見出し画像

恋心 ちょっぴり、マチネの終わりに^^

壊れかけのラジオからユーミンの歌声が聴こえる……
♪魔法の鏡を持ってたら、あなたの暮らし覗いてみたい…♫
抑揚のない歌声をかすめつつ、あ、瞳が、、、部屋の隅に置かれたサイドボード兼タンス代わりのダンボールの上にある小さな鏡に浮かんだ物悲しげな瞳と目が会ってしまった。万年床のうえにあぐらをかき、小汚いグレーのスウェットのままカップヌードルカレーを啜っていたオレは、鏡に浮かぶ「瞳」に驚き口にふくまれたカレー汁を鏡にむけ吹き出してしまった。カレーまみれの鏡を拭く余裕もなく、そのまま煎餅布団の下に潜り込む。布団の隙間から鏡をそっと見ると涙目になった彼女の顔が浮かぶ、
♫もしもブルーにしていたら、偶然そうに電話をするわ、♪ カレーまみれなブルーな瞳で歌いつづける、、あかんめちゃブルーだ、覗くんじゃねぇ、電話もいらねぇ〜、オレの暮らしを覗くんじゃねぇえええ!!。恋はストーカーやないかいぃぃいいい!! と、オレは声にならない叫び声をあげ、凍る寸前の冷や汗とともに目を醒ました。はぁはぁはぁ、あ悪夢や、これは「恋心」の嫌がらせやぁあああ!!、、、こ・い・ご・こ・ろぉおおおお〜!!

とまぁ、こんな悪夢をみることになったのには理由がある。
とある夜、とある部屋、オレは恋バナの輪のなかにいた。しかも歓喜系ではなく傷心系の恋バナだった。か細く沈鬱な声も途切れがち、トーンの低い話もついに硬直したときにオレが思わず呟いた……もちろん、ドヤ顔で……
「35億っ!!」
湿った空気を一気乾燥させる爆笑を予想したのだが、予想はあえなく急速冷凍、すっと静まった部屋の空気は凍りつき、天井からはツララが垂れ下がったかのような蛍光灯の光もまた凍っていた。蛍光灯のツララはスポットライトのようにオレに突き刺さったまま青白く輝いていたのだった。
さらにはツララのように突き刺す目線の数人の女子の面前で、上から前から右から左からオレはツララに串刺しになる。完膚なきまでにオレに「恋心」の欠落と「空気読めない感」が充満していることが露呈された。
「空気読めない感」はともかく、オレがここに至るまで「恋心」がなくとも問題なかったのだが、さすがに毒多は恋心が解らない超無粋なやつ、と複数女子に認識されるのは寒い、不本意だ。いや単に凍りついた視線に耐えきれず、というか、マジなことを言えば、その部屋に居続けることの許される条件として、恋心が解らないということは、かなり問題であるという状況だった。下手をすればそのまま出禁を命じかれない。そんなわけで焦ったオレは帰ってから「恋心」を理解しようと思案しているうちに疲れ果て眠り込んでしまい悪夢をみてしまったわけだ。
瞳に襲われるまえに危うく目を覚ますことのできたオレは、サイドボードのうえの鏡をみつめながら、冷たい汗を素手で拭いながら一息ついた。
あかんユーミンの歌にでてくるような乙女な、うん、ストーキングさえ正当化してしまう恋心はハードルが高すぎる。もう少しアダルトな、、そう、つまり、大人の恋っていうやつですか。そんなんはないものかと探してみる。と、さっきからなにか引っかかっている記憶をたどる。あ、そうだ。あった。ありましたがな。うん、あったあった。
いつかどこかで評判を聞いたか、それとも紹介記事を読んだかした噂の本が、、、
「マチネの終わりに」平野啓一郎著
ためしにネットでぐぐってみた。出るわ出るわ、大人の恋を絶賛する素人評が数珠つなぎである。
そうだ、これだ。これはすぐにでも読まなければとネット購入ではなく本屋までいき手にした。手に取り帯を見ても「大人の恋」を絶賛する若き女子からそれなりの女子たちの声が満載されていた。
うん、これは凍りついた空気を溶かし「恋心」を我が物とするためにも読むしか無いな。と、1500円オーバーという大枚をさっくり払い、さっそく、読み始めた。
おお純文学系のレトリックにレトリックを上乗せするような文体。これでもかっ、まだなだかってのは趣味じゃないけど、これほどなのは久々だし、まあいいなんじゃないすか。と読み進める。
と、お、なんだ、これ、ちょっとゾクッとするセンテンスが現れたぞよ、、、

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

くわぁ〜、やるねぇ〜。こんなセンテンスがでてくるのか!?
過去かぁ、そういえば「今の」私には恋心は欠落しているかもしれないが、遠い過去は恋をしていた頃もあった。それはあまりに幼く、公園の人馴れしたハトを追いかけ捕まえることのできないやっと歩き始めた子どものように滑稽だった。理性の欠片もなくただ感情にまかせて、いや感情にまかせているという意識さえなく本能のまま欲しいがままに、そう「恋は盲目」という言い古されたしかも論理性のかけらもない言い回しをリアルに再現したような、そんな恋をしていたではないか、、(、いかん、「マチネ」のせいで完成度の低いレトリックを連発してしまったorz)
でも、実際そうなのだ。
恋心が欠落したのではない。置き忘れた、ちがう、恋に、ちゃうもとい、故意に消そうとしたのだ。あのときの失恋のショックがプチPTSDとなり、、、断ち切らなければと思った。そうだあのとき、あまりに幼き歩きはじめたばかりの感情を脱ぎ捨てたいと、思ったのだ。
そして脱皮の証として感情から理性へ、感性から思索へ、航海の舵を切りなおしたのだ。言葉でロジックを組み立てはじめ、恋心はいつか水面を走る北風にのせて吹き飛ばしたのだ。
そんなことを思い出しながら「マチネ」を読み進める。
と、とつぜん、うぎゃぁ、なんだこれは。イラっ!!
ヴァシッ、ガサッ。
中盤のクライマックスで、思わず本を壁に投げつけてしまった。なんと感情的な。
イライラ、いらいら、らいららら、いららいららいらいらら、不満がたまり、感情が爆発しそうだ。もうマチネよろしくレトリックを駆使することもできやしない。
何故他人の恋路を邪魔するんだ。しかもこんなすぐバレる姑息なやりかたで。上手くいくどころかどうなるもんでもないだろう。え、うそ、こんなんが成り立つんかい。おい主人公たちよちゃんと確認しあえよ。こんな小説のような展開になるわけないだろ。おかしい。絶対におかしい。
うぎゃあああああああああ〜

よほど壁にぶつけたまま投げ出そうと思ったのだが、目的は小説に浸ることではないと思い直した。あくまでも「恋心」を「理解」することだったのだ。3つの恋心が交錯する。そんないずれの恋心を冷静に判断してはいけないんだ。恋心は感情のもの。恋心と合理性は双極なんだ。恋はイライラするものなんだ。落ち着け、オマエが苛ついてどうするんだ。イライラを許容しろ。恋心に浸るんだ。
自己にいいきかせ、少し理性を取り戻し、冷静になる過渡の残り香的なイライラを抑えながら、なんとか最後まで読み通した。
心理の嘘ほんと、理性との沈黙、抑圧と解放、忘却と想起、日常と空想、過去の修正、他者と自己、生活と情動、歓喜と悲哀、理屈の敗北、隠匿と諦め……こんな言葉たちが溶け合い渦巻く。ドロドロになって渦巻き崩壊する。どんな言葉を費やそうと明確にならない、根源的な感情の表出、それが恋心。
そうロジックによる理解はできない、エビデンスなし、言葉による把握が不毛なのだ。
オレ自身の幼き恋を思い出せ。今となっては、笑えるようなコケティッシュな、あのジダバタとどんよりした恋心を思い出すんだぁあああ!!、、、はあはあはあはあ

未来は常に過去を変えている……

そう、オレ自身の幼き原初的だった恋心が、いまとなっては微笑ましい幼き衝動の物語に書き換えられた。時が経ちとともに変化するオレは過去の恋心を書き換えた……
ちがうな。
その時どきの物語はすでに多面的なんだ。いくつもの側面があったんだ。
そう、オレの幼き恋にしたって、ほんとはその時にいくつもの側面があったんだ。
ただ一つの物語しか認知できなかっただけ。その時は、あの娘が好きで好きで仕方ないだけの感情だけしかなかったんだ。
あの頃からしたら未来、そう今のオレには、あの頃にもいくつもの視点、アングル、いくつもの物語があったことが解る。「35憶っ!!」でさえそのひとつ。あの頃から成長した未来である今から振り返ってみると過去の多面性に気づくんだ。
でも、その過去のどまんなかでは解らなかった。物語も意識もひとつしかなかった。
好きだったのに、好かれることはなく、欲しかったのに受け入れられずに、ただ傷ついた。
その物語しか実存しなかったのだ。
それだけが意識の全てを支配したのだ。
そう物語はひとつだった。

今、恋バナを語る彼女にとって、物語はひとつしかない。
それ以外の物語は気づくことはないし、気づく必要もない。それが恋心。
未来によって書き変えられるかもしれないが、今は、今だけの情熱の物語。
だから「今」彼女にかけてあげる多面的な言葉はない。
彼女の物語以外のどんな言葉をかけようとも、言葉は届くことなくすぐに蒸発し乾いてしまう。
でもこの今がなければ、書き変えることのできる過去もない。
過去がないとは、つまり未来もない。
彼女の物語は彼女だけに書き変え可能なのだ。
今思いつくどんな言葉も必要ない。
だからオレはただ聴き、声をださずに頷こう。
彼女の恋バナを。
彼女もいつかきっと今の恋心を微笑みながらいくつもの物語に書き変えることができるさ、、と。

よろしければサポートお願いします