身体の声を聴ける感性をもつ

越年の傾聴をしようと予定していた。
ところがいざ行ってみると体が重く関節が怠い。
体温を計ると37.0だった。
普段35.5なので、平熱よりは若干高い。
別に頑張ればできるだろう、とも思った。
それでも夜通しできるのだろうか?
そも無理をしてやることだろうか?
いやここのドタキャンは迷惑をかける?
どの迷惑が最悪なのだろう?
以前としてコロナ禍でもある。
コロナのための倦怠感と微熱だったら。
いや傾聴で越年はすでに決めたことだから、
いくつもの思いが交錯した。
結局、他者の苦悩を聴くことより、自分の身体の悲鳴を聞いた。
帰宅し崩れるように眠った。
深く長く眠った。
身体はそうしたかったようだった。
朝、少しまだ倦怠感の余韻は残っているものの体温は36.2度になっていた。

それにしてもコロナ禍ということがひっかかる。
万が一キャリアになっていて他者にうつすかと思うとゾッとする。
念のためにコロナコールセンターに電話をしてみた。
罹患者、濃厚接触者、海外渡航歴者との接触の有無を訊かれた。
すべてないと答えると、様子をみてください、と言われた。
まあ、そうなるだろうなぁ、
体調がすぐれない、イコール、コロナとしていたらキリがない。
応えているオペレーターは呆れているんだろうなぁ、と自嘲した。
きっとなんでもない、ちょっとした疲労だったのだと思う。
年末忙しかったのをなんとか乗り越えてホッとしたはずみかもしれない。

傾聴するという約束をドタキャンしたことはモヤモヤする。
自分に課したことができなかったことも引っかかる。
でも、まず身体の声を聴こうと思う。
それ以外の事情は二の次にする。
身体が休みたいと言っているのか?
身体が動きたいと言っているのか?
身体の声を聴ける感性を持ちたいと思う。
先の約束はなるべくしない。
無理をせず、つまらぬことはしない。

そんなことを考えながら新しい年をむかえた。


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