㊶ラオス旅/中国の影響力分析Part1 研究テーマ、ボーテン
2018年1月の記事です。
スリランカのコロンボを出発してバンコク経由で、1月7日の夜にラオスのヴィエンチャン入りをしました。
ヴィエンチャンの国際空港には、韓国の仁川からの直行便でヴィエンチャンに到着したばかりの韓国人が溢れかえっていて、市内に行くための空港タクシーの長蛇の列に並ぶこと30分。
最終的には、前に並んでいたラオス人の女性と割り勘して市内に行くことになりました。このラオス人女性は、農業の研究者らしく、オーストラリアでの仕事の帰りだということでした。私から「中国のバナナプランテーションの農薬によるラオス人への健康被害の拡大」の話題を提起したところ、彼女も懸念を示していました。
そして、人生3度目になる宿、PVOというホテルに宿泊(1回目:2017年6月22~23日、2回目:7月29日~8月2日に宿泊)。久々の1人部屋は非常に快適でした。1月8日の翌朝に早速、カワ(・∀・)イイ!!ラオス航空の機体でラオス語プロの方(大使館員)と一緒にルアンナムターというラオス北部の都市に降り立ちました。
ここからの工程は、ラオス語プロの方とずっと一緒なので、道中安心です。お互い中国の影響力拡大に関連する現場にほとばしる関心を有しています。
修士課程の研究テーマ
一応背景を説明しますと、私のフレッチャースクールでの研究テーマが『中国のスリランカ、ミャンマー、ラオスに対する影響の現状』です。
ラオスは人口650万人ほどで中国、ミャンマー、タイ、ベトナム、カンボジアに囲まれるASEAN唯一の内陸国であり、かつ半分近くを占めるラオ族の他に49の民族が存在すると言われている多様性に満ち溢れている国です。山が多い国で、高度や地域によって民族が分化しています。今回私たちが訪問した北部の県では、アカ、カム、モンの人口が多かったですが、中部・南部の県ではラオ族が一番多いのです。
こういったことから、私が懸念していたのは、『ラオスの政治が中国と結託して、北部の開発を進めた結果、ラオス生来の自然や文化が失われたり、少数民族が強制退去させられるという被害を受けるのではないか?』ということです。
このような問題意識とは別に、ラオス北部は民族の宝庫で、民俗学・文化人類学の観点からの研究内容は非常に多く、彼らが日々どういった生活を営んでいるか知ることが「純粋におもろそう」という知的好奇心がありました。
更に言えば、6月下旬にラオスを訪れた際に「⑯ラオスの魅力と喪失No1.(ルアンパバーンから)」という記事を掲載しました。その時に感じたことを再掲します。
ルアンパバーンのすぐ北を通る中国の高速鉄道をどう評価すべきなのでしょうか?
最初の想定である「ラオスの政治家や高官が中国に買収されて民衆の意見を尊重せずにラオスという国を売り渡した。しかも、鉄道の目的はラオスではなくラオスはあくまでも通過地点であり、真の目的はタイやシンガポールと繋がることで、物資や人の輸送を効率化して周辺地域を支配下に置こうとしているため、ラオスの国益にはならない」は正しいのでしょうか?
国際関係の手法に基づく、ラオスの鉄道建設の分析
フレッチャースクールで習った国際関係の手法に基づくと、ラオスの鉄道建設を1.国際システム、2.ASEAN(隣国)のなかでの関係性、3.ラオス国内の現状の3つの視点から考察することが必要でした。
ラオスという国を通じて、国際関係を見ると小国の苦悩がわかります。ルアンパバーンの高速鉄道のみならず、ヴィエンチャン郊外のショッピングモール、国境地帯の森林伐採等においても中国の不気味さが表れているようですが、しばらく中国の影響力が強くなりラオスが呑み込まれていくと予想できます。
それは、中国のラオスにおけるインフラ関連プロジェクトが、経済的な理由ではなく、安全保障上から実施されているものであるため、利益度外視だからです。
ラオスという国は中国の一帯一路構想の進捗状況のバローミーターになるため、今後も注視していきたいと思います。(引用終『⑰ラオスの魅力と喪失No2.(ルアンパバーンから)』より)
こういうわけで、①少数民族への被害、②少数民族の暮らしぶり、③鉄道はラオスの国益にならない、という3つの点から今回、ラオス北部を旅することになりました。
ボーテン(中国とラオスの国境)の様子
1月7日にヴィエンチャンからLao Airline小型機で無事にルアンナムターに降り立ちました。ルアンナムターは少数民族トレッキングの拠点として知られていて、今回の旅の地理的な中心になります。
今回の旅の全体像を以下に示します。
12時にホテルにチェックインしてから少し休憩をとって、14時に中国とラオスの国境であるボーテンに向かいました。ラオスの通貨は、10000キープが150円ほどです。
ボーテン行きのトゥクトゥク往復の値段は、40万キープ(6000円)だったので、節約のためオートマバイク(8万キープ=1200円)2人乗りで目的地に向かうことにしました。ルアンナムターからボーテンまでは60kmですが、湾曲する山道で道路も凸凹なため、時速40kmが限界なので途中寄り道をして2時間かけて16時に目的地に到着しました。
さて、このボーテンはラオスと中国の国境に位置していて、経済特区で非常に有名でした。そうです、過去形です。以下のような経緯があります。
ボーテン経済特区の開業・廃業の経緯
ボーテン経済特区、中国国境からわずか数百メートルのところに作られた町は、中国人御用達のカジノとして建設されました。マカオ以外でギャンブルができる場所が国境からわずかな場所に誕生しました。
2003年より、ラオス政府の後押しを受けた中国人投資家による大胆な開発により、当時はラスベガスのようなにぎわいを見せていました。カジノ建設に伴い、ホテルが建ち、商売をする店も軒を連ね始めて、毎日中国側から観光客が山のように押しかけていました。
その結果、賭博詐欺事件、麻薬や売春などの犯罪が多発、そしてついに殺人事件が起こりました。
結果として、2011年に中国政府はラオス政府に圧力をかけカジノを廃業させ、その後ホテルや商店の廃業も相次いで開発が停滞していたが、2016年9月にはラオス政府と内モンゴル莱徳馬業との間で、ラオスの観光開発に関する覚書が締結され、12月からの再開発が本格的にスタートしました。
ラオスの経済特区の全体像
ラオスには全部で11個の経済特区があります。ボーテンは2の位置になります。
経済特区のうち、中国のみが開発に携わっているSEZは以下の4つになります。ポイントは、2ボーテンと3ゴールデントライアングルSEZではカジノが営業している・いたことです。
そこで、『実際に再開発がスタートして、一度ゴーストタウンと化したボーテンは盛り上がりを見せているのか?』というのが今回の取材目的になります。
ボーテンに行く途中に、中鉄五局の鉄道資材の建設現場と見つけました。気になることがあれば、猪突猛進がモットーですので、2人乗りのバイクで現場に突入しました。しかし、誰も気にしない様子ですので、重要そうな看板をこっそりと写真に収めることにしました。
細かい情報ですが、中国の鉄道路線は、契約区間が6つにわかれていて、ボーテンからウドムサイの区間は中鉄五局が請け負っています。この区間は長さが69kmありますが、そのうちトンネルが44km、橋が12kmを占めて、残りの平地が13kmになっていて、いかに山がちであるかわかると思います。
このような難工事は、中国人労働者の人件費の安さと雇用や需要を海外で確保したいという中国政府の国策が成せる業です。
建設現場から、すいすいと走っていくと、3つの道路がクロスするNateuyという地点に無事に到着しました。そこを左折しようとした矢先に警察の派出所のようなところの警官に呼び止められました。
「運転免許証は持っているか?」と尋ねられたので、「運転免許証は持っていないが、パスポートは持っているよ」と堂々と見せると、派出所のなかに連れていかれました。既に、この時点で阿吽の呼吸で相手が欲しいものがわかっていましたので、同行するラオスプロに「いくら払うのが相場なの?」と尋ねると、「ここの相場はわかりませんが、ひとまず相手が提示してきた額に文句を言わずに従うのがいいでしょう」とのこと。
結局、罰金の理由は、左折する際に大回りをせずに小回りをしたという交通ルール違反で、6万キープも取られました。料金と値段を書かれた証明書のようなものにサインをしたところ、いままさに自分がサインした紙が手渡されて、警察には何も紙が残っていないのです。非常にわかいやすい現場の裁量です。
6万キープは相当高額な収入ですので、警官の方は笑顔満面でした(バイクを借りた料金が8万キープ)。こちらも悔しいですが、何も言い返せないので、できるだけ有効な関係を築こうと、手を振りまくってその場を立ち去ることにしました。ラオスの警察はまったくもって、いい商売をしていますね。
いよいよ、走ること2時間、16時にボーテンの経済特区(SEZ)に到着しました。
SEZに行くまでの道は、「人間は過剰に自然を破壊した結果自然によって逆襲を受けるもののけ姫のたたら場」を彷彿させました。山の森林が全て伐採されて、泥と砂だらけとなった道が続いて、そこに突如として現れる荒廃した建築物。
それを見たものの目には「中国が過剰開発した結果、無残なゴミと化した土地」であることがわかります。私は、SEZがもう中国とラオスの調和がとれたものであると想像していただけに、強い衝撃を受けました。そして、中国の開発に対する強い嫌悪感が芽生えました。
唯一営業しているショッピングモールに入ると、そこは中国製品と中国の元の価格表示で、そこに出入りする中国人観光客は、トイレを利用するのみで、商品を買うことなく立ち去っていきました。おそらく、ラオス観光からの帰り道にトイレ休憩場所として使われているのだと予想できます。
ホテルから出て、バイクに乗って引き返そうとすると、急にスコールが降ってきました。山間部の雲の流れは速く、雨のタイミングも見分けるのが難しいのです。全身がびちゃびちゃとなりながら走ろうとすると、あまりに乱開発したばかりに、山肌は保水能力を失ってしまい、全ての水が道路に貯まるので泥がつるつるになり、その泥にタイヤを掬われて、次の瞬間バイクはスリップしてしまいました。
2人とも、左半身が泥だらけになり、手と足に深い傷を負ったため、一度バイクを停止させて、雨が弱まるのを待って運転を再開させました。
まさに、もののけ姫にある自然の逆襲を感じた瞬間でした。
帰りは、全身びしょ濡れで、夜道が暗すぎて見えない状態で、安全運転でルアンナムターのホテルに19時30分ごろに無事帰還しました。バックパッカー旅行でもなかなか感じない恐怖感をラオス旅行初日に感じることができて、身が引き締まりました。
それにしても、中国の乱開発には嫌悪感しかありません。ここまで、失敗と言い切れる開発プロジェクトも珍しいというぐらいに、ラオス本体の豊かな自然の大地が荒廃していました。
See you soon.
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