言葉の接地とメンタルモデルーミニ読書感想『ことば、身体、学び』(為末大さん&今井むつみさん)
為末大さん&今井むつみさんの『ことば、身体、学び』(扶桑社新書、2023年9月1日初版発行)が学びになりました。タイトルの3要素の関係を追求する本。つまり「言葉のメタファーで身体動作がやりやすくなるのはなぜか」「言葉が分かることと、身体動作ができることにつながりはあるのか」といった問いを考える本でした。
メモしておきたいと思ったのは「接地」と「メンタルモデル」という二つの概念。これは、ASD(自閉スペクトラム症)の子を育てる上で、言語発達遅滞やこだわりによる困り事を減らすヒントになると感じだからです。
接地とは、言葉が経験や身体感覚と結びつくこと。言語学者である今井さんによると、言語学・心理学の世界では「中国語の部屋」問題というメタファーがあるそう。英語話者が閉じられた部屋で、中国語教師との対話だけに基づき中国語を学んだ場合、それは記号から記号への置き換えとなり、「接地のない」学習にならないか、という問題意識です。
接地はなぜ必要なのか。それは、言葉が接地することで、私たちの思考はより遠くに行けるからだと今井さんは指摘します。
これを読んで「ASDの子が抽象的概念の習得が苦手なのは、言葉の接地が弱いからではないか」という仮説が浮かびました。
ASDの子の中には、言葉遊びが好きな子がいます。一方でコミュニケーションは苦手で、気に入ったフレーズを延々と繰り返したり、関係ない場面で口走ったりしてしまう。これはまさに、言葉を記号として「愛でている」ように、近くで見て感じる。
他方、ASDは抽象概念が苦手とされます。我が子も、たとえば二者択一の「こっち」という言葉や、「椅子の上、隣」といった位置関係を示す言葉に苦手さがある。「大きい・小さい」もそう。これは、言葉が身体経験や経験とつながるという点で、まだまだ定着できていないのかなと想像しました。
もう一つの「メンタルモデル」の概念は、日本語にすると「表象」で、物事を捉えるフレームや構えの意味です。なかなか肚落ちするのが難しかったですが、為末さんはこのように言い換える。
ASDの子は、新規場面や応用場面に苦手さがある。それは、これまでにフィットした場面に固執してしまい、抽象度を上げること、少し異なる部分にアジャストすることに困難さがあるということです。つまり、「ASDはメンタルモデルの構築に困難さがある」と言えそうです。
ちなみに、ASDの子がメンタルモデルの構築が苦手なのは「記憶力や感覚の記憶が鋭敏すぎるから」というのが一因な気がします。我が子の場合、物事の細部まで記憶してしまっていて、ほんの少しの異なりが「フィットしようがない異なり」に思えてしまっている気がする。だから「実際は大した異なりではないよ」と伝える経験が必要に思えます。
言葉の接地とメンタルモデルは相互関連性がある。今井さんのこんな語りがそれを物語る。
感情表現の言葉が二つしかないというのは、メンタルモデルが2パターンだけということです。実際はもっと色とりどりの感情を、もちろんその二つのメンタルモデルではカバーしきれない。だから爆発してしまうわけです、、
これは、主治医にも同じことを言われました。ASDの子はモヤモヤを「これは悔しい気持ちだ」「これは悲しいんだ」と様々な感情に分化するのが苦手なのだと。だから、感情の名付けが増えれば、かんしゃくが緩和されていきますよ、と。
語彙を増やす。特に、心の語彙を増やす。心に接地した言葉を増やす。そうすると、より柔らかで多様なメンタルモデルで現実に向き合えるのでしょう。
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