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見えない障害を持つ方に近づくためにーミニ読書感想『私の脳で起こったこと』(樋口直美さん)

レビー小体型認知症の当事者である樋口直美さんの『私の脳で起こったこと』(ちくま文庫、2022年1月10日初版発行)が勉強になりました。樋口さんが診断を受けた前後の時期の日記などをまとめたもの。生々しい感情、揺れる思いが記録されています。目に見えない障害を持つ人に対して、どのように接したらよいのか。ヒントを与えてくれました。


印象に残ったのは、この部分。

 私は、どれだけできるかではなく、どれだけできないかを示すことを求められるのだと、初めてわかる。パラリンピックで活躍する選手達と真逆だ。
 彼らは、障害を説明することを求められない(実際には、目に見える以上の障害があっても)。努力し、達成したことを賛美される。感動される。
 普通の人にしか見えない私は、どれだけ異常かということを延々と説明しなくてはいけない。どれだけ「できないか」を。しゃべってもしゃべっても簡単には病気の症状は理解されず、私が毎日直面している困難も苦しさも伝わらない。
 私の症状が、障害が、生活上の不自由や不便が、全部見えるものならいいのか。見えれば見えたで偏見の目で見られるのか?  私が考える以上に、ものごとは、ややこしい。

『私の脳で起こったこと』p193

著者は、当初はうつ病だと誤診され、試行錯誤しながら病と向き合ってきました。悪戦苦闘しながら、なんとか日々を送っている。だけど、それは周囲から見たら「普通にしか見えない」となる。

その結果、著者に求められるのは「説明」です。これは、目に見える、明らかな障害を持つ人とは大きく異なる。逆に日本社会では、ある意味過度なほど、目に見える障害者には遠慮している。面と向かって「どんな障害があるのですか?」なんて聞かない。

発達障害の可能性が指摘される子の親として、似たような経験があります。「普通にしか見えない」と言われる。でも、親としての違和感はあるし、としも障害があれば、早めからサポートをしてあげたい。「説明」が生じることの葛藤やストレスというのは、障害と別の重荷です。

しかも、延々と説明したところで、障害・病の辛さが正確に伝わるわけでもない。この大変さを、著者は語ってくれています。

一方で、この引用部分には著者の優しさがにじむ。では、目に見える障害の方が「楽なのか?」といえば、そこにはあからさまな偏見がついて回ることを想像する。話はそう単純ではないのです。

本書では、一般的な認知症のイメージと、レビー小体型認知症が異なることで、「認知症に見えない」とレッテルを貼られる苦しみも語られます。十把一絡げに、ステレオタイプに当てはめることの危険性。だからこそ、著者は「目に見えない障害の方が大変だ」なんて断定しないのです。

「説明」の苦労に思いを馳せつつ、でもその人独自の苦しみの様式があることにも想像を巡らせる。そのような慎重さ、想像力が、まずは当事者を苦しめないための一歩だと学びました。もちろん、簡単ではないけれど。

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