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くるたのしく育てるーミニ読書感想『子どもと学校』(河合隼雄さん)

故・河合隼雄さんの『子どもと学校』(岩波新書、1992年2月20日初版発行)が、子育ての戒めとして学びになりました。もう30年も前の本になりますが、23年のフェア「時代の輪郭 新赤版の30人30冊」でプッシュされていて、出会えました。軽妙で滋味深い「河合節」が随所に見られますが、とりわけ「くるたのしい」という言葉が胸に残りました。


たとえば冒頭から、こんな鋭い河合節があります。

 価値の多様性ということが、最近よく言われるようになった。生き方が多様になっただけ、価値観の方も多様になってきた、というのであるが、果たしてそうだろうか。
 教育の「実情」を考えてみると、日本人すべてが、「勉強のできる子はえらい」という、一様な価値観に染まってしまっている、と言えないだろうか。

『子どもと学校』p3

多様性、多様性というものの、それ以上に価値の一様化が進んでいないか?これは30年経ったいまも、有効な社会批判ではないでしょうか。

こんなに鋭いのに、「勉強のできる子はえらい」の「えらい」とか、「染まってしまっている、と言えないだろうか」の「言えないだろうか」とか、柔らかくて少し間の抜けた表現を著者は好む。これが河合節だと私は感じています。

いわゆる「問題のある子」のカウンセリングに長年取り組んできた著者。その営みは、どこまでも目の前の「個」に立脚したものでした。ある文章では、「大所高所ではなく、小所低所」と言っている。その言い換えである「梯子を下る」という表現が、私はお気に入りです。

原理を深めるとは、自分のよって立つ原理に対立する原理にも意味があることを認め、その葛藤のなかに身を置いて、右に左に、それを繰り返しながら、自分のよって立つ原理をできる限り他と関連せしめることによって、ものの見方を豊かにしてゆくことである。言うなれば、二つの原理を梯子の両側の柱のようにして、その間を一歩一歩と下ってゆくのである。

『子どもと学校』p3

たとえば、子どもには厳しく接するべきだという原理と、優しく見守るべきだという原理。このように、相反する原理が世の中にはたくさんあって、著者はその原理を梯子にして「下ってゆく」のだと言います。上るのではなく、下りる。

普通は原理を普遍化し、論理的・客観的に正しい答えを見出そうとするはずです。つまり、梯子を上って高みにたどり着く思考。

著者はそうではなく、下へいく。そこには何があるのか?そこには、個がある。他でもない、その子がいる。ただただ現実がある。

著者が目指しているのは、原理と原理の矛盾に引き裂かれながらも、現実に接近しようとする在り方です。それを「ものの見方を豊かにする」と言う。これは、「深くする」と言い換えてもいいでしょう。思えば深みとは本来、谷が深い、海が深いというように、上よりも下に向かっていく概念だと、気付かされます。

これを、苦しさと楽しさという原理を梯子にして、下っていく姿に当てはめると、それが「くるたのしい」になります。

作家の遠藤周作氏は、小説を書くというのは、「くるたのしい」仕事ですと言われた。苦しみと楽しさがともにあるところに、その味の深さがある。幼児教育も本気にやるかぎり、「くるたのしい」のではなかろうか。

『子どもと学校』p100

子育ては苦しいものだと言うのも、楽しいものだと言い切るのも、少し違う。苦しみと楽しみが共にあるところに、深さがある。やはり、深さでしたね。

私は障害のある我が子との生活を、子を一緒に見守る妻との生活を、くるたのしく過ごしたい。心の深いところで、そう思えました。

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