見出し画像

そのお弁当に詰まっていたもの

高校生の頃、母がほぼ毎日持たせてくれるお弁当が実はあまり好きじゃなかった。

ぼくの母が詰めてくれるお弁当は、蓋を開けると思いっきり一方に片寄っていることがしょっちゅうだった。もちろん僕の運び方が多少乱暴なせいもあったかもしれないが、きっと母はごはんやおかずをぎゅっと詰めずにふわっと詰めていたんだと思う。そのくらい尋常じゃない片寄り方をしていた。

また母は肉じゃがを汁っぽいまま入れてしまうので、性能のあまりよろしくない当時のタッパーではその汁がこぼれてしまい、よく教科書の角に茶色い染みをつくっていた。

もう一つのお弁当の苦い思い出といえば、母が家庭菜園で育てていたシソの実がよくお弁当のご飯の上にかかっていて、最初はなんとも思わずに食べていたのだけれど、ある時隣で一緒にお昼を食べていた友達が「ねえ、それ何? アリンコみたいじゃん」と言われた時から、ぼくはシソの実のお弁当がすっかり恥ずかしくなったのだった。それ以降は、友達にお弁当を見られる前に、蓋を開けるとすぐにご飯の上に散らばっているアリンコ達を急いで口の中に放り込んでいた。

その翌週にはすぐ母に「お弁当にシソの実は入れないで」と懇願したところ、なんだか母は少し悲しそうな顔をして「わかったよ」と言ってくれたのを覚えている。

そしてその頃のぼくには、お弁当を持ってこずに売店でサンドイッチや菓子パンを買う友達がなぜか格好よく見えた。今思うと掃いて捨てるほどいるアホな高校生男子の1人だったなと思う。

なので母がお弁当を作れなかった日は、朝に母からもらった少しばかりのお昼代で学校前の売店でサンドイッチや菓子パンを買うのが本当に楽しみだった。

その頃から何十年かが経った今、自分でお弁当をつくっていた時期もあったことで、いかにお弁当づくりが大変かを身を以てしった。そして今では有難いことに最近買った2段式の曲げわっぱ一杯に、美味しい玄米と手作りのおかずを美しく詰めてくれる相方がいる。

そしてその丁寧に詰められた色とりどりのおかずを味わいながら、最近気づいたことがある。

あの頃のお弁当に詰まっていたのは、決して夕飯の残りだけじゃなかったんだと。

きっとあのスカスカの片寄ったお弁当にも、タッパーから汁が漏れてしまう肉じゃが弁当にも、シソの実のお弁当にも。

そこには目には見えない母の愛情がたっぷり詰まっていたことに、今頃になってようやく気づいた。

それを気づかせてくれた現在の相方と、きっと今も遠くから僕のことを想ってくれる母には、いくら感謝してもしきれない。今、心からそう思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?