【私が教えてもらったこと】
特別支援学級の担任は、支援という言葉にもあるように、
クラスの中であまり前面に立つことをしません。
この課題はできそうにないなって分かった時は、
ちょっと眺めていて、必要なものをささっと準備して児童が自分でできたぞという部分があるように支援します。
例えば
図画工作の時には、「自由に描きましょう」というクラスの先生のお話があった後、とても不安そうな表情になります。「自由に」って言われると描けないので、動物で一番好きなものを書いたら?とか、野菜なら動かないから描きやすいんじゃないの?などと言葉で支援します。うまくいくと、児童に僕って結構頑張ったな!と 自信を持たせることができます。でもそれを、当の子供から感謝されることは、だいたいありません。それは、私が近づいていくということは、自分に障害があるということが、ばれてしまうことを示しているからです。
日本では、自分よりも身分が低かったり、能力が低かったりする人がいるということで、大多数の農民の精神のバランスをとってきた歴史があります。
そして、昔から障害を持っていると、「かたわ」だとか「できそこない」とか「死にぞこない」とか、けっこうひどい言い方をしてきた歴史もあります。
そして、民間でもひどく差別してきました。そういうひとがいえにいるということがわからないように外に出られないように家の中に牢屋みたいな部屋を作って押し込めてしまったという話も本当がどうか?わかりませんが、話としてはあります。
だから、今でも子供たちは恐れています。自分は、みんなと変わらないんだ、普通なんだ。みんなに合わせよう、障害があるってことは大したことじゃないんだって、思いこもうとする姿勢が子供たちには日常的にあります。それがまた、子供たちや優しい保護者を追い詰めるのです
私が支援しようとすると、「余計なことをしないで、自分には支援は必要ない。」と言われることもしばしばです。今はそういう時に、うまい塩梅で、手を出しすぎないように支援することができますが、初めに受け持った時は「なんと恩知らずな‼!ヽ(`Д´)ノプンプン」と頭にきていたホントしょうもない教員でした。
「自分に近づかないで!」という在籍児童は、ソーシャルスキルを十分に教えてあげられないまま友達と接することになるのでトラブル続出になることも珍しくありません。
そうなったときは、私自身も保護者や本人の親や管理職や同僚やクラスのほかの児童に、佐藤先生は何を教えているのか?全然変容が見られないじゃないか?給料泥棒め!という目でみられていたこともあります。(*^。^*)いやいやそこまではないか!
でも……でもね。今なら説明責任を果たすことができます。
小学1年生だったとしても、そうなるまでには、6年間成長してきていますから、1週間や2週間では変容が見られないのが普通なんです。今、悩んでいる先生方に、私はそう言いたい。
変わらなくても近くにいてあげるには強さと勇気が必要なんです。
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