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風を憂うより船上を楽しむー読書感想#36「その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。」

吉川浩満さん・山本貴光さん「その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。」は、あっという間に読めていつまでも助けになりそうな哲学書でした。古代ローマ、ストア派の賢人エピクテトスを「先生」にすれば、生きる上での様々な難問に指針を見出せるよという内容。その要諦はズバリ「権内と権外を見極めよ」船を運ぶ風の行く末を憂うよりも、船上をいかに楽しく過ごせるかを考えよう。


心の休まらない乗客になっていないか

本書は吉川さんと山本さんの会話劇の形で進む。ラインのやり取りを読んでいるようなもので、小1時間本気で読めば読了も可能。だけど、その中でエピクテトスの哲学がきっちり学び取れる。

エピクテトスは権内と権外の見極めがつかない状態を、船の乗客で例える。

山本 彼はこうした状態をイライラして心の安まらない船の乗客にたとえているよ。
吉川 ほう。
山本 西風が吹けば船が進むのに、北風ばかり吹いているとする。すると乗客は「いつ西風が吹くだろうか」とやきもきする。
吉川 分かる。
山本 でも、人間は風の管理者じゃない。
吉川 どちらかといえば、風に吹かれる側だね。
山本 そうそう。風を管理しているのはわれわれじゃなくて、アイオロス(風の神)だ。
吉川 いまなら自然のメカニズムによって生じると考えるところ。
山本 古代世界では、神様になぞらえていた。
吉川 どっちにしても風を管理しているのは人間じゃないわけだ。
山本 うん。なので、乗客にできることといえば、せいぜい楽しい話でもしながら西風が吹くのを待つことくらいだよね。(p36-37)

権内とは「自分が管理できること」、権外は反対に「自分以外のものが管理していること」。船上の客にとって、風が西に吹くか北に吹くかは権外である。なのに思い煩っても、それはイライラが募るだけでしかない。それなら権内のこと、船上での過ごし方に意識を向けたほうがいい。

でもこれでは現状追認ではないか?楽しい時はいいけど苦しい時は?そう思ってしまうけれど、実はエピクテトス哲学はここからが強い。


問いをつくりかえる

権内のことに集中し、権外を思い煩うなといわれたら、今苦しい状況に追いやられている人はどうなる?甘んじて受け入れろと?そうではない。

吉川さんと山本さんは第3章で「自分より無能な上司がいる職場に耐えられない」という30代男性の悩みに答える。実際に、エピクテトスを「先生」として「降臨」させ、彼が聞いたら何と答えるかを実演してみせる。

もちろん回答の要点は「上司がどうであるかは権外である」なのだけど、「先生」はさらに「男性の権内にあることは何か?」も問いかける。

山本 自分のことにしたって、完全に権内とは言えないよね。たとえば、この人が仕事がプログラミングだとして、常に一発で完璧な、間違いのないプログラムを書くのは難しい。(中略)
先生 そう、我がことだからといって、完全に権内にあるとも言い切れない。しかし、権内にある範囲で最善を尽くすことはできる。
山本 悩み相談というよりは、悩みの不適切さを考え直す相談になってきましたね……。
吉川 すると先生、この相談は、まさに先生のいう権内と権外の混乱から問題がもつれてしまっている例ということでしょうか。
先生 まさしくそうだ。そして、そのもつれをほどくことで、当初の問いがつくりかえられるわけだ。(p58-59)

自分の権内とは何なのか。自分の仕事のパフォーマンスを高レベルに保つことすら、実は簡単ではない。なのに権外のことにイライラしていたら、さらに仕事の水準は落ちるだろう。

もしもここで権内に集中できれば、社内で有能だと認められるかもしれない。実はそうしたほうが、無能な上司から逃れる一番の近道になりうる。だから、大事なのは権内と権外を見極め、「問いをつくりかえること」なんだ。

権内にあるものは何かを考えると、現状分析もその一つかもしれない。

山本 現状を知るための観察だね。たとえば、勤め先の会社はどういう状況にあるか、自分はどういう仕事を期待されているか、それに対してどういう働き方をしたいか、そこにはどんなズレや不一致があるか、とかね。(p40)

自分の性質、そして今の職場とマッチしているかどうか。そもそも、職場環境はどんな風に評価できるか。これも全て、権内のこと。上司が無能だ、替わってほしいと嘆くこととは明らかに違う。分析ができている人は、事態が悪化する前に、あるいは悪化したら速やかに、その場所から離れられる。それは権内を整え、準備できていた人だけの抜け道といえる。

つまり、権内と権外を見極めるとは「現状追認」ではなく、現状を改善していくために「あえて行う選択肢」だということだ。

本書ではこのあと、エピクテトスが権内の中で唯一にして最重要の能力としてあげた「心象を使う力」や、それを誤用した場合の「思いなし」、情報化社会の現代でエピクテトス哲学をアップデートするには?と話が展開する。そのどれも平易。活本当の意味で役に立ちます。(筑摩書房、2020年3月14日初版)


次におすすめする本は

「自分の小さな『箱』から脱出する方法」(アービンジャー・インスティチュート著、大和書房)です。同じく会話劇が中心となって読みやすく、「箱」というシンプルなメタファーで自己開示の方法を学べます。


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