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成長は螺旋階段を登るように遠回りしつつ少しづつ

 どうしても狭い世界の人間関係に囚われてしまう。
 もう終活をはじめようと思うこんな年になっても繰り返す。
 理不尽なことを平気で言ったり行う老人が多い。が、所詮この世に媚びることを疑わずに生きてきた老人の正しさなど理不尽でしかありえない、と分かっていても、付きまとわれるとやはり苛ついてしまうのだ。
 その老人にとっては正義なんだろう。勝手にやっていればいいさ、と分かっているのに、巻き込まれたらそのくだらないレベルに自ら堕ちていってしまう。

 それにしても、同じ失敗をなんど繰り返せば気が済むのだろう。自己嫌悪である。
 つまらぬ人間に惑わされ、人間関係につまずき、苦しみ思考しやっと脱出したなら、もう繰り返さなくてもいいだろう。
 それが成長というものだ。
 なのに何度も繰り返してしまう。なぜだ?

 人間は一直線の階段を登るように成長できない。
 天まで続く一直線の階段を一気に登るように成長しつづけることはできない。
 階段の下のほうで一度失敗したことを、登ったからといって二度と失敗しないで登り続ける、、、じゃなかったんだ。
 同じ失敗を繰り返す。
 まるで螺旋階段を登るように。
 
 螺旋階段・・・・
 円を描くように大きく回って一周する。
 考えて、模索して、遠回りして、、、
 それでもまた同じところに戻ってしまう。
 でも1周前よりは少しだけ高いところにきている。
 以前の同じところからほんの少しだけ高いところに上り、そこからの景色を見る。
 一直線の階段なら30歩分かもしれない。それをグルっと300歩で遠回りして元よりも少しだけ高みに登ることができる。
 元と同じところに戻ってしまい、同じ失敗を繰り返したようでも、ほんの少しだけ高いところにいるはずだ。
 だから同じ失敗でも、以前よりほんの少しだけ、それがどんな失敗か見えているはず。

 いい加減年をとり、階段を登り続けてきた。
 グルグルと遠周りをしていても、少しづつ高いところに歩いてきた。
 下をむけば、何度も失敗してきた風景が見える。
 ずっと下のほうで通過した幼い自分を超えたはず。
 どうすればいいか、微笑ながら見えるはず。

 もう、ずいぶん螺旋階段をのぼりながら成長したのだから。

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