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【エッセイ】デジタルデトックスでセルフご機嫌取り

1日にスマホを使用する時間はどれくらいだろう。
こんなデータがある。

2021年、アメリカの18歳以上のモバイル機器の利用時間を調べたところ、1日あたりのスマホ利用時間は3時間10分。それ以前から増加傾向なのだそうだが、「定額制ビデオ・オン・デマンド(SVOD)」「TikTok」「ポッドキャスト」等の各種コンテンツの急速な成長が貢献しているとみられる。(BISINESS INSIDER「1日でスマホを見ている時間は平均3時間46分。コロナ前後の消費行動はどう変わったか」より)

私自身、Instagramのリールを見続けて気付けば1時間経っていたことや、Twitterのbotアカウントをさかのぼりガハハと1人笑い過ごすことは多々ある。

そんな時は大体罪悪感にさいなまれ、その罪悪感を打ち消すかのようにビールを飲む。こう書いてみると私はアル中予備軍だと思う人もいるかもしれない。うん、私もそう思ったんだよね。

で、こういう時、なんで罪悪感に苛まれるんだろうか。

これには”他者の見えざる目”があると思っている。

「お前はアダムスミスかぶれか」というツッコミをした人。
私とは気があうと思うので、スキしておいてください。
投稿を読みに行きます。

で、本題に戻るけれども、他者の見えざる目とは何か。
ひとつにSNSが挙げられるだろう。

私が大学生の頃。
Facebookを利用することが当たり前になり、友達の”日常”が充実して楽しそうな写真とともに簡単に共有されるようになった。
”リア充”なんて言葉も流行った。
そうすると投稿される内容が、あたかもその人の日常の”全て”であるかのように錯覚しやすくなった。
またそこに”いいね”という数値化システムまで付加された。
”いいね”を求め始めると、投稿する”日常”がどんどん美化されるようになった。

そこにInstagramやTikTokが台頭。
写真や動画を簡単に編集できるアプリがどんどんリリースされ、誰もが”いい感じの日常”を演出できるようになった。
日常はさらに”編集”され、日常の美化は加速度的に進んだ。

「SNSの美化された日常=ダラダラ過ごす私以外の他者の日常」という勘違いが、私という個人の中で”一般”を美化してしまい、ダラダラする生活に失望するという私をどんどん育んでいった。

きらびやかなSNSの中にある美化された一般の日常に引き寄せられるように他者のSNSを見続ける。見続ける他者のSNSがきらびやかであればあるほど、自身の自己肯定感は下がる。

これは他者のSNSが”見えざる目”となり自身を監視し、”自身の現実”と”他者の編集された現実”との乖離によって自己肯定感を下げ続けることにつながる。
これを続けることによって、”自己肯定感のデフレスパイラル”に陥っていく。

【図1】自己肯定感のデフレスパイラル(筆者作)


このスパイラルは陥いれば陥るほど、抜け出すことが難しい。

そこで登場するのが断食ならぬ”断スマホ”だ。朝目覚めてから、夕食まで一切スマホを触らない。緊急連絡は電話がかかってくるだろうから、LINEもチェックしない。

その代わりに、ストレッチをし、家の掃除をし、お茶を淹れ、読書をし、ちょっと昼寝をして、noteに記録を残す。
したいことを何に影響を受けることなく存分に出来ることで、自分のご機嫌も取りやすい1日だった。

”何に影響を受けることなく”。
ここが重要な箇所だ。
勝手に作り出した”見えざる他者の目”はSNSを遠ざけることで消すことができるのだ。

スマホは新しい情報をもたらし、生活を潤し、利便性を向上させる。一方で使い方次第では自身の自己肯定感を低下させる恐れもある。

心が疲弊した時は、プチ断スマホで心を整えてあげる。
おすすめ。


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