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はしっこでもたしかに生きるー読書感想「片隅の人たち」(常盤新平さん)

陽だまりのような小説でした。常盤新平さん「片隅の人たち」。戦後十数年、東京の街。まだ海外ハードボイルドやSFの黎明期だったこの頃、翻訳家として細々と生きる主人公と、周辺の人々を活写している。その日々は決して輝かしくはないけれど、穏やかで、気持ちがいい。この世界の空気を吸い込むとほっと一息がつけ、目の前の生活が少し生きやすくなる。登場人物たちはみな、社会のはしっこに生きている。でも、たしかに生きている。自分もそんな生き方を心がけたいと思える作品でした。(中公文庫、2021年1月25日初版)


もう少しゆっくりと

描かれる空気がいい。昭和ってよい時代だったのかなと、大雑把なノスタルジアに浸りたくなるほど、本作の世界は穏やかだ。

1960年代。戦後の混乱から成長期に転じ、社会が少しずつ発展している様子が窺える。しかし主人公の「僕」たち翻訳家は、決して稼げる仕事ではない。実際に主人公は昼間は出版社で会社員をし、帰宅してから翻訳に励む。いまで言う「副業」状態で、なんとか食いつないでいる。

そこに悲壮感がない。その暮らしぶりを主人公はこう表現する。

 僕はなるべく早く勤めをやめて、翻訳一本で食べてゆくつもりでいた。それから十年もサラリーマン生活をつづけるとは考えてもいなかった。ただ、六畳一間の沙知との生活に僕は満足していた。僕たちは預金なんかなかったし、給料日の前など、お金が七百円しかないわと沙知がおびえたように言うことがあって、たしかに貧しかったけれども、若葉町のアパートにやってくる人たちもみんな貧乏だったから、実は貧乏であることを忘れていたか、それに気づかないでいた。(p33)

たしかに貧しいけれども、それを忘れていたか、気づかないでいた。そうやって暮らすことが可能な空気がこの時代には漂っていたのだろうか。

現代を思うと、貧しい状態というのはここまでおおらかにはいられないように思う。少なくとも自分自身は、今より良く、「上に上に」と焦ってしまう。それは時代の差なのか、気質の差なのか、周囲にいる人たちの差なのかは分からない。でもとにかく、羨ましいと感じる穏やかさがある。

それは嫉妬というような激しいものではない。いいなあ。そして「もう少しゆっくり生きてみようかな」と思える。


片隅で生きる矜持

貧しさに悲壮感がないのは、主人公たちの性根にも寄っている。誰もが翻訳が好きで、まっすぐに向かっていく気持ちが伝わる。

冬のアパートを描いたこのシーンが好きだ。

 風の音がして、外の寒さが思いやられた。このアパートのはるか上空を風が群れをなしてわたっていくような、そんな音だった。(中略)
 炬燵の上に僕は原書と原稿用紙をおいていたが、仕事をする気になれなかった。土曜日の夜だった。勤めにはだいぶ慣れたが、土曜日の夜になると疲れていた。来年の三月には僕も二十九歳である。これから二十年生きるとして、どれだけ翻訳できるのだろう。自分の好きなものがたとえ一つでも翻訳できるだろうか。(p43)

強い北風が吹いて心細くなる。疲れがたまり、好きなはずの翻訳に身が入らない。もうすぐ30歳が見えてくる。

読んでいるこちらが寂しさに押しつぶされるくらい切ない描写が重なった最後に、それでもよぎるのは「残された時間でどのくらい翻訳できるのか」だった。その中で、これだ!と思える翻訳ができるのか。「なるべく頑張ってみよう」という、静かな、でも確かな意志がある。

主人公はしばしば翻訳仲間と街角で会い、コーヒーを飲んだりする。なぜ翻訳するのか。翻訳とは何か。熱い論がつい口をついてしまうのがいい。

そして「なぜ稼げないのに翻訳をやってるの」という話になると、「好きだから」以外見つからない。「なら仕方ないね」と相手も苦笑いする。こんなやり取り一つ一つに、主人公たちのあくなき翻訳愛が伝わってくる。

愛しているけど、声高らかには語らない。淡々と、淡々と、好きなことを続ける。それが「片隅の人たち」の共通点で、矜持に思える。


貴重な言葉を汚さない

片隅で生きる矜持。それをはっきり感じたシーンがある。

主人公がある翻訳家との出会いに「人生を変えられた」と振り返る。その中で、なるべく人生という言葉を使いたくないのだと逡巡する。

 そのことを自分でも認めたくないという気持ちがいまでも残っている。けれども、事実は、村山さんが僕の人生を決定したということである。人生とか運命とかいったことばはなるべく使いたくない。僕のは人生といえるほどのものではないと思っている。謙遜しているわけではなく、人生というと、なんだか大げさに聞こえるのだ。誰もがどこでも人生、人生と叫んでいて、この貴重この上ないことばが汚れてしまったような気がする。(p98)

人生という言葉をなるべく使いたくない。誰も彼もが人生と叫び、貴重この上ない言葉が汚れてしまったような気がするから。

人は大通りに出れば、声が大きくならざるを得ないと思う。成功譚。勝利法。現代を見渡せが、誰もがどこでも成功者になろうとして、大通りが埋め尽くされているように思えてくる。

しかしそうやって手垢のついた言葉は、だんだんと輝きを失ってしまう。翻訳家として真でありたい主人公は、言葉が汚れる様が我慢できない。

著者の常盤新平さんは1931年生まれの翻訳家。本書は自伝的な小説だという。「片隅の人たち」は著者自身が抱えた苦々しさや、それでも貫いた矜持を一言で表すために、磨き込まれた言葉なのかもしれない。


次におすすめする本は

梅崎春生さん「怠惰の美徳」(中公文庫)です。同じく中公文庫、また同じく戦中戦後の時代の空気感をまとった本です。タイトルもまた秀逸。怠けたい気持ちを肯定し、ユーモラスな言葉で綴っているエッセイです。


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