noteに言葉を書くということ

フォローしているnoterさんが休止を宣言した。
テキスト中心のnoteで、虫好き、読書好きと趣味もあい、興味をそそる綴り方をするのでフォローさせて頂き、更新も楽しみしていた。
今回もそうだが、思索のネタをくれるから感謝もしていた。
それが、張り詰めていた糸が切れてしまったので休止、と書かれていた。

結構、更新を意識していたのかな?
ワタシが彼女のnoteを訪れ始めたころ、「連続更新を試みている」みたいなことが書かれている気がする(記憶違いだったかもしれない)
かなり頻度たかく更新されていて、楽しませてもらった。
フォロアーの期待に応えようとしていてくれたのかもしれない。
わざわざ「休止」を伝えるのも、フォロアーに心配かけまいとする配慮かもしれないな。
そんなことしなくても、シレ〜と休止して、シレ〜と復帰したり、しなかったりでいいのになぁ、と思ったけどコメントはしなかった。

(どうもワタシは余計なこと言いのようで、かなり以前にワタシの書いたコメントで一人のnoterさんを辞めさせてしまったし、彼女のnoteでも、ワタシのコメントを最後に長く更新が途絶えたことがあり、自意識過剰と思いながらとても気になっていた。そのときは更新されてホッとしたのだけど、それからコメントできない小心者^^;)

それが、“舌の根も乾かぬうち”に更新された(笑)。
ワタシは喜びさっそく読ませてもらった。
期待していた休止宣言の撤回ではなく、彼女がどうしても書かざるえないことが書かれていた
あえて書かれていたことには触れないが、とても嬉しかった(内容は辛いのだけど……)。
それは、彼女にとって書かずにはいられないこと、だったから。
ワタシはこれでいいのだと思った。

どうしても言葉にしたいこと、それを裡に閉じ込めてしまうと、心がこじれてしまうこと。
それを吐き出す場がnoteでいいではないか。
言葉にするということは、かなりのカタルシスになることを「傾聴」をしていて実感している。
しかも一人日記に書くのではなく、noteはそれを共感して受け止めてくれるフォロアーがいる。実際にそのnoteにもいくつもの共感のコメントが寄せられていた。
こんな傾聴的なプラットフォームはそうはない。

いま、この裡なる思いを書かずにいられない。
誰かに聴いてほしい

他者の期待に応えるのではなく、更新のプレッシャーを自分に課すのではなく、特になにもなければ放置すればいい、でも、どうしても言葉にしたいとき、さり気なくそこにある。

それがnote。

ワタシにとっては、そんな場所である。
彼女にとっても、そんな場所であればいいのになぁ、と心より思った。

いま、こんな気持ちを言葉にしてみたかった。

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