もし「死にたい」といふ子どもに出会ったら

♫都会では自殺する若者が増えている・・♪
なんてラジオから流れていたボクの小学時代と今では自殺する理由はまったく変わってきているのだろう。
それぐらい時は流れ、環境も人間関係もこの世的価値も流れた。
そもそもこの歌の若者ってのは大学生か、それ以上か?
いまじゃ小学校に中学校、高校生、大学生もいるかな、、でも社会を憂いてかというと、ちょっと違いそう。
♪それより問題は今日の雨、傘がない・・♫
もっと身近で肌で感じる苦悩。
家庭、学校、、、、SNS?
親にいえず、先生にいえず、親友はいない。
虐待などの親が原因で「死にたい」ならば親にはいえない。そうでなくても親に心配かけたくないという親への気遣い、そうでなければ親のつまらぬアドバイスなど聞きたくないから。実は子どものほうが解っていてしっかりしているのかも。
先生にチクることのヤバさ。受け止めてくれない先生の無能さをしっているからよけいに傷つく、だから言うわけないし。
うっかり友達にいえば、どうなるなんかわからない。親友なんていなし。

まぁ、いずれにしろボクが「死にたい」とつぶやく子どもと対峙する機会はなさそう。
唯一直接対峙する可能性のある帰省した息子はのほほんとあくびしているし、、、笑
でも「傾聴」なんてはじめた今はもしかしたら出会うかもしれない、、、
そんなときのために思いつくままにメモ書き。

たとえそんな子どもと出会っても、傾聴ですることは何も変わることはない。
悩める大人と同じ。悩める青年と同じ。悩める老人と同じ、ただ聴くだけ。
死にたい、、、といっても否定はしない。
死にたいんだね、それほどつらいんだね・・・と受け止める。
否定しないとは、死ぬのもいいかもね、と肯定することとは違う。
ただ、気持ちを受け止める。
そのあと沈黙がつづくかもしれないけど、次の言葉が絞りだされるまで待っている。
もしかしたら、なにがあったの? ぐらい聞くかもしれないけど・・・
やはり話したくなるまでまつ。
ぽつり、ぽつり、と話し始めたなら、ぽつり、ぽつりと聴く。
ゆっくり話すなら、ゆっくり聴く。
早口で話し始めても、ゆっくり聴く^^
何を喋ってもいい、って思へるのは、ゆっくり聴いたほうがいい。
これまでずっと否定されてきたのかもしれない。
否定されたり、違うといわれるのが怖くて言葉がでない。
心から何を言ってもいいと伝えたい。
それがどんなことでも全部うけとめて、寄り添う。
自分の子ども時代の話なんかしない。
自分がどうその辛い時を乗り越えたかなんていわない。
そんな大人がいうことなんか聞いても聞こえてこないし、
聞こえてきたら何も喋れなくなる。
その子はその子自身の今を抱え込んでいる。
どうしたらいい、とか、こんな方法があるよ、なんて最悪だ。
いっさいのアドバイスは自分の正しさの押し付け。
大人的な、社会的な、常識的な正しさの押し付け。
その子は自分の正しいを知っている。
自分の正しいにたどり着く力をもっている。
力を認めてもらえないか、力を抑えられているか、
力を否定されるか、力があることを誰も信じないか……
だから死にたくなるのではないか?
かならず自分の正しいをみつける。
たどりつく力があることをボクは信じている。
その子の正しいを聴いて受け止めて認めて同意して全部受け止める。
それがもし社会的でなくても、不合理でも、拗ねた気持ちであっても、、、
その自分の正しいをまた乗り越えるのも自分。
必ず階段をのぼるように次の正しいにたどり着く、と信じる。
いつでも観ていて、話を聴くと伝える。
それしかないと思っている。

こんなことを何度でも確認して、傾聴でいつ出会うかわからない子どもに備えたいと思う。


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