歩けない@傾聴

歩けなくなってから3−5日がピークで全く歩けなかった。
所在なくTVをみる。
歩いている人々の姿が映し出される。
みな普通に歩いている、歩けないボクは「凄い」、と感心する。
歩けなくなって歩くことの凄さを再確認する。
あたりまえに歩けていたときは解らなかった。
失ってから、再確認できるなら、失うことの意味もあるかもしれない。
失わないと、当たり前を実感できないことが普通だから。
失ったことを取り戻したとき以前の当たり前から変わるだろうか。
失う以前に凄さを実感することはできないのか?
あたりまえに慣れすぎているから困難なのかもしれない。

この先、何を失うかは解らない。
視覚を失うかもしれないし、腕を失うかもしれない。
そのときどきに失ったものの凄さを再確認するのか?
こうして失ってから実感する凄さをつきつめていけば、最後は生きていることの凄さまでたどり着くだろう。
生きていることの凄さは、失ってから実感できるのか? 
否。
生きることを失う。つまり死んでしまえば、生きていることの凄さは確認できない(多分)。
生きていることの凄さを確認するのは、生きていることのなかでしかできない。
当たり前に生きているなかで、生きていることの凄さを確認する。
それは困難なのか?
当たり前に生きることを失いかけた経験した人は、生きていることの凄さを識っているのか。
生きていることの凄さを確認できなければ、死にたいと思うのだろうか。
死んでしまえば生きていることの凄さは永遠に確認できないのに。
生きていることの凄さは生きているなかでしか味わうことはできないのだから困難であっても追求するしかないとは思うのだが、、、、

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