「新型コロナウィルス」で人間の繋がりが断たれる先にあること

 NHKだったと思うが、なぜネアンデルタールが滅んでホモ・サピエンスが生き延び、繁栄したのかを紐解く番組をやっていた。
 ホモ・サピエンスは、氷河期であっても他者と繋がり助けうことで滅ぶこともなく生き延び、さらに繁栄し人間になったらしい。太古より今に至るまで、たとえ意識しなくとも他者と繋がることが人間のDNAとして刻み込まれているのだろう。
 よくよく考えてみれば、言葉を綴ることや写真撮りや絵描き、歌やピアノ弾きの表現にしても、人間が繋がるためのものだろう。言葉や表現は他者と繋がるためにあり、繋がる必要がなければ言葉や表現など不要である。誰にも読まれるのことのないテキスト、一人として見られることのない写真や絵、聞かれることのない歌やピアノは存在しないだろう。だが在る。他者と繋がるためにである。
 人間が言葉や表現などの観念をもったのも、人間の能力として現実に可能な繋がり(150人)以上に繋がろうとしてのこと。たとえ能力以上の虚構であっても人間は繋がろうとするわけだ。それほどまでに他者と繋がることは、人間であることと同義なのだろう。

 さて何が言いたいかというと、今、新型コロナウィルスによって、他者との繋がりを80%断てと言われているということはどういうことか、ということ。
 繋がりこそが人間の本質であるのに、家に引き篭もりそれを断てと言う。
 もちろん理由があり、ウィルスによって個々の生命が危機に晒されるからだな。
 死んでしまえば繋がりも何もない。とりあえず生きてこそである。だから他者との接触をできるだけ断とうということは解る。
 とはいえ、それは人間であることの根本を否定されてしまうということでもあるのだな。

 他者との関係を断たれる。
 私もこの息苦しさを感じているのだけど、新型コロナウィルス以前から感じている人は多い。傾聴をしていているとことさらよく解る。
 人は悩んだり苦しんだりする。
 その原因は、たとえば病気であったり経済であったりまた生きがいだったりするのだけど、話を聴いていると苦悩の根因は他者との関係が断たれることだと感じるのだ。もしくは自ら断ってしまったこと。
 すべての苦悩の根因は他者との関係である。
 語弊があるからもう少し書くが、逆をいえば人間関係によって悩んだり苦しんだりもする。それでは人間関係を一切断ってしまえばいいかというと、そうはならない。
 いくら人間関係により苦悩するとはいえ、まず他者と関係を持つのが人間である。前述人間のDNAと、他者との関係で成り立つのが実際の社会システムがあるわけで、まず他者と関係をもつから人間なのだ、という前提がある。
 人間関係による苦悩とは、苦悩されるような人間関係を持たされる、ことによる苦悩である。
 他者との関係で苦悩が発生しても、他に「助け合う」ような良質な他者との関係があれば苦悩が緩和されるということが傾聴をしていると解る。
 良質な他者との関係をもてず、すべての他者との繋がりが絶たれると、精神的な病になる。
 健康だったのに、予想もせず鬱などの病になったという人は多い。
 よくよく聞いてみると、やはり良質な他者との関係が絶たれたことで鬱になった、もしくは良質な繋がりが持てず病になったと解る。そして病にとどまらず自殺しようとする者も多くいる。
 人間関係をつくることが人間として生きることなら、他者と繋がることが絶たれて自殺することも納得できる。(納得できるから黙認するということではないが別のテーマなので省略)

 傾聴でそうしたことの実際を多く聴いていると、ふと考えてしまう。 
 期限の見えない期間限定の「他者との関係を中断しましょう」は、否応なくそうした空間を作り出しているのではないか?
 息苦しいという感じが続く中で、人間であることの根本を我慢していくうちに、いつのまにやら予期なく精神的な病になる。その先には自殺もあるだろう。
 傾聴でそうした人々の話を聴いた経験からすると、自分は大丈夫だとは、言えない。人間関係を断ちましょう、が長く続けばヤバイ。

 今だからこそ自粛・自制といわれるなかにおいても、良質な人間関係において意識的にわかりやすく他者と繋がっていきたいと思うのだ。


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