年末に思う、来年の抱負 -「東京的消費」に巻き込まれない-
以前、京都のアーティストに東京での出演依頼をした時に「東京的消費されることに巻き込まれたくない」と言われた事がある。最近その言葉がつくづく身にしみてる。
今年に入って主催したパーティーや遊びに行ったパーティーはどれも素晴らしくて、じっくり振り返りを写真と共に感想を書きたいと思いつつ、次のパーティ、次のイベント、と結局うやむやになってしまって、気付いたら「感動」を忘れてる。本当にもったいないと思う。そんな風に「忙しく」する事に最近ちょっと疑問を感じてる。
私は結婚前はフルタイムで働いたりもしていたが、実は「社員」として働いた経験がない。やりたい時にやりたい事をして生活してきた、と言うかなぜか生活できていた。別に親から補助を受けている「お嬢様」だった訳でもないが、「背伸びしない」で生きれる性質なので、高望みしなければ「20代の女」と言うだけで生活するのは特に困った経験がない(もちろんこれは私の「特権」だと自覚している)。それよりも「仕事」のために自分の制作活動や海外暮らしや、夜遊びする事などができない方がよっぽど苦痛だったので、「男性と同じ様にバリバリ働きたい」と言う女性の気持ちを全く理解できず、あくせく働いているサラリーマンを見ると「女性で良かった」とつくづく思うのであった(これは杉田水脈の様な「女」がよく勘違いして思っている事だとも自覚している 笑)。当時はまだバブルの名残もあり、20代の私はお金に困れば簡単に水商売でお金がもらえたし、母と同じく誰かに食べさせてもらいながら制作活動を続けていければ良いと思っていたので(これは私がもし男性でその様な生活をすると「ヒモ」と世間から後ろ指を刺されたであろうから、「女性特権」なのではないかと思っているが、しかしもし私が「男性」として育てられていれば作家として自立できる様な頑張りを見せたかもしれないな、と考えると、この「女性特権」と思っていることさえ、「女性だから最初から諦めざるおえなかた」と言う結局は女性軽視の弊害なのかなとも思う。)、「お金を稼がないと」と言うプレッシャーは1mmもなく、日々恋愛で頭がいっぱいの20代を過ごした。
結婚し、30歳になって子供が生まれ、子育てに追われながらも「子供が産まれても仕事を続けたい」と言う人の気持ちを全く理解しないまま(これも又「女性が自立しなくとも男性に寄生して生きていれば好きなことができる」と言う母からの洗脳だと思うが)、今まできた。大学卒業後すぐに大手テレビ局のディレクターとして就職し2人の子供を産み落とし(母と保育園が「子育て」したので、あえて「育てながら」とは言わないが)ながらも未だあくせくと働いている姉を見ると「よほど仕事が楽しいんだろうな」とは思うが、私はいくら楽しい事であっても「あそこまで忙しくするのは無理だわ。」とここ最近の忙しさでつくづく感じている(もちろんこれは私が会社勤めをしていない「特権」があるからこそ思える事で、勤め人は「やりたい仕事だけを選ぶ」と言うことができないからなのだとは思うが)。と言うのも今私が忙しくしてるのは、遊びが高じて始めたパーティーオーガナイズや妻のために始めたフェミニズム活動、ずっとやり続けている制作活動など、どれも「やりたい」と思って自ら始めたことで、にもかかわらず今こうして忙しくなると「頑張って」やっている意味に疑問を感じ「何のためにやっているんだろう?」と言う気持ちになっている。もちろん「生きるため」に働らかざるをえない人は仕方がないとは思うが(本来それは「仕方ない」ことではなく、社会が改善すべきことだが)、私はお金のためにやっている事は何もなく、最初は自分の「感動」のためにやっていたが、その「感動」が忙しさによって薄れてくるのは本末転倒だな、と、来年は本当にもっと吟味して自分の「やりたい事」「やるべき事」を見極めて行こうと思う。
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「東京」は私にとって本当に魅力的な都市で、毎日本当に沢山の楽しいことがあって、それを全部消化したいって思ったら結局「東京的消費」に巻き込まれる事になって自分が潰れてしまう街。皆んなも気をつけて。
(って、思えることも又特権だけれど。。誰もがやりたくない「仕事」をやらずに生活できる社会になることを切に願う。。)
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