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この身体に秘められたものーミニ読書感想『頭上運搬を追って』(三砂ちづるさん)

三砂ちづるさんの『頭上運搬を追って』(光文社新書、2024年3月30日初版発行)が面白かったです。頭上運搬。沖縄をはじめとした日本各地で昔、重い魚などを頭の上に載せて運んだ身体技法のことを指します。なぜそんなことが出来たのか。逆に、なぜ現代の私たちはそれが出来ないのか。身近で、だけど意外で、刺激的な冒険の書でした。


面白いのは、頭上運搬を経験したことのある高齢者にコツを聞くと「やってみたら出来た」と語ることです。それは、特別な技術ではなかった。生活の中で必要に駆られて取り組まなくてはいけなかった。両手で持つには重くても、頭に載せてバランスを取れば、運ぶことができたから。

「やろうと思えば出来る」の究極は、ポルポト政権下のカンボジアで、銃口を前に実践を求められた女性です。その語りが胸に残りました。

生まれてから一度もやったことはなかったですけどね、運ばなければ、殺されるかもしれないし、というか、命令を聞かなければ殺されるんですから、やらないといえば、まず、殺されます。(中略)だいたい、ご飯が食べられなくて、薄いおかゆばかりしか出なかったこともあるから、ご飯がある、ということだけですごいごちそうなのに、もう、運ぶしかないですよね。やったら、できました。

『頭上運搬を追って』93-94

もしも出来なければ、命を奪われる場面。そんな土壇場で、人生で一度もやったことがない頭上運搬をやる。それが、「やったら、できました」とは、なんとあっさりしたことでしょう。

でも、それが真実なようです。やろうと思えば出来るし、逆に、やろうと思わなければ出来ない。身も蓋もない精神論に聞こえがちですが、これは人間の捉えどころのない「意識」の話だと、著者は指摘します。

多分、私も出来るのでしょう。やらなければならなくなったその時、身体は動き出すのでしょう。この身の内に何が秘められているのか。不思議な気持ちになります。

頭上運搬に近い身体技法の一つ、その不思議として、本書では「生理による出血をコントロールした女性たち」の話が出てくる。これもまた、少し前には珍しくなかったといいます。でも、いまや出来る人は少ない。

いったん、そういうものができると、汚れないし、困らないし、ほうっておけるようになる。つまりは、そこに意識が向かなくなる。意識が向かなくなると、今までやっていたことは、できなくなる。できなくなることが普通になって、みんなできなくて当たり前になっていくと、やっていたことは、まるでウソのように、おとぎ話のように、奇跡のように、思えてくるのである。

『頭上運搬を追って』p36

頭上運搬も、経血のコントロールも、意識が向いている時には出来ても、意識が向かなくては出来ない。今となっては奇跡か魔法のよう。

そういう身体動作が、きっとたくさん、私たちの身体に備えられている。これからもっと消えていくものもあるし、また復活することもあるのでしょう。

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