連載小説★M&A春風(ダイジェスト)第7章 FA(フィナンシャル・アドバイザー)
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第7章の1分ダイジェスト
第7章 FA(フィナンシャル・アドバイザー) 本編
第44話 第一問
「では、卒業試験第一問だ」
朝一番から、山田が妙にニヤニヤしながら宣言する。
「え?いきなりですか!?」
真奈美は慌ててメモとペンを手にした。
「今日すべきことを答えなさい」
「き、今日、ですか?え、えっと……」
突然すぎて頭が真っ白になる。
通勤途中で、整理してきたつもりだったのに……。
(聞き方がいけずなのよ)
確かに正論ではあるが怒っていても仕方がない。
真奈美は小さく深呼吸した。
「IW銀行に連絡し、IWBC証券にFA提案してもらうよう要請します」
FAとはフィナンシャルアドバイザーのこと。
これまでの本案件に対してメインバンクのIW銀行に調査協力を仰いた経緯を考えると、やはりその系列であるIWBC証券が本命であることは変わりない。
「いいね。さっさと進めよう」
「は、はい。そうします」
「で、IWBC証券からはいつ提案をもらう?」
「そうですね。今週中くらいには……」
すると、山田は怪しい表情で真奈美を見つめた。
真奈美はあわてて方向修正する。
「……では、ちょっと遅いですよね?」
「先日あれだけ言っておいたからね。IWBC証券はもう提案の準備はできているはずさ」
「確かに」
山田は銀行の担当者をおちょくるかの如く弄りながら、FA提案をするよう促していた。これを逃すはずはない。全力で準備あいているだろう。
「今日明日にでも説明してもらえると思うよ」
「わかりました。依頼します」
「事業本部も同席させちゃえば話は早いよ」
「そうですね。そうしましょう」
無茶なスケジュールを立てることが多い山田だが、確かにその方が圧倒的に効率が良い。
真奈美は、メモに書いてあったやるべきことリストをさっと修正する。
「あとは、他の投資銀行からも提案をもらうかどうか。
これは後程、事業本部に決めてもらおう。
あくまで、本命はメインバンクだということは伝えておいてね」
「はい、わかりました」
こうして、今日の段取りが決まっていった。
第45話 覚悟
早速、IW銀行に連絡を入れると、やはり、
「お任せください。すでにIWBC証券には繋いでおります。
午後にでもお時間ください。伺わせます」
とのことだった。
その直後に、山田に電話が鳴る。
また、楽しそうに雑談しているところを見ると、おそらくIWBC証券の営業が早速挨拶というか御礼の電話をかけているのだろう。
続いて、パワーロボティクス事業本部の澤田企画部長に連絡を入れ、状況説明と、IWBC証券との打ち合わせへの同席依頼を告げる。
「え?そんなことになってるの?」
澤田は大いに驚いているようだ。
「はい。早いうちにこちらからアプローチできれば、良い交渉関係が築けそうです。ですので、急いでアドバイザーの段取りを進めたいと思います」
「ち、ちょっと待って。急すぎてまだ実感が湧かない。
というか、覚悟ができていない。
一旦、本部長と相談するから、ちょっと待ってて」
澤田は慌てて電話を切った。
「どうだった?」
山田が近づいてきて質問する。
「……はい。それが、なんだか、まだ覚悟ができていないから本部長と相談すると……」
正直、事業本部からの依頼で探していた買収案件が動き始めるのだから、大喜びしてくれると思っていた。
かなり、拍子抜けだ。
そんな気持ちを察したのか、山田は少し大げさに笑った。
「ははは。よくあることだね」
「そうなんですか?」
「ああ。例えばさ。タワマンの抽選にダメもとで応募したとしてさ」
山田はたとえ話で持論を展開した。
「応募しているときはウキウキだ。
でも、いざ合格したら、本当に何千万も払って大丈夫かとか、現実が目の前に広がって不安になってしまう、みたいな感じかな」
人生最大の巨額の支出を、本当にしていいのか?
他にもっといい物件があるのでは?
真奈美は、タワマンなど買おうと思ったこともなかったが、その気持ちはわかる気がした。
「……たしかに、不安になっちゃいますね」
「でしょ?だれもが決心をする前には一旦縮こまるもんだ」
「そうかもしれませんね」
「まあ。大丈夫。彼らが本当に事業成長を考えているなら、最終的な結論は変わらない。少し、覚悟を決める時間を与えればいいのさ」
山田は、真奈美の肩を二回くらいバンバンと叩くと、笑い声と共に自分の席に戻っていった。
その後、澤田から本部長の合意を得たことと、IWBC証券との打ち合わせに本社で参加する、との回答を受けたのは、昼休み直前だった。
第46話 コーポレートファイナンス本部
本社の応接室に、パワーロボティクス事業本部から山根本部長、澤田企画部長、内村係長が駆けつけていた。
すぐに、IWBC証券も到着。
それぞれ、名刺交換をして席に座った。
「本日はご足労頂きありがとうございました。今回、プロジェクトマネージャーを務めさせていただきます、酒井と申します」
続いて白馬機工メンバーにそれぞれ簡単に自己紹介をしてもらう。
それを受けて、IWBC証券の一番偉そうな男が挨拶を始めた。
「この度は、提案の機会を頂きありがとうございました。本日は、提案書をお持ちしましたので、こちらを使いながらメンバーの紹介、そしてご提案をさせて頂きたいと思います」
若手がさっと席を立ち、提案書をそれぞれに配り始める。
資料は50ページほどの大作。かなり分厚い。
「まずは弊社の紹介からさせて頂きます。お手元4ページをご覧ください」
そこには、IWフィナンシャルグループという持株会社をトップとするグループ構成図が書かれていた。
一番左にIW銀行、信託銀行、そして、IWBC証券。
その右にも、投資会社やリース会社、信販会社、情報サービス、コンサルとグループ企業が並んでいる。
当然、証券業務を担うIWBC証券は、銀行に次ぐ主要事業である。
「そして、メンバーは……」
次のページに、メンバー紹介が、それぞれ写真付きで載っている。
一番上には会長、社長。
その下に、インベストメント・バンキング部門担当役員。
そして、その傘下のコーポレートファイナンス本部と、アドバイザリー本部が並列で記載され、それぞれの本部長の名前が記載されている。
その、コーポレートファイナンス本部長の下に、第一コーポレートファイナンス部があり、6名ほどの写真が載っている。
その一番トップ、マネージングディレクター(MD)の写真が、今説明してくれている男性の顔と一致する。
「私が、本件責任者をさせて頂きます、第一コーポレートファイナンス部の林です。そして、左隣にいるのが、本件を実際にサポートさせていただく小野です」
すっと立ち上がり一礼する好青年。
小野ディレクター(D)だ。
(……なかなか、爽やかね。なんだか、投資銀行って爽やか系が多い気がするのは気のせいかしら?)
真奈美は、また小巻に弄られそうだと身震いする。
(私、もう彼氏いるんだからね)
「そして、M&Aのアドバイザリーとして、実際に案件を担当するのはアドバイザリー部になります」
すると、右隣りの男が説明を引き継いだ。
(この人もまた、めちゃくちゃイケオジじゃない……って、いかんいかん。そうじゃないわよね)
真奈美はこつんとこめかみにこぶしを当てた。
第47話 アドバイザリー本部
「私が、本件の実行をリードさせていただきます。アドバイザリー本部、第一アドバイザリー部の高木です」
渋い笑顔を見せる高木。マネージングディレクター(MD)だ。
(やばい、イケボだ!イケボのイケオジって、反則じゃない?)
これは絶対、小巻が食いつくタイプだと真奈美は更に身震いした。
ただ、実際に彼の魅力は外観や声ではなかった。
自身の経歴を説明していく。
東大経済学部経済学科出身、外資系投資銀行の株式調査業務を経て、IWBC証券に入社しM&Aアドバイザリーに従事、その後同業の他社銀行系証券会社に転職しM&Aアドバイザリー責任者となる。そして、最近改めてIWBC証券に転職し戻ってきた。
(えーっと……めちゃくちゃ行ったり来たりしてるわね。以前、山田チーフから、この業界の人たちは、同業や異業種へ転職しながら経験と実績を積み上げていくって聞いたことがあるけど……まさにそんな感じなのね)
事業会社ではなかなか出戻りという文化が無いので、圧倒される真奈美だった。
高木は、引き続いて自分の配下に控えるディレクター(D)やバイスプレジデント(VP)を紹介していく。
本来であれば、一気にこんなに紹介されても覚えられないけど……
(資料にちっちゃいけど、写真を載せてくれているのは素敵な計らいね。あとから誰だっけって迷わなくて済むもの)
そういえば、名刺に写真を印刷している会社もたまにある。
白馬機工でも採用すればいいのに、などと関係ないことを考える真奈美だった。
第48話 市場規模
資料は、その後、ひたすら10ページほど、IWBC証券メンバーの氏名、役職、組織、略歴、主な実例が並ぶ。
それこそ今日はここに来ていないアソシエイト(アソと呼ばれる)などの紹介までびっちりと。
(まあ、ここは読み飛ばしてもよさそうね……)
その次のページから、今度はIWBC証券がこれまでにM&Aアドバイザリーを受託した実績紹介が何ページも続く。
そういえば聞いたことがある案件もたくさん。
どうやら、数年前に白馬機工のM&Aにも携わったことがあるらしい。
そりゃ、メインバンク系列だから、当たり前の話ではある。
「では、続きまして……」
こうして、やっと話が本題に入る。
ページにして20ページを超えている。
(……前置き、長っ。あまりじれったいと嫌われちゃうぞ?)
そんなことを考えながら、続いてページをめくると、真奈美の手が止まった。
(これって……)
建設業界の地域別の市場規模推移が並んでいた。
三島建機の顧客のカテゴリーだ。
アジアの伸びが中国を抜いていく勢い。インドも強い。
日本は引き続き堅調だが、人口減のため住宅需要は下降気味。
逆に、工場や倉庫のような産業需要が伸びる予測だ。
「労働力不足が加速する背景から、産業需要が伸びてきます。その結果、大型箱物の需要が伸びていきます」
顧客に業界動向から市場予測を見ている。
それが、建機市場に直結するからだ。
さすが、あらゆる市場動向のアナリストを抱えている金融機関だからこその情報だった。
(特に、市場の今後の予測って、なかなか取得できないのよね……)
林MDは説明を続けた。
「……ですので、建機需要も必然的に全体としては伸びていく予想ですが……」
第49話 PPM分析
「建機の市場予測はこちらになります」
資料には、横軸に利益率、縦軸に市場成長率のバブルチャートが示されている。
トラクター、油圧ショベル、建設用クレーンなどの主要機械は非常に大きな円を、グラフの右真ん中ほどに並べている。利益率はかなりよく、それほど大きくはないが今後も成長していくことを示している。
一方で、今回買収の対象となる建機ロボティクス分野は小さな点。まだまだ市場規模が小さいということだ。
その一としては、利益率はよくないが市場成長率は建機業種の中でもグラフの一番上に君臨していた。
「つまり、期待はされていますが、まだしっかりと決まったビジネスモデルと規模が構築されていないため、利益も出ていないことを示します」
真奈美はバブルチャートをじっと見つめた。
「これって……」
真奈美がぼそっと呟く。
林はそれを逃さなかった。
「酒井さん、お気づきですか?」
「え、あ、いや、気付いたというかなんというか……」
真奈美は慌てて顔を真っ赤にした。
(思わず、口から出てしまうクセ、そろそろ直さなきゃ……)
そうはいっても、すでに出席者全員の注目を浴びている。
何か答えなきゃ……
「あの、いわゆるPPM分析でいう、問題児……かな、と思いまして」
すると、林に代わり、高木MDがイケボで答えた。
「はい。まさにその通りです。市場成長率は高いけれども、競争が激しいもしくはこれから競争が起こる領域です」
真奈美は、間違っていなかったようでほっと胸をなでおろした。
PPM分析法によると、①市場成長率と②マーケットシェアの組み合わせで対象事業の状況を4つに分類できるとのこと。
・①②とも高ければ最高、すなわち『花形』
・①はいいけど②は低い場合は『問題児』
・逆に②はいいけど①はいまいちであれば『金のなる木』
・①②とものダメなら『負け犬』
というわけだ。
真奈美はそもそも経営管理出身。このような経営分析の知識は備わっているが、経営企画のようにポートフォリオマネジメントに関わってきたわけではないので、外れたらどうしようかとドキドキしていたようだ。
「『問題児』がすべて悪いというものではありません。むしろ、最大のビジネスチャンスにもなりえるのです」
高木の説明に、事業本部の山根本部長が反応した。
「つまり、今回の件は、問題ではなくチャンスだということですか?」
「はい。問題児と言われる所以は、競争が激しくシェアが低いことから利益が出しにくいからです」
「なるほど」
「ただし、逆に言えば、適切な投資をしてシェアが上がるのであれば、これは『花形』や『金のなる木』になる可能性を秘めているということです」
まだ市場が立ち上がっていないので利益率は低い。ただし、もし市場が立ち上がって、そのときにシェアも高めることができれば……
(花形!まさに、スターだわ)
「つまり、ハイリスク・ハイリターンです。このハイリスクを、御社であればローリスクに変えられる。これが、M&Aの面白いところです」
いつの間にか、林から説明のポジションを奪い取った高木のイケボが、応接室全体を熱気とともに包み込んだ。
第50話 親子関係
そして、建機業界プレイヤー分析。
ここは真奈美が分析した資料と大きくは変わらない内容であった。
そして、市場分析が終わると、いよいよ続いて企業分析である。
これも流石、投資銀行の分析は広くて深い。
林は、元々の親会社である三島電機の状況から説明を再開した。
「国内有数の電機メーカー、三島電機は、近年そのポートフォリを入れ替え、現在では法人向けAIクラウドサービス事業に大きく舵を切っていることはご存知の通りです」
日本人であれば誰でも聞いたことがある大手電機ブランドだ。
家電製品も広く知れ渡っている。
ところが、主要事業はすでに電機から離れているらしい。
(いつの間に、そんなに事業が変わったのかしら……)
真奈美の疑問を、林が読み解いていく。
「彼らは元々、大きな資本が必要な機械や重電分野は積極的に子会社上場させ、本業を法人向けのコンサルサービスにシフトしようとしていました。
建機事業も、重機産業ですしレンタル事業も必要となるとやはり大きな資本が必要ですので、MFSも親子上場会社のひとつでした」
林はざっくりと説明をしていく。
「そんな中で近年、親子上場の問題点がクローズアップされ、東証も問題視している背景もあり、親子上場解消ブームが起こりました」
親子上場とは、上場企業の子会社が、子会社のまま上場すること。
その場合、たとえば親会社が51%、残り49%を市場の株主が持つようなイメージだ。
親会社と少数株主(一般投資家)の間での利益相反が問題視されている。
「そこで三島電機は、元々60%保有する三島建設の株式を売却し、近年23%まで下げ、親子上場関係を解消しました」
つまり、現時点ではすでに三島電機は親会社ではなくなっているということだ。
「まだ筆頭株主ではありますが、すでに主要事業であるAIに舵を切り持ち分も23%まで落とした三島電機にとって、重機中心の建機事業はシナジーも薄いことから、おそらく変な口出しはしないだろう、と見込んでいます」
ターゲットは三島建機の子会社だ。
交渉相手はその親である三島建機だけにしてほしい。
おじいちゃんの三島電機にまでしゃしゃり出てきたらまとまりにくい絵姿が容易に想像できてしまう。
だからこそ、IWBC証券は最初に三島電機が障害になりそうか否かから説明をしてくれているのだった。
その安心材料に、真奈美はほっと胸を撫で下ろした。
第51話 ターゲット
「続いて、三島建機についての説明となります」
次のページで、ついに三島建機が登場。
この時点ですでに30ページを超えていた。
そこにまとめてある内容は、以前に真奈美が調べた内容に比べ、いくつかの新規情報が入っていた。
「三島建機は、日本2位ですが、近年苦戦し世界シェアは10位にダウンしています。
売上は1兆円超。重機中心ですが、新規事業としてIoT化や労働者向けの現場ソリューションに着手しており、今回のパワーロボティクス事業本部さんのターゲットはここになります」
林は会社構成を指差した。
「三島建機の子会社のひとつ、三島建機フィールドソリューション株式会社。通称MFSです」
真奈美は小さくうなづいた。
彼らの有価証券報告書やHPを見ても、どの子会社が何をやっているか明確な記載がなくいまいち自信がなかったが、子会社化しているとしたらここだと当たりをつけていたところだった。
「このMFSですが、公開されている情報はあまりありませんが、弊社の三島建機担当者がヒアリングした内容が次のとおりです」
こうして、本当のターゲットであるMFS情報の共有が始まった。
次のページに移る。
「MFSは売上は約100億円。利益ははっきり分かりませんが、トントンくらいだと思われます。事業内容は現場ソリューションにフォーカスしていまして、主力製品はAR現場支援機能が付いたパワードスーツです」
そのページには、彼らのサービス内容がカラフルに説明されている。
ごつごつとした作業員支援メカ。
ぱっと見だけでいえば、白馬機工のパワーロボティクス事業本部のパワードスーツの方が洗練されている。家庭用から精密機械、産業機械まで網羅している機械メーカーである当社の方に一日の長があるということのようだ。
もともと、製品というよりは販路が欲しいという側面が強いので、その点は問題ないのだが、ARについては気になった。
ARというのは、最近流行りの拡張現実技術。
(白馬機工としては製造現場向けソリューションを手掛けているけど、建設現場向けのソリューションは全く有していないはずだから、面白い組み合わせができるかもしれないわね)
真奈美も、自分なりにシナジーの仮定を想像する癖がつき始めていた。
第52話 スタンドアローンイシュー
「あの……質問してもいいですか?」
「もちろんです」
「えっと、MFSさんは自社だけで事業を完結できているんですか?」
真奈美は一番気になっていたことを質問した。
子会社が完全に親会社やグループ会社への依存なしで自立して経営できている、すなわちスタンドアローン化ができているのであれば問題はない。
子会社の株式を買い取るだけでM&Aを実行できるので簡単だ。
しかし、親会社依存がある場合は、買収後の依存をどう解決するかが問題になる。これをスタンドアローンイシューという。
(今までの案件では、スタンドアローンイシューはあまり問題にならなかったけど、今回はどうかしら……)
すると、林に代わり高木が答える。
今回、IWBC証券チームとしては、市場・会社情報関係はカバレッジ(営業)の林、案件推進に関してはプロダクト(アドバイザリー)の高木と役目分担しているようだ。
「実は……」
少し低めのトーンから、あまり良くない情報が出てくる予感を感じる真奈美だった。
「大きく二つの課題があります」
高木は資料を差しながら説明を始めた。
「一つ目は、本社機能です。これはかなり三島建設本体に頼っています」
真奈美は小さくうなづく。
確かに、売上100億円の子会社だ。
本社部門を一式そろえる余裕はないはず。
「もう一つ。営業です」
真奈美は頭を抱えたくなった。
(あちゃー、やっぱりね。規模も機能も課題も、まさに、うちのパワーロボティクス事業本部と似すぎちゃってるわ……)
第53話 販路
山根本部長としても、本当に欲しいのは販路部分なのに、そこにスタンドアローンイシューを抱えていると言われると黙って聞いていられない。
「それは、どの程度、本体に頼っているのかわかりますか?」
山根がたまりかねて質問をする。
「概ね、半分というところです。MFSのバリューチェーンは大きく分けて二つ。一つはMFSの営業部門が直接販売サービスしている第三者リース会社向けです」
高木が資料のバリューチェーン図を指しながら解説する。
「もう一つは、サブコンやゼネコン向け。建機と合わせ、セットソリューションとして本体の営業部隊が商談しています。彼らは本体に別のリース子会社を持っていまして、そこを通じて全国のサポートも行っています」
「ふーむ。なるほど……」
山根は少し考え込む。
高木は、次の反応を待っていた。
「……本社機能、サービスは我が社のものを使えるかもしれないですね。もちろん、うちの事業本部以外の協力を得る必要がありますが」
山根は軽く自笑して、すぐに真面目な顔つきになる。
「でも、やはり、サブコンやゼネコン向けの販路が本体持ちというのは困ったところです。ここは我社では補完できない」
山根はさらに考え込んだ。
その隙をついて、真奈美が確認する。
「本体の営業部隊の一部を切り出してもらうわけにはいかないんですよね?」
「はい。聞いてみないとわかりませんが、おそらくは建機本体事業の営業部隊ですので、切り出すことは難しいでしょう」
「ですよね。リース事業も関係するわけですし……であれば、いかに継続して営業販売を続けてもらうか、ですね」
真奈美がポロッと口にした解決策は、的を得ていたようだ。
高木が大きく頷いた。
「はい、まさに、そこが今回我々が提案したい内容になります」
第54話 ジョイントベンチャー
「次のページが我々の提案になります」
そこには、今回の買収の形、すなわちストラクチャーに関する提案が書かれていた。
「たとえば御社に66%を買収してもらい、残りの34%は三島建機に継続保有してもらうJV(ジョイントベンチャー)を提案したいと思います」
JVはジェイブイ、もしくはジョイベンという。日本語では合弁会社。
つまり、複数社が株式を持ち合って共同事業を行う会社のことだ。
そのうち、過半数をもつ会社がいれば、そこが親会社となる。
「三島建機にマイノリティで残ってもらうことができれば、彼らも販売を支援し続ける大きな理由にもなります」
「確かに……でもそんなに弊社都合の提案を受けてくれそうでしょうか」
「はい。そこは慎重にアプローチ作戦を考えなければいけませんが……」
高木は力強い表情で続けた。
「三島電機グループは元々100%売り切らずにJVを作ることが多いグループです。三島建機も抵抗感は少ないと思われます」
合弁会社……真奈美は初めての提案にドキドキしていた。
(確かに、三島建機の株主にもまだ三島電機が23%残っているんだもの。可能性はあるかも)
「山根本部長、どうでしょうか?」
真奈美に意見を求められ、山根はゆっくりとうなづいた。
「確かに、本体営業やリース会社まで取り込むことは不可能でしょうし、我々もそこまでの体力はないですので、良い提案だと思います」
「そうですよね。それに、JVを通じて、三島建機さんの他の商材の相互シナジーも見込めるかもしれません」
「なるほど。そう考えると、JVは良い仕組みになるかもしれませんね」
山根と真奈美がJVアプローチへの納得感を受けて、高木は説明をさらに進めた。
「それでは、具体的なアプローチ方法についてご相談させてください」
第55話 アプローチ戦略
資料の次のページには、アプローチ戦略が記載されていた。
三島建機本社の主要人物の名前、役職、主な役割が書かれている。
上から、CEO、経営企画担当専務、経営企画チームの3名ほど。
その下に、MFSの主要メンバーも同様に記載されている。
社長、戦略企画担当役員、企画部長、そのチームメンバー。
「三島建機さんは、M&Aに関しては経営企画担当役員がトップとなり、そのチームが実際にプロマネをすることが多いです」
資料にはその旨注記とハイライトがなされている。
「我々IWBCグループはメインバンクではありませんが、本体の専務や経営企画チームとは定期的に会話をしております。なるべく早く準備をして、そこにアプローチをしていくのが良いと考えます」
真奈美は圧倒された。
(もう、アプローチ先までイメージしているんだ。さすが……)
交渉は入り口を間違えるとうまくいかないことが多い。
実際にM&Aに関わっている役員や部門にアプローチできることは重要なポイントだ。
「次のページは、この後の進め方案です。
まず、初期意向表明を提示し、IMレベルの初期情報開示を要請します。
その後、IM分析を経て価格入り意向表明を提出。
それが通れば、DD、契約交渉、最終契約と進めていきます。
相対プロセスを維持したいので、スピードが大事です」
確かに、オークションになると大変だと言うことは真奈美も身にしみてわかっている。1年前はそれで大変な思いをした。
相対プロセスで進めるためにも、スピードが大事ということだ。
IM(インフォメーション・メモランダム)とは、売り手側がターゲット企業の情報をまとめた資料で、価格つき意向表明を準備してもらうために買い手に提供するものである。
今回は、売り手が売る準備に入っていないので、おそらくはまだ作られていない。まずは、それに相当する情報の提供を頂かないと、買い手側も価格の算定ができない。
資料準備をさせて情報開示を得るためにも、早急に『初期意向表明』という形でフォーマルに買収意向があることを伝えるべき、というアドバイスであった。
「わかりました。ご提案ありがとうございます。それでは、質問をさせていただいてもよろしいでしょうか……」
こうして、この後も長い時間、真奈美と山根が交互に質問を行う。
具体的に、どのような意向表明を作るのか、そのために何を準備していけばいいのか、そのような具体的な話にもつながっていき、会議は2時間を超えても終わらなかった。
第56話 FAフィー
一通り質疑応答も終わったところで、アドバイザリー内容とフィーの提案を確認する。
アドバイザリーサービス内容は一般的なもので、初期アプローチ支援、資料作成、プロセス管理、バリュエーション、DD、ストラクチャー検討、交渉支援、契約書支援、対外公表支援、クロージング支援となっている。
フィーは、着手金あり、マイルストーン(②~④)に従って費用発生、ゴールしたら成功報酬全額支払いという方式の提案だった。
①着手金あり。
②価格なし意向表明を提出したら◯◯。
③価格ありの意向表明を提出したら◯◯。
④最終契約締結で◯◯。
⑤クロージングしたら成功報酬総額◯◯。
このようなフィー体型は概ね一般的だが……
「着手金ねぇ……」
山田の小さな声が会場に伝わる。
(出た。絶対、わざと聞こえるようにつぶやいている)
真奈美のあきれ顔など気にもせずに、山田はニヤリと笑った。
一方で、価格交渉を受けて立つカバレッジの林はしどろもどろだ。
「いや、これはですね。やはり最初の意向表明にかなり力を入れなければいけないので……」
(あーあ。こりゃ、山田チーフにコテンパンにやられそうね)
そう他人事で見ていた真奈美だったが……
「そうらしいよ?酒井さん。どう思う?」
山田にいきなり振られて、真奈美は動転した。
「え、えっと、あの、ですね」
(もう……だから、いきなり振らないでよ)
第57話 ビューコン?
真奈美は深呼吸を一回。
「えっとですね。①着手金と②1回目の意向表明の棲み分けを教えてもらえますか?重複しているのならやはり見直しもお願いしたいのですが……」
すると、林は頭をぼりぼりかいたいて、苦しそうに答えた。
「えー、一度持ち帰りまして、再検討させてください」
山田はその答えに満足したようだ。
「ぜひ、よろしくお願いします。そうじゃないと、ビューコンという話も出ちゃうかもしれませんからね」
「必ずご満足いただける提案を、もう一度提案致します」
ビューコンとは、ビューティーコンテストの略で、候補となる複数の投資銀行から提案を受けて選定することだ。
IWBC証券およびIW銀行グループからすれば、せっかくこれまで頑張って他社より先に提案したのに、他社にFAを取られたくないから、できる限りビューコンに持ち込まずに採用してもらいたいに決まっている。
(……まったくもう……社内外分け隔てなくにこちゃんドSを貫くところは立派ですけどね……)
こうして宿題を持ったIWBC証券を見送りし、真奈美と山田は山根たちと向き合った。
「山根さん、彼らにはもう少し検討してもらいますが、IWBC証券のフィー水準は妥当なレベルです。提案内容もしっかりしていましたし、特に異論がなければこのまま相見積もりなしで彼らを採用したいと思うのですがどうでしょうか?」
山根は二つ返事で答えた。
「はい、メンバーも頼もしかったですね。私は異論ないです。予算はうち持ちですよね」
「はい。お願いします」
「わかりました。まあ、これで買収ができるなら安いもんです」
山根が苦笑いするが、真奈美としては追い込みをせざるを得ない。
「あの……この後、DDになりましたら、弁護士や会計士、税理士、場合によってはコンサルなども必要になりますので、そちらもお願いします……」
「ああ、そうですよね。わかりました。費用が出せないから検討できないなんて本末転倒です。澤田さん、予算の組み替え、相談しましょう」
それを聞いた澤田の表情は、今まで見た中で一番どんよりしていたのだった。
第58話 嵐の前の……パート7
風物詩である潮騒が静かに流れる沖縄料理屋。
店の中に入ると、ここが新橋だとは信じられない雰囲気だ。
目の前に広がるのは明るく開放的な空間。
テーブルには鮮やかな沖縄の花が飾られている。
床には砂や小石を模した装飾が敷かれ、海岸に足を踏み入れたかのような感覚。
山田はメニューを手に取った。
豊富な種類の沖縄料理が並んでいる。
料理が運ばれてくると、香ばしいそばの香りとゴーヤーチャンプルのスパイシーな香りが漂った。タコライスは、ジューシーなタコとトマトソースがご飯と一体となり、見た目にも食欲をそそる一品だ。
二人はオリオンビールで乾杯し、箸を進めた。
「今日はお疲れ様。うまくリードできていたと思うよ」
「あ、ありがとうございます。いえ、まだまだです。IWBC証券さんの提案が凄くて圧倒されちゃいました」
「気合い入ってたもんね。フィーも頑張っているし、良い提案書だったよ」
真奈美はクスクス笑った。
「でも、ビューコンちらつかせるなんて……意地悪ですよね?」
「ははは、冗談で言ったんだけど、真に受けちゃったみたいだね」
「まったく……人が悪いですよ」
山田も頭を書いて笑う。
ラフテーが運ばれると、二人の口の中にジワーッと旨みが広がる。
「次、泡盛飲んでみる?」
「泡盛ですか?私、飲んだことなくて……ちょっと怖いですね」
「沖縄では泡盛を使ってラフテーを煮込むらしいよ。この旨みもその恩恵かもね。だから、ラフテーには泡盛が合うと言われているんだけど……」
山田の提案を聞き、真奈美は唾をごくりと飲み込んだ。
「チャレンジしてみる?」
「……ぜひ!」
こうして、真奈美にとっては平日連チャンとなる飲み会はまだまだ続くのであった。
おまけ(ここまでの補足説明リスト)
本作では、補足説明にも力を入れています。
どんな項目の補足説明をしているか、リストをつけておきますので、気になりましたら見てくださいね🎵
第1章
第1話 M&Aプロダクトチームの構成(オーナー、PM、PMO等)
第3話 オーガニック成長とインオーガニック成長
第7話 ソーシング
第二章
第11話 ビジョン(M&A戦略)
第三章
第19話 バリュチェーン
第20話 ロングリスト
第四章
第22話 メインバンク(銀行の呼び方)
第23話 ディスクレーマー(免責事項)
第25話 商業銀行と投資銀行
第26話 メガバンクへの相談
第五章
第29話 非上場企業調査方法(有料リサーチ、沿革、登記簿、求人サイト)
第32話 TOB
第六章
第34話 東証適時開示
第36話 善管注意義務
第七章
第44話 FAについて(IBD、FAS、ブティックなど)
第46話 IBDの組織構造と役割(カバレッジとプロダクト)
第49話 PPM分析(問題児とか花形とか)
第50話 親子上場
第52話 スタンドアローンイシュー
第54話 JVにおける議決権比率(コントロールと連結会計影響)
第56話 FAフィー体系
第57話 ビューコン(ベイクオフ)
……投資銀行(証券会社)が提案しに来た第七章は補足説明の量も半端じゃないですね🎵
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