アーティストというやつ

「いいよ」と推薦されてお借りしたDVD「ビューティフル・マインド」。なにやらパッケージに「全世界から絶賛された2001年度最高傑作」とか「アカデミー賞4部門」と書いてあるので、一般多数から評判がいい映画なのだろうね。で、オマエはどうなんだ、と聞かれれば、よかったです、と答えます。ただ「ビューティフル・マインド」というタイトルがまったくピンと来ないのだから、映画の意図とちがうところで「よかったです」と感じているのかもしれない。
 ネタバレエントリーですのでお気をつけて。
 まず映画を基本的に信用するとして、「統合失調症」というのはこういう風な世界を生きているんだと、可視化して観せてくれる。他の一般多数の人が見えないものが見える。見えてしまう。それが人物であったり、数式であったり。実際に天才数学者の半生をベースに描かれているらしくて、一般多数の人が見えたり感じたりできないものを見ることから画期的な「理論」を導きだしノーベル賞まで受賞しているのかもしれない。ただ一方で一般多数がみえていない人物が実在するかのように見えて、対峙して自分だけの物語を紡ぎ出す。その物語がゆえに他者の社会生活に危害を及ぼすことがあるので社会問題になる。
 特に学者としての実在の同僚や結婚した実在の女性は、物語と現実の狭間がなくなる「統合失調症」から実害をうけることになる。
 で、「治療」させられることになるのだが、治療やクスリにより「幻覚の人物」や「紡ぎ出された物語」がみえなくなると、みえていた数式の向こうの世界観もみえなくなる、と描かれる。つまり普通の一般多数と同じような凡才になるわけだ。クスリを飲むのを止めると元の妄想が戻ってくる。つまりいろいろなものが見えてきて、物語が綴られるわけだ。でも本人にとってはその物語が現実であり、見えていない一般多数のほうが「おかしい」んだけど。

 なんかさ、子どもの頃って誰もが実在しないいろいろなものが本当に見えている、ってのを思い出すよ。それとか、あたまに浮かぶ物語と現実の狭間がなくて物語が現実って感じってのも想像つく。かすかな記憶かもしれないが、あ、それ解る、って感じ。そんな幻覚や物語が成長するにしたがって見えなくなっていくらしい。それが大人になることなんだってさ。大人になるってことは「折り合い」がついたりして社会人になるってこと。まるでクスリを飲まされ「統合失調症」から「普通」になったかのように。
 でも、誰もがもっていただろう子どものときの才能を失うことなく持ち続ける人がいるよね。アーティストっていわれている人や哲学する人なんかもそうかもしれない。ちょっと我がつよいって言われたり、社会性がないって思われる人もそんな感じの人かもしれない。アーティストってのは、多くがきっと大人になって社会性をもち、見えなくなった「何か」が見えたり聞こえたりしているのだろう。
 でもね、じゃあ逆に普通の「社会性」ってなにかと言われれば、これはこれで一般多数がきめた物語、つまり「国家」とか「貨幣」とかetc、実在しない物語にのっかって共同幻想が本当に在るとしているだけで、根本的には「統合失調症」の個人的な幻想となにもかわらない。
 いや、他者が捏造った物語に乗って共同幻想をみるか、個の子どもっぽいピュアな物語を大切にするかみたいな言い方をすればずっと後者のほうが好ましく感じるし、何かを「発見」することができたり「表現」できたりするのはやはり後者のような気がするわけだ。まあ実際は「統合失調症」本人に不安があり、恐怖に怯えているわけだから単純に後者のほうがいいなんて言えないのだけど。でもアーティストってのは後者のもののような気がしてならない。
 残念ながらボク自身は前者のように「成長」してしまったのだけど、たまに浮かぶ「物語」を失わずに見つめていたい、もしかしたらそこになにかしら「発見」があるかもしれないし、なにかしら「表現」できるかもしれないわけだから……
 

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