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スイーツメモリー(マンゴームース)

最近では、マンゴープリン、マンゴーかき氷、マンゴームース…等、マンゴーはなじみのある果物になったが、国産はとても高い。南国の屋台で買えたらいいのに。

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今から30年ほど前、年の離れた長兄が、家族でマレーシアに赴任していた。始めは、単身赴任だったので、奥さんと二人の小学生の子供と私とで、冬休みに会いに行った。仕事が忙しかったのか、私と、義姉と子供達は、海辺のリゾートのコテージに放り込まれた。コテージ内は、入り口にゲートがあり、部外者は入って来られないので、安全だったのだろう。私たちは毎日、コテージ内のレストランで食事をし、海で泳ぎ、木の陰で昼寝をし、だらだらと過ごした。

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浜辺のデッキチェアで見ると、甥と姪が海につかりながら、黒い棒杭の周りで遊んでいるなと思ったら、新しく友達になったマレー人だったこともあった。レストランでは、注文してから、30分は料理がでてこない。風は気持ちいいし、波の音はするし、ヤシの木陰でいくつもの籠を売っているおばさんも、うつらうつらしているし、皆、のんびりしている。そんな中、義姉は甥と姪に公文のプリントをやらせていた。海辺のリゾートのテーブルで公文のドリルやっている子なんて、日本人だけだよ。義姉の努力もむなしく、その後二人とも、勉強嫌いな子に成長した。

当時のクアラルンプールは大都会ではあったようだが、まだまだ南国の風情が多く残るアジアの街だった。通りの屋台には、トロピカルフルーツがたくさん売っていた。ちょうどクリスマスシーズンだったので、兄の仕事関係の人たちのクリスマスパーティがあった。たくさんのフルーツや食事、大きな長方形の毒々しい色のケーキも出た。ケーキはやたら甘くて、へんなスパイスの匂いがして美味しくなかった。余ったケーキは、アマサン(お手伝いさん)がジャーに入れていて、どうするのかなと思ったら、翌日の朝食も、翌々日の朝食も余ったケーキで辟易した。

あの頃、働き盛りだったであろう兄の顔はさっぱり思い出せない。世界で一番の自信満々の兄だった気がする。甘ったるいケーキの色や、酸っぱいスターフルーツや、甘いパパイヤはよく覚えている。

今では、みんなに会うこともない。あんな活気に満ちた時代もあったんだなぁ。

おうちカフェ マンゴームース

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〇材料 … マンゴー ヨーグルト 生クリーム ゼラチン 砂糖


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