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土地の香りとひとつまみの不思議ーミニ読書感想『八月の御所グラウンド』(万城目学さん)

万城目学さんの直木賞受賞作『八月の御所グラウンド』(文藝春秋、2023年8月10日初版発行)が面白かったです。万城目作品はこれまで読んだことがなく、直木賞をきっかけに初めて読みました。京都という土地の香りが優しく漂うと共に、ちょっぴりいい塩梅の不思議さがとても心地よかったです。


読むにあたって、ちょうど公開されたNHKニュースのこちらの記事に目を通していました。リアルが9、空想が1。読んでみるとたしかになーと実感しました。

本書は2篇収録。高校生駅伝をテーマにした『十二月の都大路上下ル』も、表題作『八月の御所グラウンド』も舞台である京都の地名がふんだんに出てくる。そして、その土地の描き方に実感がこもり、匂いを感じる。

夏の殺人的な蒸し暑さと、冬の無慈悲な底冷えの寒さを交互に経験することで、京都の若者は、刀鍛冶が鉄を真っ赤になるまで熱心、それを冷水に浸すが如く、好むと好まざるとにかがわらず、奇妙な切れ味を持った人間刀身へと鍛錬されていく。

『八月の御所グラウンド』p143

蒸し暑さと寒さ。京都に修学旅行でしか行ったことがない自分にもイメージできる気候的特徴が、しかし「人間的刀身」の鍛錬につながるという表現には、きっとたどり着けないなと思います。

そうしたリアリティに紛れ込まれた空想は、読み進めていたら「これだ」と、割と簡単に見つかります。帯分にもありますが、例えば表題作では、御所グラウンドで実施される風変わりな野球大会に、戦没したはずの伝説の野球選手が現れる。「この人っぽいな」という疑念が「ああ、やっぱり」と確信に変わる。

でも、その提示の仕方がなんというか、優しいのです。そろりそろりとしてる。たぶんそうだなーと感じる出し方。それらしい幻影。「幽か」や「幽玄」という言葉が似合うような、立ち現れ方をする。

その不思議現象に直面した中国人留学生のキャラクターの言葉が印象に残ります。幼い頃、妹が「トトロがいるから来て」と自分を呼んだ。でも、留学生は「きっとトトロには会えない」と確信した。

早く来て、と興奮しながら寝室を目指す妹の背中を見て、『私はトトロには会えない』と思いました。なぜなら、そういった不思議なことは、誰かに言うと消えてしまうからです。胡蝶の夢の如く、その人の前にだけ、不思議な出来事は訪れる。そこへ部外者を招くと、それまでは通っていた道が突然閉じられる。おさない頃から、なぜか私はそれを知っていました。

『八月の御所グラウンド』p167

この留学生は、不思議な存在にいち早く気付いてしまい、「同じようにもう会えなくなる」と真剣に悩む。それが、なんだか胸に残る。

不思議・空想・事件は、物語を大きく駆動させる。それだけ強大な存在です。でも本書では、それは儚く、煙のように朧げなものとして描かれる。

このバランスが、著者の語る「リアル9・空想1」の塩梅なんでしょう。優しい味でした。

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