「介護物語の美談」なんて書けない(2) 91歳の犬殺しドライバーの家族に思いを馳せつつ

たとえば、こんな感じ。

車を運転する91歳の認知症老人に娘を轢き殺されそうになった。
娘は犬の散歩で横断歩道を歩いていたのに。
娘はギリギリ助かったが犬は轢き殺された。
娘はトラウマに悩まされている。

ようやく探し出した加害者の認知症老人に娘の両親と祖父は迫る。
「娘が危うくはねられかけた。このことを、どう思っているのだ!!」と。
認知症老人に一人の女の子を轢き殺しそうになったこと、犬を轢き殺したという認識はない。
記憶もなく、当然反省もない。
「なんのことかわからない」と言う。

この両親と祖父の怒りが想像できるだろうか?

ワタシにはこの怒りが痛いほど分かる。
ブチ切れそうになる。
あまりの怒りに居た堪れなくてTVを消してしまった。
おそらく、認知症老人はほんとうに認識がなく、ほんとうに何を言われているか分からないのだ。
悪いという意識もなく、自分は正しいと思い込んでいる。
自分の行動に問題はなく、なんなら何かを言ってくる人のほうがおかしいのだ、と。
そして、きっとこの老人は「自分ではよくわからない他者への迷惑」を繰り返すだろう。

これが認知症老人なのだ。
(ネットニュースには認知症ではない、と書いてあったが行政に認知症と認定されてない、だけではないかと思う)

・・・・・

介護ってのは、この連続なのである。
もちろん、娘が殺されかけるという重大な出来事ではなく、日常のとるに足らぬ些細なことである。
些細なことであっても、対認知症の構造はこの事件と同じで、やはり腹が立つ。

認知症老人はこうしたものだから仕方がない・・・
そんなことは頭では分かっている。
分かっていても、チリツモなのだ。

毎日いくつもの小さな怒りを抑えている。
それをしょうがないなぁ〜、と笑って流そうとする。
たいしたことないよね、まあ今日もやってくれたよね、と笑って流す。
無心になって淡々と処理をする。

だって仕方ないではないか、認知症なんだから。
分かっていますよ、そんなこと。

でもね、
毎日毎日いくつもの量ることのできないチリがツモっていく。
しかも同じチリの繰り返し。
昨日の「わかった」はなんだったの?
何がわかって、今日も同じことをするの?

あ、駄目だ、もう駄目だ、あと一回チリがツモるとオーバーフローするのが分かる。自覚できる。
ここで一度吐き出さないと絶対にヤバい。
気持ちをリセットしなければ、、、、キレるか、鬱るか、、、、

傾聴の経験から、言葉にして吐き出せば「チリ」をクリアにできることを知っている。
ただ吐き出すだけでなく、誰かに共感してもらえればスッキリすることを知っている。
こうして話し手は冷静になっていく。

だから、キレる前に、鬱る前に絶叫する。

もちろん本人のたちに怒鳴り散らしても駄目だ。
冷静に落ち着いて言えばいいということではない、そんなことは散々やった。
何も受け止められることもなく、さらにストレスがたまるにきまっている。
91歳の殺犬ジジイ老人を責めるのと同じだ。

ツレアイさんならきっと受け止めてくれるだろう。

ああああああ、チキショウ、あのクソジジイがぁ。
訳のわからんことばっかいいやがって、もう死ねばいいのに!! ☓20

かなり口汚く罵り怒りをぶちまける。
ワタシの怒りに耐えられなくなったツレアイさんが言う。

「しょうがないじゃない、認知症なんだから。怒っても仕方ないよ」

そんな正論を言わないで欲しい。
わかっている。
自分にむかって怒鳴られても仕方ない、というアナタの理不尽もわかっている。
でもただ、聴いて欲しかった。

ああ、そうか、そうだよね・・・やはり傾聴は難しいんだよね。
しかも怒りというマイナスの感情は、聞いているツレアイさんのの精神にも傷を与える。
そしてちゃんとした社会人は正論で諭すんだよね。
他人の怒りで自分が傷つくまえに防衛本能でもあるし・・・。

ツレアイさんにむかって吐き出すことが不条理ってわかっているんだ。
分かっているうえで、ただ、「ほんと怒れるよね」と共感してほしかっただけ。

まあ、傾聴を何年やってても、こう言えない人がほとんどだしね。
傾聴素人のツレアイさんに期待するのが無理めというものだ。
だからツレアイさんの受け答えは仕方がないんだ。
今なら分かる。傾聴はとても難しいんだってね。

やめときゃいいのに、嫌味たらしくポロリと言ってしまったんだよ。
「ここで怒ることもできないのか?じゃもうここでは怒らない」と。

そんなこと言ってしまえば、気まずい空気になるよね。

案の定、凍った空気が微動だにせず佇んでいた。
クソジジイ認知症老人だけで、ストレスが溜まっていくのに、さらにストレスが積もる。
しかも大元がクソボケ認知症老人というので、余計に腹が立つ。
なんで、あいつらのせいで、ツレアイさんと険悪な空気にならなければならないのだぁああああ!!

いまは大丈夫。凍りついた空気は溶けています。
傾聴はそんな簡単には出来ない、ということも認識しました。

91歳のボケジジイご老人に娘を殺されかけた両親と祖父のことを想像する。
なんなら傾聴させてください。
でも、ネットニュースで娘の母が「このジジイおじいさんに何かを求めるのは難しいと思う・・」とあった。
冷静だな。少しほっとした。
ほんとのとこは分からないけど・・・

今は、91歳のクソボケジジイ老人の家族に思いを馳せている。
世間は言うかもしれない。

「ボケ老人を世の中に放たずにちゃんと管理しとけよ、、、」と。

でも、それがどれだけ困難か、家族がどれだけ疲弊して辛い思いをしているかの想像するのが容易なのだ。

今は、91歳の老人の家族の傾聴をしてあげたい気持ちである。


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