改革者でも弱者でもないーミニ読書感想『他者といる技法』(奥村隆さん)
社会学者・奥村隆さんがもう30年ほど前に書かれたという『他者といる技法』(ちくま学芸文庫、2024年2月10日初版発行)が面白かったです。平易な言葉だけで、社会の複雑さを解きほぐす。複雑さとは、社会はそこに生きる私たちにとって善い面と悪い面の両方を含むこと。「当たり前じゃないか」と思ってしまう結論を、「言われてみればそうだな」という道筋で考えさせてくれる。
社会は複雑である。他者は時に、不気味である。そのことを平易な言葉だけで伝えてくれる本書は、さまざまなモチーフを使う。例えば印象に残ったのは「承認」です。
他者を承認する。他社に承認される。それは基本的に善な物事だし、生きる上では不可欠である。しかし、裏面があることを著者はこんな風に記述する。
承認に依存する時、私という存在は他者に従属する「客体」となってしまう。これは、30年前には想定されていなかったでしょうが、SNSの「イイね」が欲しいがために生活を規定する人や、炎上すると分かっていて不適切な行為に及ぶ人の行動原理を説明できる言説です。ある種の「予言」となっている。
大切なことは「だから承認は悪なのだ」と著者は言っていないことです。たしかに毒性はある。でも最初に語ったように、承認は私の存在を証明する一つの手段で、これなしに生きていくとは困難であることもまた、事実である。
1日何杯かのコーヒーは脳と心を覚醒させるものであっても、それが百杯、千杯という過剰に至れば、その毒性の方が大きい。でも、コーヒーが好きな人はコーヒーなしでは生きていけないし、コーヒーの恩恵を生きつつ生きる道もある。
両義性。その両義的な面を、抱えて生きること。
これは社会も同じであるというのが、著者の訴えです。このとき、「改革者」と「弱者」というモチーフを使います。改革者は、社会があるべき理想と離れていることを訴えて、変革を促す。対して弱者は、社会が弱者に対して痛みを強いると指摘し、その「悪」の面から変化を求める。
全く違うアプローチでいて、改革者も弱者も、社会を「自分とは異なる」ものとして「外部化している」ことは共通する。つまり、糾弾する社会に改革者も弱者も含まれない。棚上げしている。
でも実際私たちは、社会に生きている。理想でなく、悪を含む社会に接続してしまっている。
改革者でも、弱者でもない存在。この社会の悪を突き放すことができず、悪である社会から恩恵を受け取っている存在。そんな存在として、社会に生きる私を捉える。そのとき、私は社会とどう関われるのか。同じく社会に生きる他者とどう生きていくことが可能なのか。
本書で検討される社会学は、回りくどく歯切れが悪い。ここまで読んだ人も「結局、その関わり方はどういうことなのよ」と思うのではないかと思います。でも、本書の狙いは、その回りくどさを一旦噛み締める、そのことにあります。ゆっくり思考したい人には、薦められる本だと思います。