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コーヒーブレイク9回目:Back to Kyoto, Memory of "Good Samaritan Club"、空気を読むな、本を読め etc

2019年2月に記載した記事の振り返りになります。
なぜ、「ボストンのタフツ大学フレッチャースクール」に留学したのか、それと関係する学生時代の振り返りです。

1.京都での学生生活の始まり

「海外留学」、そう、この言葉に憧れを抱き始めるようになったのは、大学時代に遡ります。
1浪の上、更に都内の私立大学にて1仮面浪人を経て、「そうだ京都いこう」と思い立ち、無事に1000年の都、京都に辿り着きました。

せっかく、京都での学生生活なのだから、京都らしいことをしようと思っていた矢先に、「京都を通じて世界と出会う(Meet the World through Kyoto)」というパンフレットと出会いました。

「京都を通じて世界を出会う」なんて、「1粒で2度おいしい」を彷彿させる、美味しいどころどりの台詞ではないか。そのパンフレットは白黒で、海外の人達と一緒に、京都の寺社仏閣を前に満面の笑みを表す学生が写っていました。

裏面を見てみると、クラブに入部したい人は、説明会に参加するように記載がありました。

クラブの名前は、“Good Samaritan Club”でした。

宗教がかった不思議な名前でした。
そういえば、前に在籍していた、大学でも「エホバの証人」の勧誘を受けたことがありました。
しかし、パンフレットを渡して下さった人からは全く勧誘が無かったし、ひとまず、説明会に参加することで、このSamaritanとは何かを解き明かそうと思いました。

私が受け取ったパンフレットの翌年2009年のものです。標語もConnect with the worldになっていました♪


2.Good Samaritan Clubの説明会

さて、ドキドキしながら、Good Samaritan Clubの説明会に参加すると、15人近くの1年生がいました。周りもどこか緊張した面持ちです。
説明して下さる方は、女性の学生でした。テキパキとクラブの活動内容が説明されました。

まず、サークルの目的は、「ボランティアガイドとしての責任を持ち、国際交流を推進するため、京都を訪れる外国人観光客を無料でガイドする」ということ。更に、「ボランティア活動であるため、ガイドした相手から金銭を受け取ることができない」ということらしい。
First impressionは、非常に、真面目で律儀な印象を受けました。

部員は、月に1度はガイドしなければいけない。

急にガイドをやって下さいという訳ではなく、1人立ちする前に、何度か先輩のガイドに付き添い、ガイドを学ぶ機会があるといいます。また、ガイドのために、週に1度勉強会への参加を義務付けられている。

これは、月曜~金曜の中で、半期ごとに自分の都合の良い曜日を選択して、その曜日の勉強会に継続的に参加する形になるという。ここでは、マニュアルに沿って、順番に寺社仏閣を学んだり、その他、ガイドに役立つ実践的な英語表現や知識を学ぶといいます。

これ以外には、サークル運営の観点から、月に1度(3月と9月を除く第一土曜日)、全部員が一同に会する総会という場が設置されているようです。これは、2回生後期~3回生前期の幹部学年が主体となって、サークル全体の意思決定や方向性を決める場になる。

これら一連の説明を聞いた後に、驚愕したのが、重要なお知らせでした、、、( ;∀;)

2019年時のホームページ


3.重要なお知らせ

これら一連の説明を聞いた後に、驚愕したのが、重要なお知らせでした、、、

それは、誰もがクラブに入れるわけではないこと。「それを早く言わんか~い!」と東京人での私でさえも、心の中でツッコミを入れました。

聞けば、「Good Samaritan Clubは、50年近くに歴史があり、京都市、寺社仏閣、他県のガイドサークルをはじめとする団体と長い信頼関係で成り立っている。また、新入生を1人前のガイドにするためにも、時間を要するため、受け入れ人数をどうしても制限せざるを得ない」という。

さらに続けて、「そのため、入部に際して、面接を実施してセレクションと行い、基本的には4年間退部が出来ない制度になっている」と、、、

わぉ、テニサーばりのセレクションシステム+強制的な活動システムという剛腕ぶりである、はんなりした京都らしい説明とは打って変わって、会場の雰囲気は、弱肉強食のジャングルのように様変わりしました。

そして、最後に電気が落とされて、軽快なテンポの洋楽のBGMと共に、サークルの活動PVが流れました。笑顔溢れる外国人ツーリストとクラブメンバーの写真が次々に切り替わっていきました。

かつて見たことのある世界がここにはある」という余韻に浸ってしまいました。

出町柳駅近くの「鴨川デルタ」京都に行ったことのある人、滞在した人には印象的なまったりとした場所です!

“Here is the only place I will engage myself into”(実存主義的に言えば、アンガージュマン!英語の”engagement”や"engage"を使用する毎に「状況に自らかかわることにより、歴史を意味づける自由な主体として生きる」というカッコいいnuanceを思い浮かべるのは私だけでしょうか?!)という強い気持ちをみなぎらせて、面接に臨むことに決めました。
(もちろん、落ちた時の為に備えて、Kidikidsというテニサーのセレクションも受けて、内定もいただいていたことは、サイドストーリーです)


4.面接本番

面接当日は、十分に対策することのないままであったが、根拠ない自信には満ちていました。
1浪、1仮面浪人を経て、現役生よりは2歳も人生経験を経ているという、何のプラスにもならない、年功序列的な発想でした。

面接官は、ざっと8人。
一言で言うと、「多い」。1人の面接時間は12分程度と聞いていました。”Please come in”というのっけから英語、しかしその直後は、「Relaxして下さい」と言う日本語が飛んできました。

どう考えても、Relaxできるわけがありません。
事前に、大学の寮に入るための面接を2度経ていたため(1つは落ちたということ)、ただひたすら瞬発力のみを重視して、回答しました。

「日本の四季で一番好きなのは」等、多種多様な質問をされたが、自分の回答まで覚えているのは、「京都で一番好きな場所はどこですか?」というもののみでした。

みなさまは何と答えるでしょうか?

こういう質問に対しては、他者との差別化を印象付けるために、「通」な感じを出さなければいけないと気づいていた私は、おいそれと、「金閣寺」、「清水寺」といった世界遺産を答えるわけにはいきませんでした!

こんなことは、京都に初めて行く修学旅行生でも答えられるわけですから、、、

愛宕(オタギ)念仏寺です。嵐山の北の方に位置していて、嵐山の華やかな雰囲気とは180度異なります。私は母親と一緒に、訪れましたが、京都にこんな観光地、観光地していなくて、現地に根差した場所があることに驚きました。

ここは、元々身寄りのいない死者を埋葬する地域で、そこはかとなく寂しい雰囲気が感じられます。供養にはお墓の代わりに石仏を備えますが、一体一体異なる表情の石仏があり、ギターを持っていたり、ご飯を食べていたりと微笑ましさがあります。ガイドの際には、もちろん有名な寺社も良いですが、ローカルな場所で、過去に思いを馳せるというのも良いと思います」と熱弁しました。

「愛宕(オタギ)念仏寺」のHPのイメージ図、京都好きにも関わらず、行ったことが無い人にはオススメです。

後日、無事に、合格通知のメールがきて、1人ガッツポーズをしました。

こんなことから、私の“Kyoto Début”“International Relation”とのつながりが始まりました。

余談ですが、先輩の手取り足取りの指導を経て、1人立ちした後に、最初にカメラマンのアメリカ人女性と訪れたのは、愛宕(オタギ)念仏寺でした。

英語力が無さ過ぎて、バスの中でも移動時にどういった話をすればいいのか、四苦八苦(アクセック)していましたが、「絶対1人では行けないところなので、京都滞在が素敵なものになった」と、別れ際にお褒めの言葉をいただきました。

英語の不出来を忘れて、すぐに自己肯定に走ってしまったのは、言うまでもありません。


5.大学生活後半戦

大学生活も3回生(※関西では年生ではなく、大学に入学してから経過した年数である回生を用いる、8回生だけど4年生なんて人もいる)後半に差し掛かりました。

2回生後半~3回生後半は、Samaritan で部長を拝命しました♪

高田純次に負けずとも劣らない無責任人間の私でも部長が務まったのは、もちろん、2人副部長、議長、そして全クラブメンバーが私を温かく見守って、時には助けてくれたからに他なりません。

こんな人の温かさに触れていた私は、当時、同時に社会の厳しさにも直面していました。

2009年にリーマンショックが起きてから、学生の就職難が訪れていました!

どうも経済が振るわないようでした。
その波は、経済に鈍感な京都にも押し寄せていました。京都の学生にとっては、就職活動という社会との接点を作る活動は、不慣れで不向きであったように思えました。

打って変わって、私は、東京出身で都内の私立にも1年間通っていたため、就職活動の厳しさを傍目で見ていました。

就職カーストなる言葉があることも知っていましたし、そもそもインターンシップや企業のことを知る機会は一生に一度しかないと、苦しい言い聞かせをして、就職活動を早めに開始しました。

3回生の夏休みには、アクセン(悪戦)チュ●という目がコンサルやGLE●という当時流行だったモバゲーの会社にインターンしてみました。

ロジカルシンキングブームにはまり、MECE、フェルミ推定、ツリー構造やSWOT分析なんていうのを身につけましたが、あまりワクワクするものではありませんでした。

当時、勝間和代なんて人がいましたが、何が凄いのか、あまり理解できませんでした。
確か、大学時代に結婚して出産して、子育てをしながら猛烈に働くというバリバリのキャリアウーマンの走りだったため流行した記憶があります。

しかし、自称国際派を打ち出していながら、英語インタビューは日本語英語で、中身も無いものだったため、「なんだかな~」と思いました。

こんななか、結局は、自分は何がしたいのか、日々悩んでいました。

というのは、半分嘘でして、悩んでいるだけでは意味がないため、大学の方向とは逆方向の岡崎の平安神宮近くの京都府立図書館の2階のDVDコーナーで、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見続けました。

そして、将来的には、ドラゴン桜の竹岡広信先生や、京都市立堀川高校の荒瀬克己先生のように、若い人に夢と希望と動機を与えるような先生になりたいと思いました。

荒瀬先生を訪ねてみたり、先生という職業をよくよく調べてみると、現実的に厳しいことが判明しました。
●予備校教師は、実力主義で、待遇があまり良くありません。
●学校の先生は、あまりに拘束時間が長く、自分を教育する時間が無いという厳しい現実を知りました。

そういえば、私は、Good Samaritanで活動をしていた時、同級生の多くが、夏休み・冬休みには海外に旅立ち、1年間の留学をしていました。

私も負けじと、イギリス/スウェーデン/フランスに3週間、スペイン/ポルトガルに3週間、東南アジアに3か月とショートの滞在経験はしていましたが、留学は断念したのでした。

その理由は、当時既に2浪状態であり、これ以上歳を重ねることを世の中が許してくれるか分からず、私自身、早く働きたいと思ったためでした。

いつか海外で学んでみたい!、これは私の中では1番のプライオリティ(top priority)になっていました。

そして、そんな機会を許す職業が、世の中には存在することに気づいてしまった。

そう、それは。。。

京都で悩んだ時はいつも大文字山に登っていました。
京都の街並みが一望できます♪


6.海外で学べる職業

「いつか海外で学んでみたい」そんな望みをかなえてくれる選択肢として私の目の前に現れたのは、そう、「国家公務員」でした。

当時は、国家公務員=役人=政治家を利用する悪役=ショッカー(仮面ライダーの悪役)というイメージが自分のなかにありました。

しかし、よくよく調べてみると、国家公務員は、ある程度の期間働くと、人事院による「行政官長期在外研究員制度」というものあります。

堅苦しそうですが、要するに2年間海外の大学院に政府がお金を出して派遣してくれるという仕組みでした。

Excellentの仕組みで、非常に魅力的な仕事だと思いました。大学では国際経済学を学んでいましたし、将来、(Good Samaritan Clubの影響もあり)日本と世界の架け橋になるような仕事をしたいと思っていた私には、それを手助けしてくれる制度でした。

どれどれ、国家公務員になるのは、国家公務員試験というものを受けなくてはいけないようです。しかも、これは合格倍率が何十倍もする!と言われています(後ほど気づきましたが、無料で受験できるのでお試しの人も多いので、実際の倍率は公表されているものよりは、相当低いようです)。

当時は、教養試験と専門試験に分かれていて、色々と勉強しなければいけないことが多く、教養試験では数的処理という一見面白そうですが、難解なクイズのような問題があったり、専門試験は論述もあったりと、大学受験ぶりに再度受験勉強生になることを迫れられるような感じでした。

大学受験の際の反省ですが、こういった試験勉強は時間をかけてもあまり意味がなく、集中して短時間で愉しみながら、攻略していく方がいいと、前向きな気持ちで勉強することに決めました!


7.就活後の出口戦略(2011年10月~12月)

私は、何事に対しても、熱しやすく冷めやすい性質があります。しかも、要領があまり良くないです。そんなわけで、国家公務員試験の勉強なんて、あまり長く続けられる質(たち)ではありませんでした。

はやくも、就活が終わった後の出口戦略を考えてしまいました。

色々と探していると、我がGood Samaritan Clubの先輩方が参加した内閣府のプログラムが最適だということに気づきました。その名は、「東南アジア青年の船」という事業です。

これは、ASEAN10ケ国の各国から30人の青年と日本青年40人が同じ船で一緒に交流して、5ケ国の寄港地でホームステイするというプログラムでした。2011年は、以下のスケジュールでした。

●2011年10月25日~11月4日:日本国内

●11月10日~13日:フィリピンでホームステイ

●11月16日~19日:ブルネイでホームステイ

●11月22日~25日:インドネシアでホームステイ

●11月28日~12月1日:マレーシアでホームステイ

●12月4日~7日:ベトナムでホームステイ

●12月16日:日本帰国

また、事前活動として、日本人参加青年同士で夏休み前から出し物や企画準備をする、事前研修を受けるというものでした。

いまでも、若い大学生の方にアドバイスを求められた時には、本プログラムをお勧めしています。

というわけで、国家公務員の試験勉強には、なかなか身が入らなかったわけですが、とは言え、私は、大学受験にも何度か失敗して、試験勉強を苦手としていた身です。そんな過去の自分と決別するためには、さすがに集中して、1発合格を目指さないと、このカルマ(負のスパイラル)からは抜け出せないと、一念発起して、わが身を奮わせました。

大学3回生の年越しで、3人の友人と共に、南禅寺で除夜の鐘の音を聞き、高台寺で真夜中のライトアップに心洗われて、大文字山で初日の出と見てからというもの、気持ちの切り替えをして、「質実剛健」、「滅私奉公」スタイルになりました。

やはり、持つものは、気心の知れた友人ですね♪

そして、無事に、筆記試験、面接試験、官庁訪問を乗り越えて、就職活動を終えることができました。

この「東南アジア青年の船」の体験のおかげで、私はミャンマーが好きになりました。詳しくは、以下をご覧ください。


8.戦略的学生生活概論(2011年9月)

無事に、就職活動を終えてからの過ごし方が問題でした。先生という職業への諦めを捨てきれなかったことから、Good Samaritan Clubの1、2回生の後輩に向けて「戦略的学生生活概論」という双方向の講座を開催することにしました。

日本の大学生というのは、1、2回生が終わるあたりに、良くも悪くも将来の就職の心配をしなければいけません。
実質的な大学生活は短いため、「1回生の頃から、もがき愉しめ!」というアドバイスを主目的としていました。

いま振り返ると、恥ずかしい内容ではありますが、現在、仕事を継続できている熱意の源がこの辺りにあるのだと、懐かしくなります。

P.S. 私の自己満足に終始すると思っていましたが、私の卒業後に、OP会の際に「戦略的社会人生活入門」という講座を2~3回開催したところ、2019年までは1年に1回開催される11月のOP会に合わせてOPが同講座を開講し、OPと現役生の接点として機能している、という話を聞いて、感銘を受けました!

以下は、私が2011年9月23日、大学4回生の時にプレゼンした内容です。


戦略的学生生活概論(Which way I move forward in campus life?)

注:あくまで筆者個人の主観的考えであることをお忘れなきよう(It's just for your information.)

1.大学って何ぞや?
2.どういう大学生活を送るのか(Tさんの場合)
3.タイムスケジュール
4.賢人スタイル

Background Data
●高校2年漠然と将来の心配
●大学とはどのような所か?気になり始める、フォトジャーナリズムも考える
●東大の岩井克人先生に師事しようと思い始める
●浪人時代 当時の小宮山総長の学問間(Discipline)の対話に魅了される
●現役と浪人の結果は変わらず都内の有名私立大学経済学部に進む
●自分の一年間の努力(模試総合A判定、1日10時間以上の勉強、塾2つに通う)が功を奏さず、途方に暮れる
●Processは結果がついてきてのものだと強く実感(結果至上主義に傾く)
●有名私立大学で、国際会との出会い(偏差値至上主義教育の申し子敗れる)
●知に対する好奇心が旺盛な方々に囲まれて自分のあまりの無知を自覚
●内田樹さんの「街場の現代思想」に触発される。以後「寝ながら学べる構造主義」を読んで、構造主義(ポストモダン)に興味を持つ
●自分が今生きている今日、支配的思想が何であり、それがどのような歴史的経緯を持って現れたのかに並々ならぬ関心「大学生の学び入門」by溝上慎一に出会う
●京都の魑魅魍魎が住まう自由闊達な学生生活に憧憬を抱く(裏で受験勉強をするスパイ生活に突入)
●ゆとりの京大経済学部論文入試で京都へ
●憧れの寮生活、ゼミ、サークルなどに入る

2年間分の遅れがあるので最初2年で取り戻そうと必死の学生生活を送る
※Human beings are to be changeable. I can choose what I am going to be.という前提

1.学習VS受験勉強嫌いは仕方がない!?
●大学とは間違いなく学びの機関である。
●大学の歴史変遷→学問の場or職業訓練の場? というか教養って何?
●旧制高校の時代→大衆化+学生運動の時代→駅弁大学=過剰にユニバーサル化した大学
●大学のレジャーランド化
●大学に行くことが無価値に・・・(MIT Open Course)、大卒でも就職難なのは当たり前
●大学の自助努力 蛸壺化からの脱却 
(1988年立命国関 1990年慶応SFC 1992年京大総人 2004年同志社政策 2011年同志社グローバルコミュニケーション)
●時代は学際化→国際化(秋田国際教養大学、立命館APU)

2.大学生活4年間の後は本格的な学びは終了=日本の社会システム
●Who、What、When、Where、Why +How 『大学生の学び・入門』 溝上慎一

●いつから何を何のためにどのように学ぶの、大学の中で?
1回生:手を広げる
熊野寮での連日どんちゃん騒ぎ(寮祭実行委員長)、京都大学新聞、彩京前線、ボランティアガイド、ぱんきょーゼミ、国際シンポジウム 30th、運転免許合宿

2回生:選択と集中目標は 3点=TOEFL100点で留学、体重60キロ、本100冊
祇園孝也バイト、ゲイバーバイト、朝ドリブル、積読、ゼミ2つ(国際経済、ロジカルシンキング)、ガイド、イギリス・ノルウェー・フランス旅行( with father)、Discussion サークル創設、ボランティアガイドサークル部長(オーストラリア国立大学への留学断念)、卓球サークル

3回生:身近な人を支え、支えられる
面接委員、国際関係論サークル、国際経済学ゼミ長、コンサル(Accenture)・ベンチャー(Glee)インターン、ゼミ論、就活

4回生:時間をフル活用公務員試験のお勉強(試験勉強はくだらないため、出来るだけ時間を使わないように心がける)
要領のよさ、効率性だけを追求、
●民間就職活動にはまりだす「ノルウェイの森」に大事なことを教わる
→死んでもいいけど生きるなら如何にして生きるか?
●自分の追求する価値観、人生で達成したいことを突き詰めて考える
●スーパー公務員木村俊昭に感激
→こんな公務員になりたい
●Professional 仕事の流儀やカンブリア宮殿などの人物を見まくる
●自分はどういう人間になりたいか?
→一番近いと思ったのが「竹岡広信」「荒瀬克己」
●自分は将来教育、人材育成に関わりたいと改めて認識
●霞が関の総合商社×日本国のコンサルティングファーム、ここでしか出来ないことが山ほど
●産業人材育成×エネルギー政策×通商交渉×新産業創造

4回生就活終了後:やり残した内容を全て尽くす
西安交通大学 2週間交換留学、東南アジア青年の船 43日間+ 研修、ゼミ論完成、卒業旅行

好きな分野
ポストモダン→教育→社会→国際政治→ビジネス書→金融危機→マクロ・ミクロ経済・・・

好きな作家
内田樹、村上春樹、ウォーラーステイン、 Eトッド、ジャックアタリ、池上彰、高橋洋一、佐藤優

参加して成長したイベント
国際シンポジウム 30t
東南アジア青年の船→ユースリーダーズサミット

感想
●自身の将来が既視化できるコースを歩むのって人間の幅が広がらないのでは・・・
●学びの基本って、忍耐力ではないか?数学を途中挫折した人は楽しさが分からない
●じっくりどっしり落ち着いて机に向かえることが全ての基本♪
●留学もあきらめたけど、機会費用を常に考えてその分前向きに!

3. Time Control
●大学生の時間は思ったより短い→時間は流れ、過ぎ去り、償い難く逃れ去る。が同時に、それは前進し、進歩し、無際限でかつまた把え難い未来へ向け出立する。ミンコフスキー『生きられる時間』
●時間管理はIE(Important×Emergency)マトリックス→1日の時間
●学生時代の時間→将来の時間、将来を楽しくする環境作りをした方がBetterなのではないか? 
●将来への自己投資は、末永き人生全体の効用最大化 Take it easy and find or decide ur favorite things.
●試験の時の時間の使い方、アウトプット効果は逓減するのが、あまり時間をかけないとその試験時間さえ無駄になる。適切な事前配分時間は0ではいけないという経済学の教え=なんでもひとまずトライすべきという発想
●ニュートン的時間は古い→アンリ・ベルグソン的時間を
●タバコは寿命を縮めるから反対する人が多いが、テレビを見ることも変わらない!?

4.Mori さん(サークルで尊敬する同期)から学んだこと
●①集中力②要領の良さ③仮説思考
●①キッチンタイマー勉強法②タスクの書き出し③日常的に頭を使う
●清水寺を1年に何人の人が訪れるでしょうか?
●もちろん日常でも仮説思考はしているが、意識できるかは重大な違い
●脳を使うことが楽しくなれば、プロ

Every in the world is gradually decreasing, but one exception, it is the brain that is increasing if u use it.

吉田山企画も、2回生入部も、土勉も、後期青勉も、OP訪問活性化もヤル気になれば、なーんだってさせてくれるのです♪

みなさまもまもなく先輩になると思われますが、Enjoy it!

Live as if u were to die tomorrow. Learn as if u were to live forever.

以上

最後に、蛇足ですが、先生という職業を諦めきれなかったため、現在、各大学で非常勤講師として、以下の講座を担当しています。


9.空気を読むな、本を読め!(大学での人生を変える1冊の本との出会い、2012年11月)

空気を読むな、本を読め!」というレクチャーをおこなったのが、2012年11月3日の同志社大学今出川キャンパスの1教室のなかでした。

私は、都内の中高一貫校に通っていましたが、中学校卒業時にチームで取り組む卒業論文が課されました。
1度、わが家でおこなった打ち合わせがありましたが、その際にはじめて気づいたことが、自分は自分の意見を日本語で言えないという致命的なことでした。

そもそも自分が使用する日本語に自信がない、自分が発する日本語に自信がないものだから、相手に伝わる日本語には全く自信を持てない。

後ほど、母親から、「あなたは何を言おうとしているか全く理解できないわ。あれじゃ、友達も可哀そうね」と一言ぴしゃり。

これには中学生ながら衝撃を受けました。
もともと国語嫌いだし、本も読まないし、日本語にもあまり自信がなかったことは知っていましたが、他人、ましてや母親から友達の気持ちを代弁されて、友人に対して気の毒になりました。

この時の体験を心のなかにそっと忍び込んでいたまま、決して本を読もうとせず、高校2年生になりました。

もともと、まとまりのない、一体性のない中高でしたが、高校生にもなると各々自我が目覚めてくるのか、ニ―チェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を机の上にずっと置いて、ニーチェを信奉していて、いちいち議論が哲学的なやつが1人いました。
彼はつねに革ジャンと革ジーンズという奇抜な服装で、話し方がいちいち鼻につきます。彼に言わせれば、人は超人になれなければいけないとか、人は道徳という人間が作り出したしょーもないことに支配されている等々、あまり地に足のついている感じはしませんでした。

しかし、もう学年としては高校2年生でしたので、中二病とも断言できない奇抜な感じがしました。なんとなく、ニーチェという単語だけは、胸に沈下し続けました。

その後は、中高一貫校らしく、受験シーズンの到来。みんながスムーズに受験モードに切り替えをはかるなかで、私の場合はダラダラした中高生活を送ってきたために、切り替えというものが存在しませんでした。

そして、途中から「そもそも大学の存在意義とは何か?」、「大学は行く価値のあるところなのか?」、「中高で6年間を無為に過ごしたのに、更に4年間を何に過ごせばいいのだろうか?」等、様々な疑問が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え。。。しかし、その当時学び方さえ知らなかったため、その疑問を解決するこなく、志望校にも落ちて浪人生活を開始することになりました。

全く順調ではない浪人生活です。なぜなら、大学に行く意味を知りたかったのですが、その意味の知り方をわからないまま、悶々としていたからです。

こういうマインドでいると、そもそも数学も英語も国語も学ぶ気はおきないし、そもそも古文・漢文なんて本気でどうして学んでいるか意味不明でした。この頃の、古文・漢文の対する敵意意識は何よりも異常でした。

まあ、浪人というのは本来しなくてもいいわけで、年間50万円近くも親に迷惑をかけているという後ろめたさもあり、ひとまずがむしゃらに勉強しました。そして結果は、また志望校に落第。

この時に、報われない努力というのも世に存在することを知ったのは大きかったです。

これ以上、浪人しても何の発展も見込めないので、神奈川にある有名私立大学に通うことになりました。これが、自宅から遠くて毎朝本当にいらいらした。しかし、大学生活が始まってよかったことは、1冊の本に出合ったことです。

その名は、内田樹さんの「街場の現代思想」

私が疑問に思っていたくだらない疑問に対して、思ってもみなかった解答の仕方をしてくれました。
しかも、その解答の辿りつくまでの途中経過が美しく見事でした。人生20年近く生きてきて、このころにようやく気付いたのは、悩みがあれば、本に頼ればいいし、だいたいそこにヒントがあるということでした。

そう考えてみると、高校の時のクラスメートがなぜニーチェを気に入っていたのかわかりました。ニーチェはカッコつけて読むには難し過ぎて意味不明でした。しかし、彼は、何かニーチェ的な深い悩みを持って悶々としていた時に、たまたまニーチェに出合い、ニーチェが心の安定を与えてくれたのだろうと。

本の凄まじさが身に染みました。

この20年間、なぜ悩みや疑問を感じた時に本に頼らなかったのか、時間を返して欲しいと思いました。いや、悩みや疑問が浅かったのか、本を読むのが億劫だったのだろう?こんなわけで、本を徐々に読み始めました。やはり、気になるのが長年の疑問だった、「大学は行く意味があるのか?何のために行くのか?」でした。

そうしたところ、溝上慎一さんの「大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ!」という本に出合いました。

これがあまりに驚天動地でした。私がその時に通っていた大学は、「そもそも大学に何の意味があるのか?」と自問自答したことが人生のなかで1度もなさそうな輩が集まっていました。

いうなれば、烏合の衆の集まりで、たまたま大学という空間に一瞬だけ仕方なく来ているという雰囲気が蔓延していました。大学は4年間のモラトリアム期間でレジャーランドという位置づけの日本ではありがちです。こんな不満のなかで大学生活を送っていたので、繰り返しになりますが、目から鱗が落ちました。

以下、引用になりますが、溝上先生の文章よりも、安井大輔(京都大学経済学部4回生)さんの体験談に圧倒的に魅了されました。こんな大学生活を一生に一度でいいので、送ってみたいと思いました。

私はいかにして心配するのをやめて大学を愛するようになったか
●少し長いまえがき

1999年大阪の某高校を卒業する。1年の浪人生活後、関西の某公立大に入学するもお堅い雰囲気についていけず仮面浪人に突入。2001年、運良く京都大学経済学部に受かる。経済学部を選んだ理由は,必修もなく好きに科目履修できてリベラルアーッ(教養)が追求できる「パラダイス経済」だと考えたから。学生も教員も反骨精神が旺盛で元気が良さそうに見えたのも理由の1つ。

入試のときに配られていたパンフが手づくりで気合いが入っていたので、受験の帰りにそのYMCAの寮を見学に行く。案内してくれた寮生とも話して彼らも愉快な日々を送っていそうだったので、大学合格と同時に入寮選考を受け寮に入る。一度見たいと思っていた中核派などのセクトはいなかったけど、デモや団交(団体交渉の略。学生の声を大学運営に反映させるために学費値上げ反対などの運動を通して大学当局とわたり合う)をやってる先輩寮生はいた。そこは、昔ながらの学生自治寮で何でも会議で決める。もともと自分自身が議論好きな性分でまわりも同好の士が多かったから、弁論術はやたらと上達した。そのかわり、甘いロマンスを語るなどかったるいことはできない体質になった。いま思い返せばたしかに女っ気はほとんどなかったし現在もない。少し悲しい。そんなことはどうでもいいか。20数名の寮生とつねに顔を突き合わす、良くも悪くも濃い生の人間関係のなかで,政治(原義どおりの意味での、つまり二者以上の人間の利害調整という意味)とはどういうものかを、書物を通してではなく実感として学ぶことができた。かなりの肉体的。精神的な労苦を伴い、寮内での権力闘争に巻き込まれたりもしたが、結局大学4年間の半分くらいはそこで時間を費やした。感想を一言でいえば、どいつもこいつもキャラが濃くて飽きることはなかった。

実際に自分の目で見聞きしてから判断しないと納得しない性格のため、噂や評判を聞きつけるといろいろ首を突っ込みに行つた。大学に棲息する魑魅魍魎、ヤバイとか危ないと形容されがちなものや人々の見学にも行った。自治会や学生運動団体には人格も立派で勉強もきちんとしてそうな人もいたものの、コケの生えたような単発フレーズばかりで勧誘し、自分の言葉で語れないイマイチな人も多かった。新興宗教のダミーサークルも見に行ったが彼らは人の話を全然聞かず、教義をおしつけているだけのように思えた。大学新聞に載っている注意書きそのまんまの謳い文句で勧誘してきて「嘘ついているのがばればれなのに」とはくそえむ。「俺が教団幹部だつたら、もっと効率的な勧誘方法に変えて信者数を飛躍的に増やせるのに……」となかば本気で思う。無粋を承知で、忠告させてもらうと連絡先は絶対教えないこと。有望そうだと思われると下宿までやつてくる。

もともと旅好きだったのもあるが、「キャンプや野宿のノウハウを身につけられれば貧乏一人旅でどこまでも行けるだろう」との予想のもと、体育会のサイクリング部に入る。登山道も自転車を担いで登るので実質的には山岳部や探検部も兼ねていると思ってくれればいい。普通体育会といえば、試合に向けて日々練習で、勉強その他のことやる余裕なんてありゃしない、というところが多い。けれど俺の所属するのは自転車で旅行するのが目的のクラブなので(レースをするのは別に自転車競技部というのがある)、強制力はそれほどない。自称「サークルにもっとも近い体育会」だけど、かなり自由度が高いところだった。当初はそんなこと全然知らなくて入部したのだが、学生時代部活以外にもやりたいことが無限にあった俺にはその良い意味でいい加減なところが合っていた。

1回生のとき「大学論」という、大学それ自体を対象にいろいろ考えてみようというゼミの授業で「教養とは何か」というテーマで調査した結果,教育学者の本を読んで、自分がなろう(なりたい、ではないことにご注目)と思っていた「古きよき」教養人が、滅びつつあるオールドタイプだということを知る。少しまじめな話をすれば、じつはいまでは大学がみなが同じ哲学書を読んで議論することを可能にする「教養」の土台なんてものは虚像にすぎない。といってもそれは期待しうる夢に値する虚像だと自分では思っているのだが。しかし、夢はやはり夢であって現実は必ずしもそうとばかりは限らない。そんな旧制高校的雰囲気やバンカラの気風のことをしたり顔でいえるのはノスタルジーで食っていける大学パラサイトの教官の爺さん婆さんだけであって、将来ある若人にとっては旧来の教養主義をモデルにしてやっていくのには無理がある。かといって、180° 反対の方向に転向する気もない。

頭をさんざしぼった結果、「幸いにも、ここは学問オタクの集まる天下の京大で学歴はあるわけだし、俺はそのなかでもオツムの出来が違わぁ。自分のまわりと専攻分野にしか興味のない無自覚な専門バカどもと違って、俺は少なくともみずからの置かれた境遇とそれがどう見られているかっつうことに自覚的なところが違うわな。教養主義とオタクとのあいだをチクッと突いていく道が見つかれば、俺みたいなやつにも意外と生きる術があるやもしれぬ」てな具合に自己正当化の理屈を考え出す。つまりまあ、何というか先の不安が現前化していないのをいいことに「何とかなるかもしれない」みたいなことを何の根拠もなしに自分に信じ込ませた。この手法は別名,問題の先送りともいうが、1人でできるかぎり突き進んでいこうとの決意もあったのは事実だ。

ともあれ、いまのまま、好きなことを命いっぱい楽しもう路線で突っ走ることに決定した。すなわち、大学生のあいだに興味・関心の赴くままいろいろ試して自分に何ができるのか追求することにした。興味や関心はそのときどきの気分によって変わってくるものだから、何か1つのことを極めることはできない。だが、好奇心の方向が多方面展開の俺には多くの種類のことに挑戦してみる方が魅力的に思えた。この方法には、すべてやろうとすると時間が足らなくなるなど、それ相応の困難も伴う。俺も実際そういうことに関しては苦労したので、問題に対処するために各種工夫を試してきた。そのなかにはうまくいったものもうまくいかなかったものもある。さらにいろいろやることを詰め込みすぎて身も心も磨り減るはめになった。そんな汲々とするなかで時間管理に目覚めるまでの経緯が次の話。

「大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ!」溝上慎一P165安田大輔さんのコラム

というわけで、その後の私は、安田さんの人生をなぞるかのように、京都で4年間の学生生活を送り始めました。

その時に、出会ったサークルが1961年誕生の60年近い老舗クラブ“Good Samaritan Club”でした。

クラブのビラの「京都を通じて、世界と出会う」という謳い文句に一瞬にして恋に落ちました(fall in love)。

このような、いきさつで、冒頭の同志社大学今出川キャンパスの「空気を読むな、本を読め!」を開催しました。

“Good Samaritan Club”が年に1回開催するOP会(毎年夜に京都駅周辺)前に、当方が企画したものです。

以上は、「1冊の本が人生を変えることがある」という私の経験に基づいた実話です。

10.空気を読むな、本を読め!~続き~

急に同志社大学での「空気を読むな、本を読め!」の記憶が蘇った理由は、日経新聞の2月19日の「又吉直樹さんに聞く 人生100年時代の備え」という記事がきっかけです。

―若者の活字離れが進んでいます。小説家としてどう見ていますか。

 「本を読まない友人がいて、1つのテーマについて鋭いことを言います。ただ、その意見は近代文学の中で何度も言及されてきたことで、その意見に対する反対意見もさらにその反論もでていて、すでに2つ3つ先に議論が進んでいるのです。彼が本を読んでいたら、その続きから考えられるのです。彼は賢い人ですが、もったいないですね」

これは、本を読む人なら、みんな同感なはずです。本を読まない人は、自分の意見を崇高なものだと思う節があります。

でも、1個人の意見なんて大したことがないのです。自分が思いついたように見えるアイディアでも人類の歴史は長いので、誰かが既に疑問を感じて答えを出しています。

本を読まない危険性は、学びが少なく、傲慢になってしまうことです。それは、自分の世界に浸って思考の自己満足に陥ってしまうためです。

というわけで、本を読む前は自分の日本語に自信がなくて、発言することさえも億劫だった私は、その哀しい経験を大学生に共有しよう。そうすることで、大学時代に少しでも面白い本に出合って人生を変える経験をして欲しいと願って、2012年11月3日の同志社大学今出川キャンパスの1教室で現役のSamaritansに対して思いを伝えました。今となっては若気の至りでしたが、近未来予想の方法をみんなで考えました。

以下は、使用した資料です。

この講座を受けて下さったSamaritanの後輩で、未だにこの講座を覚えて下さっている方が多数います。私も、相変わらず、本が好きなので少しずつですが、以下で紹介しています。


冒頭の、なぜ、「ボストンのタフツ大学フレッチャースクール」に留学したのか?

これに対する答えは、

手前味噌ですが、Good Samaritan Clubを通じて京都と世界を知り始めたことが、フレッチャースクールを目指し、来ることができた原体験です。

Samaritanの後輩で非常に面白い文書を書く後輩がいました。著作権切れだと思うのでアップします(笑)

「人生は一つつながりの輪である。もし一度でも心から生きていてよかったと思うことがあったならば、君は人生の全体を肯定したことになる。そのとき君は『あらゆる苦悩とともに万物よ戻ってこい、この生を私は欲する』と言うことができる」-ニーチェ

また、日本に帰ったら、私の原体験を形作って下さった”Samaritan”と京都を訪ねたいと思います。

皆様の話を聞き、意見交換できることを楽しみにしています。

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