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優しさが息苦しい世界で息をする方法ー再読『ハーモニー』

伊藤計劃さん『ハーモニー』(ハヤカワ文庫、新版は2014年、旧版は2008年)を再読しました。優しさ正しさが敷き詰められた世界は、息苦しくなる。そのことを予見した本作は、きちんと「息苦しい世界で息をする方法」も提示していたんだと気付かされました。


世界規模の核紛争を経験し、人命がどんな価値よりも優先されるようになった社会。政府は「生府」に生まれ変わり、構成員の健康管理に積極的に(ほとんど過度に)介入するようになる。初読時は、この世界観の洗練さに圧倒されたものでした。人命が尊重されるユートピアが、行きすぎた結果ディストピアになるという逆転現象が鮮やかでした。

生府の下では、不健康になることは許されない。本書ではメタファーとして、現実社会では多くの人が楽しむコーヒー(カフェイン)が「悪」とされる場面が描かれる。興奮を引き起こし、依存作用のあるカフェインは「端的に言って不道徳ではないか」と。これにゾッとするけども、では現実社会で禁じられる薬物、タバコとカフェインの線引きは、多分に曖昧なのだとも気付かされる。

「国民を不健康に追い込む社会」なのであれば、その不公正さに反旗を翻しやすい。でも逆に「国民を健康にしたい社会」には、表立っておかしいと言いにくい。根源的には理想的で、道徳的な社会であることが否定しにくいからです。

では、そうした社会の息苦しさは、どう乗り越えられるのか。

その最も穏当な方法を示しているのが、主人公でした。主人公は、こうした社会の抜け出し方を次のように語る。

抜け出すのに必要だったのは、
大人になることを受け入れるふりをすること
大人であるとシステムをだまし続けること

『ハーモニー』p42

主人公は、本書の世界の中で「ど真ん中」と言えるWHOに職を得る。しかし、その仕事は過酷で人気のない、戦場に立つもの。「生府」を受け入れていない独立勢力との交渉役を担う。その代わりに、独立勢力が保有する酒やタバコ=健康社会で許されない「不健康な娯楽」をこっそりと楽しんでいる。

つまり、主人公が提唱しているのは擬態です。正常さが、優しさが溢れる社会では、その社会を「うまく騙す」方法が求められる。

「逃げ方」の反対側から考えてみることもできる。つまり「逃し方」。独立勢力は、「逃げたくなったらいつでもこちらに来れば良い」と主人公に笑いかける。主人公にとってこれは、大きな救いだった。

 そう、逃げ込む場所があると言ってくれただけで、わたしには充分だ。
 タマシェクの戦士が示した優しさは、これまでわたしが経験してきたどんな押しつけがましい慈愛、思いやりとも違っている。それは永きにわたり、多くの帝国主義や独裁者との戦いを生き延びてきた民族にしか獲得できない、厳しさに支えられた優しさだ。

『ハーモニー』p56

健康社会はなぜ息苦しいのか?それは、逃げられないから。その理念は確実に正しくて、だからこそ押し付けがましいから。

対して、独立勢力(タマシェク)が提示するのは、「あなたが望む時、わたしは助ける」という宣言である。それは「望まないなら助けない」という厳しさを内包している。だけど、「あなた」を一人の人間として尊重する優しさがある。健康社会とは異なる優しさが。

最後に、息苦しい世界における本の役割について。作者は本を愛しているんだな、とわかるのが、このくだりでした。

「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディアに頼るのがいちばんなの。メディアと、わたしと、ふたりっきり」
 とミァハひ答えた。あの冷たくなめらかで、ヒトを眠りに誘うような声でさらに続ける。
 「映画とか、絵画とか。でも、持久力という点では本がいちばん頑丈よ」
 「持久力、って何の」
 「孤独の持久力」

『ハーモニー』p17

本は孤独を与えてくれるものである。この孤独とは、健康社会においては「何も押しつけられない時間と空間」を指すことが、ここまでの検討を通じて見えてくると思います。つまり作者は、優しさが覆う社会で、本は避難所だと説いている。

もっと言えば、本は避難所であって欲しいという、作者の願いがここに込められている。そして、その企みは本書をもって成功したと言えます。

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