疲れなくて、疲れないからいつまでも歩き続ける。「身体」は疲れているはずなのに「心」が離れてしまっているから疲れを脳が感じない。気づけば知らない場所を10km以上も歩いていた。
次の日になって足が筋肉痛になってやっと、ああ、疲れたんだ と事実を受け入れる程度だった。

食欲が湧かなくなった。
空腹は感じる。グーグーお腹も鳴る。でも、「食べたい」と思うことがなくなった。あんなに食べることが好きだったのに。
でも、食べないと「身体」にまでガタがきてしまうことは分かっていたから無理やりにでも食べた。いつもより味が薄く感じた。
1人だと本当に何も食べなくなってしまうから、友達を誘って一緒に食べてもらったりもした。

夜眠れなくなった。
あれだけ歩いたり仕事で頭を使ったりしているのに眠くなくて夜はいつまで経っても眠れなかった。でも「身体」はちゃんと疲れているわけで、いつか倒れてしまうかもしれないと怖かった。

全体的に感情が乏しくなった。
というか、自分のことなのに全てが他人事のように感じられるようになってしまった。
私は始め、このことが「自分自身を客観視できるようになった」と勘違いしていた。
でも段々とその距離は大きくなっていって、私は私をずっと第三者の視点で見ているような感覚に陥るようになった。

これ、よく分からないですよね。説明するのも大変。

例えば食事中。友達と2人がけのテーブルに1対1で椅子に座ってご飯を食べる。
そこに座っているのは紛れもなく私。オムライスを食べているのも私。「たまご、ふわふわで美味しい」と感じているのも私。
でもその「楽しく友達と一緒にオムライスを食べている私」を肉体だとして、精神はそこから離れて遠くにいて、食事中の私を見ている。
そんな感覚。
言葉に上手くできないけれど、自分が自分ではないように感じられてしまってとにかく気持ち悪かった。

ここまで書いたようにこれは実際になってみないと本当に分からなくて、誰かに相談してもわかってもらえる訳もなく、「疲れているんだよ、休んで」そう言われるだけだった。
疲れているのも休まなきゃいけないのも自覚している。
でも休み方さえも分からなくなっていた。
そもそも現実問題引越しも終わっていないあの多忙な時期に休むことなんて不可能だった。
精神科にでも行こうか。そう思ったけれど会社で入る社会保険証もまだ手元になくて住所も曖昧な私は病院にも行けなかった。

どうすればいいか分からなくて、頼る人もいなくて、ただただ歩くことしかできなくて、でも眠れないし食欲も湧かないし、生理も止まっているし、いつ倒れてしまうかが怖くて怖くて自分の異常に気づいてからは不安で毎晩泣いた。
それでも死にたいとは微塵も思わなくてむしろ生きたくてでも生きていたいからこそ不安で涙が止まらなかった。原因だとかそういうのはどうでも良くてどうやったら元の自分に戻れるのかそれだけが知りたかった。

とりあえず、と思ってダメ元でググッた。

「自分が自分ではない感覚 気持ち悪い」

これでググッた。

もうそうするしかなかった。
でも簡単にその時の私の症状と全く一緒の病名?症例?が出てきた。


「離人症」「離人感・現実感消失症」
初めて聞いた。

身体または精神から自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的にあり、自分の生活を外から観察しているように感じること(離人感)や、自分が外界から切り離されているように感じること(現実感消失)があります
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/

便利な時代に生まれたことをありがたく思った。
ネットが普及していなかったらぶっ倒れていただろうな。
強いストレスから発症することもあるらしい。

私の場合はきっと環境が変わりすぎたことが原因。心にも身体にもストレスがかかりすぎていた。


病院に行ったわけではないので私が本当にこれを発症したかも分からないけれど、あっさり自分の事実に名前がつけられて「あ、大丈夫だ」と少し安心して 、ちょびっとずつご飯が美味しく食べられるようになった。
それから5月中旬に引越しが終わって私はどんどん回復していった。

そして、完全復活したな と思える日を迎えることもできた。
それは5月末の退勤後のこと。帰りにカフェに寄ってコーヒーをお供に個人的な制作をしていた(今更ながら、私はデザイナーをしています)。
久しぶりに「楽しい」と心が喜んでいる感覚があった。
2、3時間ほど経ってすっかり暗くなった外へ出た時、胸が高鳴っているのを感じた。「これだよこれ」という気持ちになった。カフェインのせいなのかとも思ったけれどこの日から今日まで毎日楽しく生きられているのであの日私は完全に復活したのだと思う。
症状をネットで調べている時に、離人症の症状は臨死体験にも似ている という旨の文章もどこかで私は見た。確かに言えている。カフェから出て復活したとき、生まれ変わった感覚があったから。それまでの自分は死んだように感じられた。

今、私は毎日ハッピーに生きているけれど、いつまたあのときみたいになってしまうのかが分からないのはかなり怖い。地獄のような日々だったから。

私がこの記事を読んでくれた人に伝えたいのは、「身体」よりも「心」に気を配って欲しいということ。
それから「好きなこと(ものでも人でも)」を大切にしてほしいということ。

自分の「好き」は自分自身をいつだって助けてくれるのだと私はいつも信じているし、今回のことがあって改めて実感した。
もし私みたいにどうしようもなくなってしまったとき、少しでもその不安をマシにしてくれるはずです。

「好き」を大切に大切に抱きしめて明日からも幸せに生きていよう。そう思うばかりだ。


今回はこの辺で。読んでくれてありがとうございました。

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