「寄り添うのが大切」っていうけどさ?

傾聴の学習をしている。
たとえば傷ついている人の話を聴いたりする…
そこで思い出す言葉がある。
「寄り添うことが大切です」って言葉。
傾聴の研修や学習会なんかでよく聞く。
ああそうなんだよな、寄り添うってのが大切なんだな、と覚える。
さて寄り添うんだよな、と考えてみる、、、ん?んんん?
具体的にどうするんだ?
寄って、は側によるってことで、
添う、も側に添う、、、??
位置としてそばにいればいいのか?
じゃ、電話やオンラインじゃ寄り添うことはできないじゃないか。
いやいや、心の問題ですから。
そうだよな、そうなんだ、心の問題なんだ、、、
じゃ心はどうすればいい?
どうすれば寄り添っていると言える。
どれだけ寄り添えばいいんだ?
どうしたら、寄り添うと言えるんだぁあああああああ

長い間不思議な感じがしていた。
そもそも何かが違う気がしていた。
寄り添うということがまずあるんじゃないのではないか?
心がホッとすることができる状態。
安心して落ち着くことができるその関係を寄り添うと言うんじゃないのか?
しかも、傷ついている人がホッとできてはじめて「寄り添う」になるのでは?
傷ついた人が「寄り添われている」と感じなければ、寄り添う方が「今、寄り添ってます」と言っても、それは寄り添うにはならないだろう。
「寄り添おう」とする人が、こんだけ寄り添っているのに、なんでこの人はホッとできないんだぁ、と怒り出すか、逆に落ち込むか、、、、なんて、笑い話にもならないな。

傷ついた人の心は複雑で、こうすれば「寄り添われている」「癒やされている」いう感じるという具体的な言葉も行動パターンもないだろう。
しかも、私が寄り添って、傷ついている心を癒やすんだ、エイエイオーと意気込んでくる人に果たして傷ついた人は寄り添われたいと思うだろうか?癒やされることはあるのだろうか?
ワタシなら御免こうむる。
そんな人に近くにきてほしくない。
傷ついて自分だけじゃどうにもならないときは、おそらくは、ただ側にいて欲しいと思うだけのような気がする。
独りじゃ耐えられない、でも何かを言って欲しいわけでもない。
注意やアドバイスなんてされた日には最悪だ。
慰めも同情の言葉もいらいない。
でも独りは辛すぎる。
ただそこにいて欲しい。
ただ頷いてほしい。
それだけ、、、、
それでほんの少しホッとできる。
それを敢えて言葉にするなら「寄り添われている」になるんだろう。
けっして「寄り添う」にはならない。
そっち側からの言葉でも状況でもないんだ。

そもそも「寄り添うことが大切」という人はどこを向いてそんなことを言っているのだろう?
ってなことを考えている午後。


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