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会社員人生に役立つ野球ノンフィクションーミニ読書感想「嫌われた監督」(鈴木忠平さん)

2021年9月に刊行され、大谷壮一ノンフィクション賞、講談社本田靖春ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を総なめにしている「嫌われた監督」(鈴木忠平さん、文藝春秋)がべらぼうに面白かった。ハードルを超えてくる。落合博満さんが中日ドラゴンズの監督を務めた2004〜11年がテーマ。あらゆる人に嫌われ、謎のベールに覆われた落合監督に、人生を揺るがされた選手やスタッフを描く。

プロ野球を全く知らない自分でも楽しめた。なぜなら本書は、会社員人生にも通じる教訓にあふれていたからだ。


パラパラを読み返し、印象に残ったシーンを振り返る。地味かもしれないが、自分は特にこの部分が胸に残った。

小林は三十年近くも昔の永射の投球に食い入った。古びた映像を何度と巻き戻した。ゲームの勝敗を左右する場面で一人の打者を抑える。そうやってこの世界を生きていく方法もあるのだということを永射の姿は示していた。エースではない。主役ではない。だが、舞台の片隅に自分だけの場所を持っている。小林にはそんなワンポイントリリーバーが眩しく見えた。
「嫌われた監督」p348

小林さんは投手で、エースになるには一歩足りないという状態だった。そこに、落合監督の命を受けたコーチから「投げ方を変えてみないか」と誘われる。モデルは永射さんという、左打者専門の「殺し屋」とも言える特殊なピッチャーだった。

落合監督とコーチは、ある種「エースは無理だ」と告げたようなものだ。しかし小林さんは、主役ではない、脇役としてのプロのあり方があるのだと目を開かれる。

高校大学や社会人野球で、間違いなくエースだった人たちの集団がプロ野球だ。そこまでたどり着いた選手に、脇役になることを求めるのは非情さがいる。しかし落合監督は、それが勝利のために必要ならためらわない人だった。

それが選手を打ちのめすのは間違いないが、同時に新たな光明を与えるものでもあった。

脇役というのは主役と比べれば地味なのだが、チーム、舞台、なんらかの組織単位で見ると「絶対に必要」で、その意味では主役と同列だ。華やかな絵柄も、黒一色の背景も、ジグソーパズルのピースという意味では等価なのと同じ。背景のピースが一つないのなら、そのパズルは未完成で欠損を抱え、華やかな絵柄の価値も全くない。

これは会社組織における貢献のあり方と全く同じだと思ったのだ。主役になれないメンバーは必ずいる。しかし、脇役ポジションを放棄されれば、その会社は会社としての体をなさない。その意味で確実に必要不可欠だ。

脇役を「引き受ける」こと。また、最強の脇役になるためにエースに求められるものを手放し、必要な技量を研ぎ澄ますこと。小林さんのワンポイントリリーバーへの転換は、「求められる会社員」に脱皮するためのモデルケースに思えた。

本書に登場する選手は、誰しもが選択を迫られ、自分なりのプロフェッショナリズムを見つけていく。逆にいえば、落合監督はそうした切なく、厳しいプロとしてのあり方を求めた指導者だった。

それは「みんながエースさ」「このチームは家族だ」という聞こえの良いチームビルディングとは異なる。見ていてつらくなるものだ。だからこそ、反発する人も多い。勝ちを求めてプロ集団を作ろうとする落合監督への反感の多さを見ると、プロ野球は単に勝ちを競うスポーツなのではなく、観客や視聴者を楽しませるエンターテイメントなのだと思いしらされる。そうした矛盾は、会社組織、さまざまな業界にもある話だ。

本書を読んで、落合監督のようになりたいと思うかといえばそうではない。しかし、落合監督のもとで自らを奮い立たせ、自らを変えていった選手の姿には憧れる。そしてその変化を生み出した落合監督に、畏敬の念を抱かざるを得ない。

つながる本

若林恵さんの「さよなら未来」(岩波書店)が思い浮かびました。聞こえの良い未来ではなく、本質的な現実を見る。そのための論考です。会社組織について、「普通の人がより集まって個人ではできないことをやるのが会社」という趣旨の言葉があり、勇気づけられました。

面白い人物評伝といえば、後藤正治さん「天人」(講談社文庫)を。朝日新聞の天声人語で評価を集めた名物記者を取り上げたものです。

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