見出し画像

代理母をテーマに「人間はどこまで自分を売り渡せるのか」を考える小説ーミニ読書感想「燕は戻ってこない」(桐野夏生さん)

桐野夏生さんの最新作「燕は戻ってこない」(集英社)は胸に残った。テーマは代理母。貧困に追い込まれた日本人女性が、巨額の報酬と引き換えに代理出産を引き受ける。しかし、「契約」だと思っていたはずなのに、割り切れない気持ちがどんどん湧く。「産む存在」としての自分を貸す女性の姿から、人間はどこまで、自分を売り渡すことができるのかを考える。


桐野夏生作品は、女性の苦しみを直視している。今回の主人公の一人、代理母になる女性の抱える苦悩は深い。地方から東京に出て、なかなか仕事がない。非正規の仕事で収入は不十分。アパートの男性住人や、職場で会う男性客になぜか自分だけ嫌な目に遭わされる。

そうした苦しみの重なりが、女性を代理母に「追い込んで」 いく。

一方で代理母を頼む側は、あくまで自由契約として、女性が代理母になることを「選んだ」とみなす。この非対称性がいびつだ。

代理母を頼む側は、不妊に悩む夫婦。夫は著名なバレエダンサーで、「自分の遺伝子がどう進化するのか見てみたい」と語る。一方で、不妊症状を抱える妻は、自分不在で進むことになる「子作り」にやりきれない思いを抱えている。

主に夫のエゴで代理母がほしい夫婦と、やむを得ず代理母になることを選ぶ女性。ここでも結局は、男性優位な構図が見える。女性ばかりが負担を背負う。

この違和感を、代理母になる女性は抱え続ける。

「これは契約です」と言われても、「本当に契約なのか」と思ってしまう。契約なのに、お互いが対等とはとても思えないから。女性から相談を受けたある男は「契約だと思えないのなら取引と思えばいい」という。肉体を差し出し、金銭を得る。

それでも女性はすっきりしない。

なぜかといえば、結局、「人間の肉体は金銭に置き換え可能なのか」という根本的な問いへの答えになっていないからだ。もちろん、現実にはできる。だから女性は代理母になった。しかし、いくら金額を積まれても「これで本当に釣り合うのか」という思いが芽生える。

女性が売り渡すのは、肉体だけなのか。よくよく突き詰めると、こんな問いも浮かんでくる。子宮を、卵子を、生まれてくる子どもを相手に売り渡す。しかし自分が失うものは、「それ以上の何か」ではないか。その何かの存在が、自分を売ることへの釣り合わなさの源だ。

だから本書は、読めば読むほど、もやもやする。狭く暗い路地に入り込む。売ってはいけないかもしれないものを売る女性。答えは出ないのに、女性が代理母になる過程は進み、「商品」が生まれてしまう。

読み終えた後に残っているものも、「引っ掛かり」だ。だって何も解決していないのだから。そして、売るべきではないかもしれないものを、売らざるを得ない女性が、いまも現実にいるかもしれないから。

表現規制の行き着く先を描いたディストピア小説「日没」で桐野夏生作品にはまった。今回もまた、私たちの社会が抱える恐ろしさをえぐってくれた。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。