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凶行を担ったのは善良な組織人だったー読書感想#29「普通の人びと」

クリストファー・R・ブラウニング「普通の人びと」を読めて良かった。突き付けられた現実は重たいけれど、それでも読めて良かった。現実とは「ナチスドイツのホロコーストの担い手になった警察予備大隊は善良な組織人であった」ということ。彼らを突き動かしたのは反ユダヤの差別思想だけではない。「隣にいる仲間に苦労をかけたくない」というチームの意識が、衝撃的な凶行に及んだ動機だった。だとすれば、自分のような会社員にも無縁ではない。最悪の人間として断罪される彼らは、自分たちだったのかもしれない。


「任務から外れてもよい」の衝撃

500ページあまりの本書の序盤、衝撃的な文章に出会う。この衝撃を味わうだけでも、本書を読む価値はある。

(中略)他の二人の記憶によれば、トラップ少佐は、ユゼフフ村にはパルチザンに加わっているユダヤ人を駆り集める命令を受けている。働くことのできる年代の男性ユダヤ人は分類され、強制労働の収容所に送られねばならず、残りのユダヤ人ーー女性、子供、老人ーーは、この場所で本隊によって射殺されなければならないのである。部下たちを待ち受けている任務について説明してから、ついでトラップ少佐は通常では考えられない提案をした。すなわち、隊員のうち年配の者で、与えられた任務に耐えられそうにもないものは、任務から外れてもよい、というのである。(p26)

ホロコーストの現場で指揮官が「任務に耐えられないものは外れてもよい」と話した。え、と言葉を失った。

本書は第101警察予備大隊という、実働部隊の裁判記録をブラウニングさんが丁寧に紐解き、虐殺の様子を克明に解き明かす本です。その序盤で明らかにされたのは、現場にいる人間のためらい。指揮官がこう言うということは、ホロコーストは「耐えられない任務」だと考えられていたことを示している。

さらに衝撃的なのは、ホロコーストの任務から外れることが可能だったということ。裏返すと、それでも任務から外れなかった隊員は「自発的にホロコーストを担った」と言えてしまう。

でもブラウニングさんは、ここから即座に断罪に持ち込まない。いったいどんな人物がホロコーストを回避し、一方で残された人はなぜ自発性を持って凶行に及んだかを検証する。


爪弾きを恐れなかった木材会社社長

任務を回避したメンバーにブッフマン(仮名)という方がいる。警察予備大隊は市民から徴収していた。ブッフマン氏はハンブルグの木材会社の社長を務めていた。彼は「無防備な子どもや女性を銃殺する行動に決して参加したくない」と上長に訴えて、実際に従事しないですんだ。

なぜブッフマン氏は回避できたのか?後に、裁判でそう問われた彼は「経済的独立性」を強調した。

(中略)「私は幾分年長でしたし、さらに予備役将校でした。私にとって、昇格したり、あるいは出世するなどということは重要なことではなかったのです。なぜなら私は故郷で有望なビジネスを手にしていたからです。他方中隊の指揮官たちは……まだ若く、将来出世したがっていた職業警官でした」(p133)

ブッフマン氏の語る「経済的独立性」は、さらに深掘りして考える必要がある。彼は経済的独立性によって、昇格や出世を「重要なこと」とは思わなかった。つまり、「部隊の外」に食い扶持・居場所を確保していたために、「組織からの独立性」を確立していた。核心はこっちじゃないかと思います。

裏返すと、なぜ大多数のメンバーが非道な任務に従事したのかも見えてくる。


「汚れ仕事」と「合理化」

なぜ多くの市民は「自発的殺人者」になったのか。丁寧な分析の中で目を瞠ったのは「汚れ仕事」というキーワードです。

(中略)第一に、列を乱すことによって、撃たない隊員は「汚れ仕事」を彼らの戦友に委ねることになったということである。個々人はユダヤ人を撃つ命令を受けなかったとしても、大隊としては撃たねばならなかったのだから、射殺を拒絶することは、組織として為さねばならない不快な義務の持ち分を拒絶することだったのである。(p297)

ホロコーストの参加メンバーは、自分が任務を拒絶すれば「汚れ仕事」が他の仲間に渡ると思っていた。そして「不快な義務の持ち分の拒絶」をある種恥ずかしいことだと考えていた。

これを会社で考えてみると、汚れ仕事を引き受ける彼らは「頼れる仲間」です。組織の側から見ても、優秀な社員と言えるでしょう。むしろ、会社の外にも居場所があって、汚れ仕事を被りたくないという気持ちに素直になれるブッフマン氏の方が、会社員的には「嫌なやつ」ではないか。

そして、「汚れ仕事」を自分がこなそうと思ったときにメンバーが頼ったのが、「合理化」だった。当時35歳の金属細工職人の述懐が恐ろしい。

 私は努力し、子供たちだけは撃てるようになったのです。母親たちは自分の子供の手を引いていました。そこで私の隣の男が母親を撃ち、私が彼女の子供を撃ったのです。なぜなら私は、母親がいなければ結局その子供も生きてはゆけないのだと、自分で自分を納得させたからです。いうならば、母親なしに生きてゆけない子供たちを苦しみから解放(release)することは、私の良心に適うことだと思われたのです。(128-129)

一人では生きていけない子どもを運命から解放する。殺人にこうした意味づけを行い、合理化を図ることで、彼は「良心に適うこと」とまで言えるようになった。

これも、会社員は経験のある心境じゃないでしょうか。キツすぎる仕事。自分ばかりひどい目に遭う。その場面を乗り切るためには、自分の中でストーリーを構築し、合理化しなくちゃいけない。苦境を合理化できる社員もこれまた、「良い社員」だと言えると思う。

だから恐ろしい。平時には「良い組織人」だった人物が、戦時には「自発的殺人者」に最も近いということが、怖い。

肝に銘じなくてはならないのは、ホロコーストですら、避けられる選択肢があったということ。爪弾きを恐れないブッフマン氏はそちらの道を選んだということ。最終盤にあるブラウニングさんの警句を心に刻みたい。

(中略)警察予備隊員は選択に直面し、多くの隊員が恐ろしい行動にコミットした。とはいえ、殺戮した者は、同じ状況に置かれれば誰でも自分たちと同じことをしただろうとして、免罪されることはありえない。なぜなら、同じ大隊員のなかにさえ、幾人かは殺戮を拒否し、他の者は後から殺戮をやめたのであった。人間の責任は、究極的には個人の問題である。(p303)

人間の責任は、究極的には個人の問題である。組織が動機づけるものであっても、責任を代替してくれる「人間」は、自分以外にはいない。(谷喬夫さん訳。ちくま学芸文庫、2019年5月10日初版。原著は1992年刊行)


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ジョン・クラカワーさん「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」(亜紀書房)です。ジャーナリストのクラカワーさんが、ミズーラ大学であったある性犯罪を当事者の話をもとに丹念に再構成する。表面的には見えなかった差別、偏見、女性蔑視が次々に明らかになる。事実に肉薄する凄みが伝わります。


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