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「ポケモンGO」と「虫モンGO」 @「居るのはつらいよ」東畑開人著

 何故?なんで?こんな処に?と、ゾンビのように多くの人が揺れている風景に出会いゾッとしたことがあった。
 ゾンビはニュースにもなり、すぐにそれがポケモンGOというゲームを行っている人々だと知った。
 最初に目にした光景があまりに気色悪くショッキングということもあるが、なんとなくの違和感でワタシは絶対にそれに取り込まれないと警戒した。ただその得も言われぬ違和感の理由はなんなのかは、わからなかった。

 ポケモンは、息子の子ども時代と重なっていたのでアニメによってなんとなくは知っている。
 それが仮想ではあるけどリアル世界のゲームとなり、至るとこに現れるポケモンをポケモンボール(スマホアプリ)にゲットして閉じ込めていくである、多分。
 ゲームを楽しむ人々は多種多様のポケモンをゲットすることに夢中になった。数もさることながら、手に入りにくいいわゆるレアモン(と多分ネーミングされたのではないか)は希少価値あり、ゲットすれば満足感を得る、ことは他の収集趣味のことを考えれば容易に想像がつく。

 時はながれ「蝶探索の遠征」の車のなかの会話。
 なんか、蝶に会いに行って写真に撮るってのさぁ、ポケモンGOと似てねぇ?
 そうそう、それちょっと感じていた、笑。
 絶対に手を染めるもんか、と思っていたポケモンGOと、ムシモンGOは一体何が違うというのだ?って考えてしまう。
 ムシモンに会って、ポケモンボールならぬカメラでゲットする。多種多様なムシモンをゲットし続ける。さらにはレアモンの出現情報を手に入れて、レアモンが撮影(ゲット)できれば嬉しくなり満足する。(レアモンは絶滅危惧種であることもあるので喜んでばかりはいられないのだが、、^^;)、しかもレアモンが出現するポイントでは人々がカメラをもってゾンビのようにユラユラ揺れている。
 なんならトリモンにしても似たようなものである。ハナモンもしかり。

 これは一体何が違うというのだ。まるで一緒ではないか。ポケモンに違和感を感じながらムシモンに興じるこの自己矛盾をどうすればいいんだ?

 noterで虫同志のリシュンさんから紹介された東畑開人著の「居るのはつらいよ」という本を読み終わった。そのリシュンさんもアサミサガシムシさんのnoteで知ったと言っていた。そういえばアサミサガシムシさんも虫さんだったな、笑。
 いやいやいや、この本は虫とは関係ないんだけどね。
 でも、この本を読んで、なんとなく、ポケモンGOとムシモンGOの違いがわかったような気がする。ああ、そういうことだったのかって。

 ポケモンGOもムシモンGOもたしかに似たようなことをやっている。でも違うと思う。やっていることが似ていて非なるものの正体は、「やらされている」か「やっている」かの違い。
 人(ゲームメーカー)によって作られたゲームはどこまでいっても、造られた構造のなかで「やらされている」から逃れられない。自由であるようで自由ではない。それと違いムシモンGOは自ら「やっている」のである。自由なのである。神によって創られた虫なので神に「やらされている」という言い方はできるかもしれないが、それを言い出せば人間について全て同じで、そこから逃れるのは人間には不可能だから言っても仕方ない。

 ゲームメーカーに「やらされている」ポケモンGOのもう一つの宿命は「会計の声」つまり、経済理論から逃れられない、といういうこと。だって営利企業のゲームなんだもん。
 経済が理由という意味では、ムシモンGOも例えば「生体や標本を売る」ためにゲットだぜ、だったり、ムシモン写真を売るためにゲットだぜ、であれば、金のために「やらされている」となりポケモンと変わらなくなる。
 そうそう、最近レアな虫がどこにいるかピンポイントで示している情報を売っていることを知った。でもそれを何故か買ってはいけいないという自制心が働いていた。金額の問題ではなく買わないのは「会計の声」によって、「やらされている」になってしまう予感がするからだろう。
 そういえば、そもそも「ただ、好きな、だけ」を虫動画にあげていたyoutuberもやがて金を得るために「やらされている」になっていく。なんとなく物悲しくなる。

 そう、ボクらがやっているのも、ムシモンを「ただ、撮る、だけ」に意味があるのです。経済的視点からみれば、マイナスでしかなくコスパもなにもあったもんじゃないのだけど、それでも「ただ、撮る、だけ」という時間がいかに大切か切実に感じている。無心ですぎていく凪の時間がボクらのセルフケアの時間なのかもしれない。
 
 この世の中は間違いなく「経済理論」で動いている。人々も考えることも疑問もなく経済的な感覚が身についている。なのでポケモンGOもyoutuberも商業写真もむしろこの社会ではあたりまえでマジョリティな存在だということは分かっている。
 だけどむしろ大切なこと生きることの本質は、経済から切り離されたところに在るに違いない、と、考えさせられる本だった。

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