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森の底と霊気と魂と

いつものように日曜日の朝、さてどうしたものかと考えた。
というか考えたフリだな。
天気もいいしねぇ、、、最初から決まっているくせに。
おそらく「山の霊気」なんてテキストを読んだときから「海上の森」へ行くと決めていたんだろう、ボクの裡でうごめく何かはさ、笑。
森であればどこでもいいわけじゃない。
何度も試したが市内の緑地公園では「感じる」ことができない。
ところが、海上の森だと何かを感じられるという確信がある。
海上の森へむかう車を運転しながら、そのことをぼぉ~と考えている。
何だろう?
さて何が違うのだろう?
それは単純に人為の介入の度合いと人の数の多少なのかもしれないな、となんとなくの結論にたっした頃、森に着いた。

車をおりてゆっくり歩き始める。
森では、木と草と花と蔓と木の実と落ち葉、虫と鳥とトカゲちキノコと朽木、木漏れ日と小川のせせらぎと風の音と突然落ちる枝の音、木の実が落ちる音、鳥の聲、虫の聲…、草の香、木の香、土の匂い、岩や石ころ……。
ありとあらゆる自然が生み出す混沌が続く。
ボクはその混沌に身を委ねながら、「感じ」の強い何かに反応する。
ずっと感じているわけではない。
突然感じて、たちどまり見つめる。
それはもしかしたらボクだけが「感じ」ている何かなのかもしれない。
同様に虫をみつめている人の「感じ」はその人だけの感応。
何に感応しているかボクには全くわからないが、立ち止まって一点を集中する人や目を閉じる人もいる。
人ぞれぞれ感じる何かは違うのか、なんてことを考えながらまた混沌のなかを進む。
混沌は続き、なんとなくそこに溶け込もうとするのだけど突然「感じ」が切断される。
そこにあるのは森の案内看板であり、火の用心の看板などの人工物。
まあ、混沌を切り分ける「道」は人工物なのだが、道もない森の奥へ流石に分け入っていけない。
が、やはり人工の道はどこかしら「感じ」の邪魔をしているのかもしれない。

それにしても、人工物以上に「感じ」が途切れるのは人間との出会い。
人間といっても混沌のなかに取り込まれちゃっている人はいいのだ。
「感じ」が途切れずにすれ違う事ができる。
一気に「感じ」が消えてしまうのは、、、
大声でしゃべりながらの集団と出会ったとき、、
山中ランニングで走ってくるランナー、、
ラジオや熊よけ鈴も駄目だ、、、
サンコウチョウを狙って必死に追っかけている鳥屋さんも、、、
ほんとのことを言えばすれ違う人との会釈や挨拶も、、、、
どうしても混沌に溶けるときの感じが途切れてしまう。
森が醸す「感じ」と人は相容れないのかなぁ、などと考えながら歩く。
考えながら歩くとさらに駄目だ。
とたんに感応が鈍くなってゆくのがわかる。

いずれにしろ「感じ」る何か、それが「霊気」なのだろうか?
それにしても「霊」とはなんだろう。

たしかにボクは、何かを「感じ」ているような気がする。
でもそれは、ボクだけの「感じ」ではないのか?
ボクの裡にある独自の感応体が受け取ってはじめて存在するような何か?
存在なんて書いてしまったが、そこに質量は感じられない。
「在る無し」でないことは解るのだ。
何かを発しているのは存在するキノコなのだが、感応するのはキノコそのものではない、キノコから発せられた何か。

形はないが発せられる「何か」に感応するボクの裡の「何か」
思わず「感応体」なんて書いてしまったが、それが身体のなかに実存する器官という感じではない。
ボクの裡にあるよくわからないもの????
まさか「魂」????、ふと浮かんだ言葉。
森から何か発せられるものが「霊」で、それに感応するボクの裡の「魂」。
うん、霊も魂も、言葉だな。
共によくわからない「何か」で、よくわからない「感じ」だ。
それが形あるものでも重さがあるものでもないけど、確かに在る、と感じる何か。

なんだか笑えてきた。
霊・魂、だなんてさ。
ひとり笑いながら森の道を歩いていると横に流れる小さな谷の細いせせらぎに突然落ちる何かがあった。
霊気などではなく、質量の塊。
うごめいている。
それは対岸の崖をかけあがり森の間伐の間をすり抜け走り登っていった。
シカだ。メスのニホンジカ。
疾走するシカをあっけにとられて見つめていた。
ふいにボクはシカを追いかけようと思った。
シカが駆け抜けた山の脇の道を歩く。
もう一度会えないものだろうか、と考えている自分が笑えた。
追いつけるはずもないのに。

その道はかなり以前歩いたことがある。
人為で砂利がひかれていて、つまらない道という印象が長い間ボクをその道から遠ざけていた。
ところが様相は一変していて、砂利の上に枯れ葉が落ちて荒れている。
荒れてているというのは人間の感覚で、自然に戻っていると言ったほうが正しいのかもしれない。
やがて道幅は細くなり、幾重にも落ち葉が覆う。
落ち葉の湿気のせいか若干ぬかるみ、足跡も獣っぽいものが目立つ。
どんどん森は深くなり風が吹き出した。
鳥の聲、虫の聲は数少なく、ただ樹々を風が揺らす。
まだ昼下がりにもかかわらず何かしら漆黒が落ちてくるように感じた。
ここが森の底?
確かに登っていっているのに底と感じる。
背筋が震える。
これはなんだろう? 恐れ?
誰もいない森に、一人取り残されたらこう感じるのだろうか? 姨捨山?
そんなものを感じながら歩くというより、踏み入れるといったほうが近い。
もう考えるは、やめよう。
身を任せよう。と腹をくくった。
相変わらず震え続けている。あぁ、これは恐れではないな畏れだ。
畏れ。
ほんとの霊気とはこの「感じ」なのかもしれない、と思った。
いっそ霊気につつまれたまま座って夜を待とうか?
ここで眠ったら夜中にはきっとあのシカがボクを魂ごと食べにきてくれるだろう。
そんな妄想を身にまとい、ボクはやはり歩きつづけた。
心地のよい畏れを感じながら。
いつしか霊と魂がつながった気がした。

朽ちた落ち葉に覆われる細い道を下る先に動くものが目に入る。
でかい。ボクは身構えた。
あのシカに再び会えたのだろうか。
それともイノシシ。まさかクマでは?
その影は動いている。
ボクは足をとめじっとそれを見ていた。
重なった樹々の影から現れたのは人だった。
一気に霊気は消え、ボクの裡の魂は影を潜めた。
やがていかにも登山らしい装備をした中年の男が近づいてきた。
ボクはすれ違うために道の淵にとまってしかたなく会釈をする。
その男は一瞥だけして通りすぎた。
しかめっ面で不機嫌このうえなさそうな顔だった。
なんだろう? この森の底の畏れを消す仏頂面。
男のあと20m後方から若い女とそのすぐ後ろに年老いた女が登ってきた。
前を歩く若い女は高校生だろうか。
街なかに映えそうなおしゃれなリュックと服装。
いかにも山歩き用という靴が不釣合いだった。
顔面蒼白で表情がない。
すれ違うボクを見ることもなく完全に無視して通りすぎる。
その後ろの歳をとった女は母親だろうか?
登山用の杖をつき、喋り続けていた。
先をいく仏頂面の男と、顔面蒼白な女子高生の間を埋めるように喋りつづけていた。

しかし、この手のトレッカーが歩くような道ではない。
きっと迷いこんだのだろう。
それとも昔の記憶だけで入り込んだのか?
人為から自然へ還ろうとしている道。
ボクは不覚にも、この家族の行く先のように荒れ果てた道と感じてしまった。
そう感じてしまった自分にがっくりする。
もう畏れもなにもない。
霊も魂も霧散してしまった。
完全に何かを感じることができなくなっていた。
今日はもう駄目だな。

何かを諦め、仕方なく森をあとにすることにした。
ただ歩いて森を降りる。
駐車場であの家族も降りてきていた。
娘はわかりやすく足を引きずって不機嫌を最大限に表明し車に乗り込んだ。
父親は仏頂面のまま本格登山靴をぬぎ、革靴を履いている。
母親はもう一言も喋ることもなくただ疲れ果てた顔をしていた。
このまま街にある家に帰るのだろうか?
あの家族が帰る家の空気を想像して陰鬱になってしまう。

そういえば、街のなかでは森にある霊気は感じない。
感じるのは不機嫌な気配。
それさえも感じなくなってきている自分がいる。
自己防衛だろうか?
ただの麻痺かもしれない。
街では魂に蓋がされているのか、魂が仮死しているのかは解らない。
街で仮死した魂をいつも、いつまでも森が蘇らせてくれるとは限らないのかもしれない。


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