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村上作品を味わい尽くすためにーミニ読書感想「村上春樹は、むずかしい」(加藤典洋さん)

加藤典洋さんの「村上春樹は、むずかしい」(岩波新書)を楽しく読んだ。加藤さんの村上作品評論の決定版と言える。あるいは、ダイジェスト版。これ一冊手元にあれば、村上作品を味わうための強力なナイフ&フォークとなってくれる。250ページ程度で、とてもコンパクトなのもよい。


デビュー作の「風の歌を聴け」から、2013年の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」までを論じている。2017年の「騎士団長殺し」は含まれない。

本書の読みどころはまず、村上作品と近代文学との関連を明らかにしたところだ。キーワードとして、近代文学の「否定性」、そして村上作品の「肯定的なことを肯定する」点を挙げる。

否定性とは、何か。著者はこう語る。

それは、国家なるものを否定すること、富者なるものを否定すること、現在の社会を構成している理不尽なるものを否定すること、世の中の不合理を正当化する権威と権力を否定することであり、つまりこの否定性が、身分制を倒し、近代社会を実現し、これをより民主的な社会へと推進させてきた。近代の動きの原動力にほかならない。
「村上春樹は、むずかしい」p27

「風の歌を聴け」の中のから著者は「気分が良くて何が悪い?」というキーワードを取り出す。つまり反抗、対抗を主題とした近代文学とは異なるやり方で、「肯定性の肯定」で、村上作品は世界を展開していると説く。一方でそれは「否定性の否定」でもあり、また違った形の反抗であり、つとめて「近代文学的」であることも指摘する。

つまり見方によっては、村上作品は「近代文学の最前線」でもあった。この位置付けは面白い。

著者は「肯定性の肯定」からスタートした村上春樹が、1995年の阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件、2011年の東日本大震災と福島第1原発事故に呼応し、どのように作品世界を変化してきたかを読み解く。この読みが「鋭い」。

たとえば、地下鉄サリン事件に関して村上春樹は、「アンダーグラウンド」という被害者への聞き書きノンフィクションを手掛ける。これにより「北千住駅発日比谷線の乗客」、つまり平凡な会社員の要素を自らの世界に取り入れる。

この結果、その後の「海辺のカフカ」のトラック運転手、「1Q84」の組織の末端で主人公を追い詰める男など、極めて現実的な存在が小説の主要人物になってくる、というのだ。これは頷ける。

著者の他の著作「村上春樹の短編を英語で読む」(ちくま学芸文庫) では、短編にスポットが当たっているし、「村上春樹の世界」(講談社文芸文庫)は文学論の色合いが強くやや難解なのに比べ、本書は非常にバランスが取れていて読みやすい。万人におすすめできる一冊だった。

つながる本

村上春樹を形作った翻訳作品を深掘りした邵丹さんの「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」(松柏社)を合わせて読むと、「風の歌を聴け」が生まれた背景が広がってくると思います。

「村上春樹の初期作品はハードボイルド小説と同じハイドアンドシークだ」という指摘があり、これも頷けました。ハードボイルドといえば、今年はレイモンド・チャンドラーの「長い別れ」が創元推理文庫から新訳で登場していまして、これもおすすめです。

それぞれ感想はこちらに書きました。



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