慈愛あふるる「介護物語」なんて書けない(序)
両親の介護生活がはじまり2ヶ月ほどが経った。
介護突入の当初、テキスト芸人としては、かなり面白いネタを手に入れたと思った。
両親共にかなりボケまくっていはいるが、「介護物語」ではオトボケ老人として書き上げ、そのお世話を人情とユーモアがあふれるヒューマンタッチなドラマに仕立てるなんて分けないさ、と高を括るのに「秒」もいらなかった。
さらには、介護初心者が四苦八苦というより七転八倒しながら、ひとつずつ介護制度を獲得し、それが介護も被介護も楽になるという「指南書」的な要素を加え、さらにさらにそこに関わる全て人の深層心理にまでメスどころか出刃包丁を入れ、これから地獄が天国が始まる人への参考にしてもらうという壮大な構想に至った。
だから実際に「事件」が起きるたびに、(って毎日なんだけど、)メモをし「介護物語」をシリーズものとして成立させるための準備をし、実際に書き出していた。そう、何度も何度も・・・ね、
結局はまだ一度もupすることはできていない。
だって、書いているとどうしても、日々の愚痴と怒りだけに留まらず、古い過去のこいつらに養育されたという何十年もの生い立ちの恨みツラミ、これ小学生のときのアレとか、中学生のときコレとか、ソレとかナニとか、せきを切ったように忘れていたことまでも渦巻くのだ。
これまで無意識に心の表層まで浮上しないよう抑えられていた、いくつもの毒がここぞとばかりに浮かんできて漂うのだ。
なによりも、いくつもの毒にやられ「こいつら早くクタバッちまえ」と呟いている自分に落ち込むのだ。
ワタシは、これまでの人生でホームレスと遊んでいた、とか、傾聴で他者のどんな不幸も冷静に聴けるよ、とか言ってしまう、この達観したかのような気分になってはいたが、いざ自分自身のこととなり降りかかったときの姿。つまり自らのしょうもない本性を自ら思い知らされる苦痛。
ああ、アタイってヤツはこんな情けないチッポケなヤツだったんだって、自ら思い知らされる苦悩。そんなハズはないと冷静さを装う痛さ、ああ痛い。
俯瞰どころか視野狭窄の極みなのだ。どうでもいいような針の穴までもがこの世界のすべてに見えてしまう。
ああ、これまで培った体験と知識と思索は何処へ?
つまり、そうして書かれたテキストは、ユーモラスでちょっと可愛らしいヒューマンタッチな物語の欠片もなく、鬱陶しいボケ老人を前にして愚痴と怒りと反吐と自己嫌悪にまみれていく。そんなテキストを誰が読みたいんだ、って話しだ。
言葉にすることで、むしろ愚痴や怒り恨みつらみが鮮明になり、見ぬようにしていたパンドラの箱まで開いてしまう。
そこにそそり立つ自己。
やはり辞めよう、慈愛があふれる感動の「介護物語」なんて書けっこない・・・・と書きながら、あれれ、少し落ち着いてきているな、と感じる。
もしかしたら「書く」という行為にも「喋る」と同様の「効果」があるのかもしれないな。
どちらも自分を「語る」ことには変わりない。
「喋る」ことの効果は、「傾聴」者がいるということのセットで効果が数倍にもあがることは実感している。と同様に、、、
「書く」ことの効果は、「傾読」者がいるということで良くなるかもしれない。もし誰かが「傾読」してくれるならすこづつ語ってみようかな。
なんて書いているあいだに、タイトルに(序)なんて書いていたし、笑
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