豊富な知識に裏付けされた自由奔放な作品ほど怖いもんはないんや…

こういうのは、閃きと感覚だけでぱっぱっとやっているうちは大したことないんや。
怖いのはこれに知識がついた時や。
豊富な知識に裏付けされた自由奔放な作品ほど怖いもんはないで……


NHK朝ドラのなかの陶芸作品についての台詞です。
主人公キミコの閃きと感覚だけでぱっぱっと造られた作品を見ながら、どこかの偉いさんが言ってました。
最近この台詞のようなことをずっと考え感じていたので、すごく響いたのです。それで書き留めておこうと思いました。

陶芸作品に限らず、全てにおいてこの台詞のようなことが言えると感じています。
ボク自身のことでいえば、、、
たとえば「写真」においても、
そして「傾聴」においても、
やはり最後には「生きる」ことにおいて。
「生きる」においては思索の積み重ねによる知識かもしれません。
豊富な思索、豊富な知識にうらづけられ自由奔放に生きる、、、
それが最強の「生きる」かもしれない。

肝心なのは知識を積み重ねることが目的ではく、自由奔放に生きるために知識を得る、となるのでしょう。

最後は豊富な知識を超越する。手放して自由になる、、かな?

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