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私は誰かの善意でできている―ミニ読書感想『水車小屋のネネ』(津村記久子さん)

津村記久子さん『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版、2023年3月5日初版発行)がすんごい小説でした。むっっっちゃ面白い。1981年から2021年までの40年間、ある姉妹の人生を丹念に描く大作。本物の大河ドラマ。『本の雑誌』さんが「2023年度ベストワン(だけど谷崎潤一郎賞を取ったので別格扱い)」と推すのも納得の一冊でした。


なんでこんなに胸を揺さぶられるかと言えば、これが善意の物語だからです。タイトルにもした通り、本書のテーマは「私は誰かの善意でできている」だと思うのです。

こんなにも直球で、ともすれば道徳的、「お説教的」になりかねないテーマ。それが、津村流の独特の静かでメロディアスな文体で紡がれていく。著者は慎重に、だけども真剣に、真正面から、善意というものに向き合っている。

主人公の姉妹は、姉18歳、妹8歳のときに、ひとり親の母の元を飛び出します。母が連れてきた婚約相手が、「顔つきが気に入らない」と言って妹をいじめたり、夜中に家の外に放り出したりすることに、姉が気付いたからでした。1981年、当時はまだ「虐待・ネグレクト」という言葉もなかった頃です。

そんな姉妹が、2021年までの40年間をどう生き延びるのか?そこには、誰かの善意が、姉妹を心配しつつ、その歩みを守ってあげたいと手を差し伸べる大人が、一人ではなく何人もいたのでした。

ここで、印象に残るセリフを紹介させてください。

「自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、そうやって出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きてるって。だから誰かの役に立ちたいって思うことは、はじめから何でも持ってる人が持っている自由からしたら制約に見えたりするのかもしれない。けれどもそのことは自分に道みたいなものを示してくれたし、幸せなことだと思います」

『水車小屋のネネ』p438

これは、姉妹の言葉ではないのです。時がたち、8歳だった妹が成長し、ある中学生に勉強を教えるようになる。その中学生もまた、居場所を失いかけ、足元がぐらついている子どもでした。これは、その中学生がまた、大人になった時のセリフなのです。

出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きている。そして、その善意が自分に道を示してくれている。

「善意が私をつくった」。この気持ちは、少し前のページで、妹がこんな風に語っています。

「姉が自分にしてくれたことと比べたら、誰かに勉強を教えることなんてまったく大したことじゃないし、勇気なんて一切使わない」

『水車小屋のネネ』p366

姉は進学をせず、18歳で独立して、虐待する継父候補から妹を救い出します。その温かな手が妹の心に熱を持たせ、中学生につながっていく。善意のバトンパスを読者は見ます。

本書は静かな、静かな物語です。淡々としていて、登場人物の多くは平凡な人たちです。だけども、その中に、その根底にこんなにも熱い血潮を感じる。そう、それは身体中を巡る血管のように、たしかに私たちの命を形作っている。

世の中捨てたもんじゃないよ。そんな気持ちにさせてくれます。もしも、生きることに思い悩んでいる人がいれば、この本を渡してあげたい。そんな気持ちになる素晴らしい物語でした。

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