18歳のスマホ封印生活(ーままならないから私とあなた)

スマホのない生活

スマホを仕舞ったきっかけは些細なことだけど、数えきれないくらいあった気がする。

SNSを見て、気づいたら日が暮れていたことが何回もあったこと。
そのことで自己嫌悪に陥る日々のこと。
好きな女の子がTwitterをやめたこと。
久しぶりに出したラジカセが、なんだか心地よかったこと。
家族と、人間も知らない何かのペットなのかもしれないと話したこと。
スマホを見つめる丸まった背中が急に怖くなったこと。
何より、本当はもうずっと前からこの生活にうんざりしていたこと。

だから、日曜の夜にダンボール箱に入れて本棚の上に置いてみた。
充電もせず、電源を落として、椅子に乗らなければ見えない高い場所に、これまでの一日の大半を追いやった。
結果から言うと、18歳の憂鬱は半分以下になった。
折角なので、この1週間を言葉に起こしてみようと思う。

まず、全く辛くはなかった。
私がスマホを見てしていた主なことは、YouTubeとTwitterを見ること、あとはゲームと、ブログや記事を見ることだった。
幸い(?)私には友だちはほぼいないので電話機能は元から必要なく、LINEは家族共有のPCに入れて一日に一回確認することにした。
ゲームは特に好きなもの一つをPCに移し、他もすべて共有PCでの閲覧に切り替えた。

一日に何時間も見ていたYouTubeは30分以内に収まるし、Twitterは現在一週間で一度しか確認していない。新聞も読むようになった。ふいに感じる暇と、手持無沙汰になる右手が、ときどきとても愛おしくなる。

また、スマホやインターネットそのものを少し客観視できるようになった。
家族がゲームをしている姿を見ると、単純な楽しさと同じくらい、このカラフルでキラキラ光る演出に魅せられていたのだと気づく。遠くの誰かの独り言は、誰かが誰かをを批評する声は、本来聞こえないものなのだと知る。

私にとって、スマホは何の生活必需品でもなかったことに気がついた。


世界の覗き方

『ままならないから私とあなた』という小説がある。
意味がないことや無駄なことにこそかけがえのないものが宿るような気がする、という雪子と、効率性や利便性を求めて新しいものを積極的に取り入れる薫。
違いを感じたまま進んできた二人が、13年かけてついにその違いを無視できなくなる。

「偶然だったから、愛しいんだよ」
「ままならないことがあるから、皆別々の人間でいられるんだもん」-雪子

私は以前に、「人間はすべて貰ったものでできていて、だから聞いた言葉でしか話せない。今私がどれだけ熱をもって話していても、これは私の言葉ではなく誰かの言葉だ」と言ったことがある。
そのとき、それは逆だと言われた。
自分で使いたい言葉を選んでいて、それを選び取る核こそが自分なのだと。

携帯端末は第2の脳と言える程に生活に溶け込んでいる、という言葉があるらしい。

自分の足で歩ける範囲が一つの世界で、日常と呼ばれるそれは私が気づく前からとうに豊かなのだ、と思う。
目の前の世界のことを見て、ひとつ、またひとつと何かを感じ、やがて忘れて、でも自分でも気づかないどこか深いところでそれが新たな自分として積み重なっていく。
それをするのはどうしたって自分の脳であるべきなのだ、という知人の言葉が、今また私の深くに潜り込んでくる。

「ずるくない?」

「車乗る、電車乗る、冷房も暖房も使う、スマホも使う、曲作る時だってもうパソコンで楽器の音打ち込む。自分にとって都合のいい新技術とか合理性だけを受け入れて、自分の人生を否定される予感のするものは全部まとめて突っぱねるって、そんなのずるくない?」
「みんなそうなんだよ。自分に都合のいいことだけはちゃっかり受け入れるくせに、自分を脅かしそうな何かが出てくると、人間のあたたかみが~とか、人間として大切な何かを信じたい~とか言って逃げる。(中略)変化していく社会に理解があるような顔をして、自分だけは自分のままでいたいんだよ」-薫

中学生の時、学校に自宅から新聞を持っていかなくてはいけない日があった。
集まった各家庭の新聞は様々だったが、だいたいが数日前のものだった。
そのとき、いろいろな新聞を見ていて、ふと同じ出来事でも書かれる内容に決して小さくない差異があることに気づいた。注意して読むと、傾向までは理解できずとも、言いたいことがぼんやり違うことは分かった。

起きたことを私に情報として伝えるのは、その事実ではなく人間だ。
私はまだ13歳だったが、幼いながらに「一つのものを見てそれを世界だと思ってしまうのは、ものすごく大変なことなのかもしれない」と思った。

スマホは便利だ。インターネットだって言うまでもない。
でも私は、24時間張り付いていても把握しきれない手のひらの上が、世界のすべてだと勘違いしていたのかもしれない、と思う。

それは世界のような顔をしてやってくるけれど、私はその中から無意識に欲しい情報だけを手に取っていたはずだし、そこから覗けるほんの一部だけが世界なわけない、と疑う隙もないほどにそれは目まぐるしかった。

恐れなければならないのは、それ自身ではなく、そこから見える曲解したままの世界を自分の中で本物にしてしまうことなのだと思う。

そうして、囚われて、目を離したら置いて行かれてしまうような気さえして、利用しているはずがいつしか飼い慣らされていくのだと。


ままならないから私とあなた

昔はこうだった~と年上の人に説かれたことがない人は少ないだろう。
私も言われる度に、今は違うのに、もうそんな時代じゃないのに、今はすることのなくなった経験がそんなに素晴らしいのか、と思っていた。

でもきっと違う。
理解できない理由が欲しいだけなのだ。
目の前にいるのに理解できなくて、そんなものがあることが怖くなって、だから時代とか、新しいものとか、もうないもののせいにする。
そうやって生み出された言葉を、私はいくつも知っている。

「薫ちゃんは、もしかして、自分でコントロールできないものがあることがあることが怖いんじゃないの?」-雪子

ずっと続く、台詞のような、歌のような、薫に伝えたいと願う、独りよがりな叫び。

私はスマホが使えない生活で辛かったのは、自分の叫びを抑えることだった。
スマホを見続けている家族をみたとき、話しかけても夢中で返答がなかった時、勝手に視野が広くなった気でいた私は、家族の人間性までもがスマホのせいで変わってしまったような気がしていた。そのことで一人涙すら流した。

はじめて、私にああいう説教をする人の気持ちを感じた気がした。
結局何を始めても、何をやめても、世界は私の目を通して見る限り永久に偏っていて、他人のことを理解するなんて不可能なのだと知った。

「できないこととか、わからないこととか、コントロールできないこととか…そういうものが自分の中にあること、そんなに怖がらなくていいんだよ」-雪子

雪子は夢を追いかけていて、薫は雪子にその夢を叶えてほしかった。二人がどれだけ違っていても、二人を突き動かす何かは、どちらもとっくに言葉にできない、かけがえのないものだったはずだ。

「だから薫ちゃんも、薫ちゃんと違う考えを持っている私がここに存在していることを、認識してくれればそれでいい」-雪子

私は、スマホを今すぐ捨てて目の前の人との繋がりを、なんて言わない。
繋がるなんて何があっても、なくても、最初からできないと知っている。
同時に、この虚無感にたどり着かないために小さな画面を見ていたのかもしれない、とも思った。

繋がれないと知るよりも、繋がった気分でいられるほうが幸せなときもきっとある。

でも、それがすべてではない。
今見ている景色も、誰かにかけられた言葉も、誰かを思う気持ちも、タップしたウェブサイトも、遠くの人と話せることも、本当の繋がりなんてないと思ったことも、スマホを手にしたことでどれだけできることが増えても、手放したことで何を手に入れても、全部全部、それが全てではないのだ。

「ままならないことがあるから、人間…」-薫

まあるい地球の上で、なるべく平らに真っすぐに。たとえ繋がれなくても、好きな人たちとこの世界で、ままならないまま、それでも一緒にいたいと願う。
それだけが全てなのかもしれないと、私は今、思うのだ。

引用『ままならないから私とあなた』 朝井リョウ


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