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古い本の豊かな味わいーミニ読書感想『本の栞にぶら下がる』(斎藤真理子さん)

斎藤真理子さんの『本の栞にぶら下がる』(岩波書店、2023年9月14日初版発行)が滋味あふれる一冊でした。『フィフティー・ピープル』『82年生まれ、キム・ジヨン』など、韓国文学(朝鮮文学)の名作を日本に届けてくれている翻訳者による読書エッセイ。紹介されている本の多くは古い本だけれど、そこに全く古びない豊かな味わいがあると教えてもらいました。


たとえば、思想家鶴見俊輔さんが著した新書エッセイについて、著者は「ふりかけ」に例えて紹介する。ご飯にかけるあのふりかけです。

ふりかけは一片が小さいから、そんなふうにおすそ分けがしやすい。そして鶴見俊輔のふりかけはとにかく、味が多彩だ。逆さにして振ってこんなにいろんなものがバラバラ落ちてくる人はそうはいない。凡人なら鰹節ばっかりとかになりそうだし、または材料が多様でも、全部同じ味つけになってしまうかもしれない。

『本の栞にぶら下がる』p50

鶴見さんの引き出しの多さがよく伝わる上に、なんだか美味しそうではありませんか。「凡人なら鰹節ばっかりとかになりそう」という表現も、(美味しいけど)シンプルなふりかけって確かに鰹節と胡麻だけだよなーと、妙にリアリティがある。

読み終わってパラパラとページを戻ってみると、他にも美味しそうな表現が見つかる。

「骨」が手練れの名人の刺身だとすれば、郷静子の小説は色気もあまりなく、弱火でまじめに仕上げた自炊の煮物みたいな感じなのだが、どっちがより美味いというものでもないし、美味さを競うようなテーマでもないだろう。

『本の栞にぶら下がる』p30

『骨』は明治生まれの作家林芙美子の短編小説。「手練れの名人の刺身」と言われると、読んだことがなくても、それがキリッとして素材の味が引き出された逸品だと分かる。「弱火でまじめに仕上げた自炊の煮物」も、名人の刺身とは違った形で美味しいのだと、よく分かる。

料理以外の、こんな例えも素敵です。

アンソロジーというものは不思議なもので、それを読み通すことは一種の旅に似ているようだ。旅の途中で出会った、さまざまに違う人々の姿が一連のものとして記憶されるように、時代も設定も違うたくさんの物語が一かたまりとなって蓄積される。

『本の栞にぶら下がる』p136

アンソロジーと旅。新幹線の中でたまたま見かけた親子の姿が印書に残るように、旅は偶然性を自身に紐づける引力がある。たしかにアンソロジーもそうで、編者が提示する参加作家の共通項が、妙に心に残ったりします。

本書で紹介される本のほとんどに、馴染みがありませんでした。でも著者の豊かで、軽さがあって、なんだか美味しそうな語彙を通じて、それは少し身近に感じられました。いつか手に取りたいと。タイトル通り、本に挟まれた栞に、もう自分自身がぶら下がっているのかもしれません。

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