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内なる焔を守るー読書感想#10「革命前夜」

須賀しのぶさん「革命前夜」は勇気をもらえる小説でした。舞台は1989年初め、東ドイツ。音楽留学した日本人ピアニスト眞山は否応なく、当局の監視や、それに抗う人と交わっていく。歴史の先に立つ私たちは、数ヶ月後にはベルリンの壁が崩壊することを知っている。でも登場人物は知らない。いまが夜明け前の最も暗い瞬間だとは、知らない。それでも光を求めてもがく姿が、勇気をくれるのでした。


この暗さの中から音楽は生まれた

序盤、素敵なセリフに出会えました。敬愛するバッハの国だと思って訪れた東ドイツ。しかし今は共産主義が隅から隅まで浸透して、日本からやってきた眞山にはいささか憂鬱です。その姿を見かねた隣人の教師ファイネンさんは、眞山を戦争遺構に連れ出し、こう語ります。

 「以前、ベトナムから来たお嬢さんが、あなたのような顔をしていました。この国は暗すぎる、と泣いて。私は南国に行ったことはありませんから、暗いと言われてもよくわかりません。ただ、この地から生まれた音楽は、その暗さの中から生まれたのです」(p30)

素敵な音楽を生んだ国だと思ってきたら、この国は暗すぎやしないか。そんな感想は逆なんだとファイネンさんは言います。この暗さが、素敵な音楽を生んだ。

 「爆撃によって、このドレスデンは全てを失いました。今まで当たり前のように存在していた生活、無数の命とともに、音楽も瓦礫の下に消えました。でも、それから数週間も経たないうちに、私たちは音を拾い集め、甦らせたのです。はじめは瓦礫の上で小さな演奏会を、そして劇場を再建して、コンサート、オペラ、バレエ、演劇ーーどんどん上演しました。音とともに、私たちは復興したのです」(p30-31)

第二次世界大戦は全てを奪った。生活を奪い、命を奪い、国の形さえ変え、音楽を奏でる環境を灰塵に帰した。でも、音楽そのものは奪えなかった。瓦礫の中から音を拾い集め、甦らせた。

足元の安定が、昨日まであった大切なものが、失われていく。それでも、本当に大切なものは奪えはしないし、もう一度、手にとっていくことができる。


内なる焔を守れ

本作では「焔を守れ」という言葉がキーワードとして何度も登場します。たとえば、ヒロインとなる女性が眞山に向かって読み上げた、こんな詩。

 「焔を守れ」
 突然、彼女がつぶやいた。
 「もし焔を守らねば、思いもよらぬうちに、いともたやすく風が灯を吹き消してしまおう。そして、汝、憐れ極まる魂よ。痛苦に黙し、引き裂かれるがよい」(p132)

若干、語気が鋭いですが、焔を守らなければ、思いもよらないうちに風が焔を点した灯を消し去ってしまう。それは確かにそうなんだろう。

「焔」とは何か。東ドイツにあっては、自由、市民的権利、そういったものを挙げられるとは思います。でも、音楽小説にとっての焔とは何か。

眞山が、父親と親交のあったドイツ人音楽家を訪ねたシーンが浮かびます。彼はもう没していて、その息子(といっても眞山よりも年上)と語らいます。眞山の父と音楽家は、1943年に日本で「マタイ受難曲」を上演した時に一緒だった。その素晴らしい出来を録音したレコードがあれば、送りたかったのだが、と真山が父の悔恨を伝えると、音楽家の息子はこう返したのでした。

 「ありがとう。しかし、レコードはなくてよかったのかもしれない。そういう音楽を身の内にずっと抱えることのできた幸せを、祝福すべきだろう。それは誰にでも手に入れられるものではないのだから」(p80)

最上の音楽だと思える音楽を、身の内に抱えられたことが、祝福すべきことだ。

ファイネンさんの言葉を思い出します。瓦礫の中で再構築した音楽は、いったいどこから生まれたのか? それは人の心の中ではなかったか。それぞれに抱えた最上の音楽を、再び解き放って、共鳴しあったんじゃないか。

焔とは、自分の「内にある音楽」である。こう言うことができるのだろうと思いました。

だとすれば、「暗さの中から生まれる音楽」は、一人一人が「焔を守る」ことで初めて可能になる。暗い時代に生きる人間にまずできることは、自分の内にある大切なものを、絶望や、社会変動や、不自由の「風」から守ってやることなのかもしれない。そんなメッセージを受け取れるから、本書は私たちにとって勇気になるんだと思います。(2018年3月10日初版、文春文庫)


次におすすめする本は

小川哲さんのSF長編「ゲームの王国」です。舞台はポル・ポト政権が猛威をふるった頃のカンボジア。まさに別の暗い時代を生きて、生き抜いて、邂逅する因縁にSF要素をたっぷりまぶしている、骨太かつユニークな作品です。


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