僕らは奇跡でできている

だいぶ前ですが、テレビでこのタイトルを知り必ず観ようと思いました。
まあ、ただのテレビドラマなのですが。
ついに最終回をむかえ終わってしまいました。
毎週、楽しみに観ていたのでとても残念です。
とはいえ、ほとんど何も事件が起きないドラマでした。
一番大きな事件で、親の許可を得なかった子どもを動物園につれていって問題になったくらい。それでも、、、
ドラマにありがちなドラマチックな事件やアッと驚く事件はなくとも、「人」が自ら変わっていく物語であり、それがとても心地よく、ずっと続いてほしいと感じました。

高橋一生演じる主人公の一輝は発達障害(ET)です。ドラマの中ではそのことを「直接」は言いません。ただそうしたエピソードや現在の様子から明らかにETです。
ETにありがちのように、一輝もただ、一輝のまま振る舞っています。
他者の気持ちも察することもなく、空気を読むこともありません。
感じたことを言い、思ったとおり行動する。
嫌なことはやりたくなく、時間もあまり気にしません。
なんの縛りもありません。やりたいことをやり、楽しむ。
とはいえ他者を傷つけることはありません。
もし傷ついているのなら、他者が勝手に傷ついている。

一輝の周囲の定型発達(NT)からみれば、イライラするし、宇宙人をみるよな目でみみます。
一輝はそうした他者の目をまるで気にしない。痛快です。
そんな一輝になんの抵抗もなく、すぐに仲良くなったのがETのコウイチ少年。ET同士感じ合う、落ち着く感があるのでしょうか?
会話も心地よいし、感性もいい感じ。
次に一輝を最初は変なヤツだと感じながらも「面白い」といいいながら吸い寄せられたのが、一輝の講義をうけた学生たち。それでも何人かの生徒には一輝のようにはなれないという葛藤が生じます。自分に苛つきながらも、ETの一輝に憧れます。凄いです。
それに比べて、この社会を基準に自ら呪縛されている大人NTはダメでした。
一輝を受け入れられません。
大人NTは、自らが培ってきた(と本人は思っている)正しさ、価値観を振り回し、怒り、呆れ、嘲笑し、突き放し、、、やがて、泣く、、、泣き崩れる、、、泣き崩れながら泣いている自分を否定したり、ハッと目が覚めたり。
一輝を認めることは自己を否定することになると実は知っているのでしょう。
だからこそ、そのことを隠匿する。包み隠すことなく言ってしまうと、考えなければならず、考えてしまったら結局は自己否定に至ってしまうから。
一輝を変なヤツ、社会には則れない非常識なヤツというレッテルを貼れば自己を否定せずにすむ。自己を否定しなければ傷つかなくてすむ、、、、
一輝と接することで、暴かれていく自己に必死に抵抗しますが、やがて抵抗しきれなくなり自らの拘束具を裡側から破ることになります。
一輝にとっては、そんなこともお構いなしなのですが、、、笑
呪縛されたNTたちは、勝手に怒り、呆れ、突き放し、、、、泣き崩れ、、、そして最後には解放される、、、
魅入ってしまいました。
一輝の周囲のNTが隠匿しつづける、、、ことができなかったのはドラマだからということはありそうです。リアル社会では、やはり「ヤバそうなヤツ」とレッテルを貼り他者の責任に転嫁しつつ、一輝からは離れることになるのでしょう。
そうではなく皆が変わった。ちょっとあり得ない夢をみることができた、そんなドラマに惹かれたボクがいるのかもしれません。

今回、このドラマの雑感を書くにあたり少しググってみました。
そのなかに、一輝を演じた高橋一生がコメントを残していました。
それを紹介しておきます。

「僕は、このドラマについて、一輝の周りの人たちが一輝に変えられていくのではなく、それぞれがはじめから持っているものに気づいていく話だと思っています。それってとても尊いことで。人は変わっていくことなんてきっとできなくて、元々あるものを掘り出して、自分の中でハッキリ自覚していく。そういう人間の本来の美しさのようなものが、10話でしっかりとピリオドとして描かれていると思うので、そういうところを少しでも感じてもらえるとうれしいです」

そうですね。覚醒、解放するのは自分次第だと、ボクも思います。

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