今振り返る-想像力の翼が広がったロックダウン下の日々-
参加しているオンラインコミュニティの主催者、田中健士郎さんが発信されているPodcast「働き方ラジオ」で、同じコミュニティに参加されていて同じイタリアに住んでいらっしゃるリサさん(すごいご縁!)が、コロナ禍でのロックダウン生活を語っていらっしゃいました。
ゆったりとした口調で語られるお話を聞きながら思い出したのは、未知のものを相手にしている不安と戦いながらも、なんとか心の平静を保とうとしていたあの日々のこと。
約3か月に渡ったロックダウン=ステイ・ホーム政策で、一番頭を悩ませたのは子供のことでした。当時4歳の娘に状況を理解してもらいつつ、いかに「不便」「つまらない」と感じずにおうち時間を楽しんでもらうか。
Podcastを聴いたことで溢れ出した記憶の中のロックダウンの日々、想像力を持つことで暗く沈みがちな日常が虹色にきらめいた瞬間の想い出を振り返ってみたいと思います。
「不要不急」のない子ども達は家から出られない
ロックダウンが始まって、許可されたのは「不要不急」の外出だけでした。
・生活の基幹に関わる仕事への通勤
・緊急の際に病院に行くこと
・スーパーでの買い物(週一回、家族から一人)
・犬の散歩(自宅近辺に限る)
大人は交代でスーパーに行ったりゴミを捨てたりと、多少は家の外の空気に触れることができましたが、子どもは公園で遊ぶこともダメ。学校はロックダウンになる前に早々に休校していたので、子ども達が家から出られない期間は長期化しました。
家の中で一緒に遊ぶにもネタはどんどん尽きていき、とはいえ、TVやタブレットを一日中見せるのも如何なものか......という状態。
そんな我が家のもやもやした日々をキラキラに変えたのは、旦那さんの想像力でした。
壁に虹を書く
ロックダウンが始まってから、イタリア全土に虹の絵が飾られるようになりました。「Andra' tutto bene(きっとうまくいくよ)」という言葉と虹の絵をシーツやTシャツに書いて、家の窓やバルコニーに飾りましょう、という試みです。
娘の幼稚園からも、「お子さんに虹を描いてもらい、クラスチャットで共有してください」とSNSで連絡が来て、娘は張り切って作品を作りました。
でも、そこで終わらなかったのが我が家。
「よし、子供部屋の壁に絵を描こう!」
旦那さんは、真っ白だった娘の部屋の壁に虹を描こうと言い出したのです。
「は?壁に虹?ひっぺがしてバルコニーに飾れないのに、何言っちゃってんの?」
私は突拍子もないアイデアに唖然としていましたが、自分の部屋の壁という大きなキャンバスに好きな絵を描いていいと言われた娘は大喜び。何をどんな大きさで描くか、想像は無限大に広がります。
言い出しっぺのパパはもちろんノリノリ!
朝から晩まで気が向くと壁の前に座り、大きい図体に似つかない(笑)繊細なタッチを披露し、「こんなに一緒にいても知らない一面があるんだな」と私を驚かせることに。
パパと娘の壁画制作という壮大な共同作業は何日も続き、「どんな素敵な部屋になるかな」と、大作ができあがっていく過程を見守るのが、完成までの私の日課になりました。
ベランダに咲く花は画材に
人間がステイ・ホームしている間も、当たり前ですが草木は育ちます。
窓を開くと空気の温かさに春を感じるようになったある日、旦那さんがベランダでごそごそ動いていました。
猫の額ほどのベランダが植物園のような我が家。
「ベランダの掃除でもしているのかな?」と思ったのですが、娘を子ども部屋に呼んでなにやら作業を開始した模様。
「またパパがへんてこりんな遊びを生み出したのかな」
子供部屋を覗いてみたら、ベランダに咲いた椿の落ちた花弁を集めて、お姫様のドレスを作ってました。
絵具ではない、自然の素材を使ったお絵かき工作。ただ画用紙に絵を描くことにちょっと飽きていた娘も、これには大満足だったよう。
ステイ・ホームの中でふわっと我が家に入り込んできた春の気配に、心が暖かくなりました。
テレビゲームは段ボールのF1マシーンに乗りながら
三ヶ月以上続いた娘のステイ・ホーム。もちろんTVやゲームは切っても切れない遊びの一部でした。
ある日、「ゲームをしよう!」という旦那さんが引っ張りだしたのは、ゲームのコンソールではなく段ボール箱。意味不明です。
私と娘の見ている前で段ボールに鉛筆で設計図を書き始めた旦那さん。設計図の通りに段ボールを切った時に、ようやく合点がいきました。なんと、段ボールでF1カーを作っていたんです。
「これに乗ってゲームしたら臨場感が出ると思うんだよね」
はぁ、左様ですか。
またまた私には思い付かない発想です。
旦那さんが作ったF1カーは、細部に渡ってなかなかに凝っていて、娘は大はしゃぎで乗り込みました。
本当は娘に彩色して仕上げてほしかったようなのですが、塗り絵よりはゲームが良かったらしく、F1カーは未完成。
そしてブームが去った数日後には粗大ゴミの中へと消えていきました。
制限は心の自由までは奪えない
「家の中で家にある材料を使って」という制限がある中で、いかに娘にチャレンジの機会を与えて楽しんでもらうか。
アイデアが乏しく苦心していた私を助けてくれたのは、旦那さんの「子供の心」でした。
元来どっしりと構えて何でも楽しんでしまう気質を持った旦那さんでしたが、こんなに頼もしく思ったことはありません。思いつきを実行に移す行動力はピカイチでも後始末は私、といういつもなら夫婦喧嘩の種になることも、あの頃は期間限定で笑って許せました。
不自由なロックダウンの日々が心の翼で魔法のようにワクワクしたものに変わる。
旦那さんと娘を眺めていたあの日々、長年の友人がSNSに綴った言葉を私は肌で感じていました。
「制限とは
自由を奪うものではなく、
時に想像の翼を広げるための
ブースターともなりえるのだと。」
あれから1年半経ち、イタリアではワクチンの接種が進み、少しずつコロナ前に近い生活が戻ってきています。
もちろん楽しいことばかりではなかった日々ですが、あらためて振り返ってみて、心の中に湧いてきた気持ちがあります。
「どんな環境でも、あるもので楽しめるようになりたい」
いつでも笑顔になれる力はきっと自分の中にもある。
子供の頃に持っていた想像の翼を、大人が心の中に見つけたら、もっといろんなことができるんじゃないか、と。
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